1988年、イスラエル・ヤッファ生まれのパレスチナ人。テルアヴィヴ大学で英語と演劇を専攻。その後、ニューヨークのリー・ストラスバーグ劇場研究所で演技のメソッドを学び、本作でスクリーンデビュー。現在はニューヨークを拠点に活動中。第一次世界大戦のアゼルバイジャンを舞台にしたアジフ・カパディア監督の新作『Ali and Nino』(16年)では、キリスト教徒の女性と恋に落ちるイスラム系アゼルバイジャン人役で主演をつとめる。
占領状態のパレスチナに暮らす真面目な青年・オマールは、自由も人権もない日々を変えようと仲間と共に立ち上がるが、捕らえられ、、一生を牢の中で過ごすか、仲間を裏切ってスパイとして生きるかの二者択一を迫られる……。
パレスチナに生きる過酷な現実を描いた『オマールの壁』は、自爆攻撃へと向かう若者たちを描き、ゴールデングローブ賞外国語映画賞を受賞した『パラダイス・ナウ』ハニ・アブ・アサド監督の作品で、歌手のマドンナや各国主要メディアも絶賛する問題作だ。
主演したのは、自身もパレスチナ人であるアダム・バクリ。来日した彼に、映画について、そしてパレスチナの現実について語ってもらった。
バクリ:小さい頃から父の芝居のリハーサルを見に行ったりしていたので、自然と俳優の道に進みました。子ども時代、地元ヤッファの劇場で外国映画をたくさん見たことも、演技の世界への愛着を強くした要因だと思います。15歳の時には、将来は俳優になるとはっきり心に決めていました。
バクリ:テルアビブ大学で英文学と演劇を専攻して、卒業後にニューヨークのリー・ストラスバーグ劇場研究所で、2年間、演劇メソッドを勉強しました。研究所を卒業した翌日に、この映画のキャスティング・ディレクターにオーディション・テープを送って、1週間後に実際のオーディションを受けにイスラエルへ向かいました。約1ヵ月の間に13回くらい呼ばれ、最終的に役をもらいました。
昔、ハニ・アブ・アサド監督が僕のために脚本を書いてくれる夢を見たのを覚えています。会ったことはなかったけど、彼の作品はもちろん知っていたから。その夢が現実になりました。5年間、演技の訓練をしてきて、ついにそれを実践に移す時が来たわけです。早く学校を卒業してプロの世界に入りたくてたまらなかったから、オマールの役をもらった時、「今まで学んできたことのすべてを、この青年に注ぎ込む」と決めました。
学校では、「こんなことやって何の意味があるんだろう?」というような訓練を、それこそ果てしなくやらされました。特に舞台の授業では、他の生徒とパートナーを組んで演技するだけではなく、内面の自分と向き合って、自分の内側で何が起きているかを理解する訓練をさせられた。だけど、撮影に入った途端、そういう訓練の積み重ねのおかげで、技のようなものが自分に身に付いていたことがわかったんです。なぜなら撮影現場では、例えばラブシーンのように張り詰めたシーンですら、カメラのテストで他の俳優なしに自分1人で演技することが求められるのですから。
バクリ:撮影前、監督は僕らに、彼が聞いたパレスチナ人内通者の話をいくつか教えてくれました。ただ、実際に内通者だった人たちは殺されるか投獄されていて、その人たちに会って体験談を聞くことはできなかったので、自分でも調べてみました。アメリカやイスラエルにいると、パレスチナ難民キャンプの日常生活がどんなものか、想像することしかできないので、実際に彼らの家に2日間泊めてもらった経験は、役作りの上で大きかったですね。
僕はニューヨークで、パレスチナの若者とイスラエルの若者の2つのグループが、普段の暮らしや対立について意見を交わすドキュメンタリー映画のアラビア語とヘブライ語を英語字幕に訳す仕事をしたことがあるのですが、その仕事で学んだことも山ほどあって、例えばパレスチナの子たちは、大学まで30分の距離なのに、検問所を通るので6時間前に家を出ると言っていました。
バクリ:脚本をもらったのは、オーディションを重ねて1ヵ月くらい経ってからでした。読んでとても感動したし、オマールにも強く心を動かされました。撮影前には監督と脚本について入念に話し合って、細部の一つ一つを確認しました。撮影中、監督は僕を信頼して自由にやらせてくれました。
僕はこの題材と気持ちがつながったし、このキャラクターが何を感じているか分かったように思います。。大切なのは、彼の葛藤を観客に忠実に伝えることでした。彼は口数が少なく、頭の中で葛藤が渦巻いている。脚本を読んだ時、オマールがニコラス・ウィンディング・レフン監督の『ドライヴ』でライアン・ゴズリングが演じた役と通じる部分が沢山あると思いました。観客に、オマールの内面を読み取ってもらい、彼がいかに葛藤していたか
を感じ取ってもらうことが、僕にとって重要でした。
バクリ:オマールが話す西岸地区のアラビア語のアクセントは、僕のアラビア語とほんの少し違うので、演じる時は注意しました。それと、予算がすごく限られていたから、スタッフも足りなかったし、控え室代わりになるトレーラー車もありませんでした。だから、次のシーンの役作りに集中したくても1人になれる場所がなくて、周りに大勢人がいるガヤガヤした道路などに座って集中するしかありませんでした。
西岸地区では、ファラ難民キャンプで2日間撮影しましたが、外部の撮影隊に慣れていない地元の人たちにとっては特別なイベントのようだったらしく、僕たちが毎朝5時に起きると、もう沢山の人が見物に集まってきていました。100人くらいのエキストラもいる大掛かりな葬儀のシーンでは、監督が「アクション!」と言うのを合図に、子どもたちが家の屋根から爆竹みたいなものを投げてきました。その度に最初からやり直したので、1分くらいのシーンなのに8時間もかかって大変でしたね(笑)。
(photo:荒牧耕司、坂田正樹)
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