1981年8月22日生まれ、東京都出身。2001年に俳優デビューを果たしたのち、TVドラマ『最上の命医』(11年)や『昼顔〜平日午後3時の恋人たち〜』(14年)で注目を集める。映画でも『愛と誠』(12年)や『無伴奏』(16年)、『団地』(16年)、『のみとり侍』(18年)といった話題作に次々と出演。公開待機作は『麻雀放浪記2020』や主演のほかに企画・プロデュースも務める『MANRIKI』など。また、2012年からは齊藤工名義でフィルムメーカーとしての活動を開始。初長編監督作品『blank 13』(18年)では、上海国際映画祭にてアジア新人部門最優秀監督賞の受賞をはじめ、国内外の映画祭で8冠を獲得した。HBOアジアのオムニバスドラマ『FOLKLORE』では日本の代表として『TATAMI』を監督。また、白黒写真家として撮影した『守破離』がパリ・ルーブル美術館で開催された学展で銅賞を獲得するなど、海外での活躍も期待されている。
解散してから長い年月が経っているにも関わらず、高い人気を誇り続けている伝説のロックバンド、THE BLUE HEARTS。彼らが残した衝撃と影響の大きさはいまなお、多くの人の心のなかに残っている。そんなTHE BLUE HEARTSを愛してやまない6人の気鋭監督がバンド結成30周年となる2015年に企画した映画が『ブルーハーツが聴こえる』。一時は劇場公開も危ぶまれていたが、ファンからの熱望とクラウドファンディングでの支援によって2年越しの公開が実現することとなった。
6つの作品からなる本作には、主役級の豪華な俳優陣が集結しており、どの作品にも“ブルーハーツ愛”が溢れている。そんななか、名曲『ラブレター』からインスピレーションを受けた物語で主演を務めたのが斎藤工。おかしくも泣ける珠玉のファンタジーで井口昇監督の分身ともいえる主人公の大輔を好演している。現在は、俳優としてだけでなく、監督や移動映画館の企画を行うなど、映画界での存在感をますます強めているが、本作を公開させるために尽力を続けてきた心境やこれからの映画への熱い思いを語ってもらった。
斎藤:撮影から公開まで2年以上経っていますが、こういうケースは少なくないので、珍しいことではないなというのが正直な感想です。日本では劇場が減少していますし、映画の生まれ方や届け方にも不健康な部分みたいなものがあると思っていますが、どんな映画もそもそもお客さんのためのものであり、公開してお客さんに触れることでやっと成就するのが映画。
でも、今回はそこに時間がかかってしまって、しかも僕らが届けたい観客の方たちから、「この作品に対して何か出来ることはないですか?」というような思いをいただき、クラウドファンドで、公開させていただくことになりました。とても現代的であり、何かアナログでもある形に最終的になり、差し伸べてくださった手の体温みたいなものを関係者一同は感じているところです。この作品に限らず、今後もこういう形で報われる映画が生まれたら、それは美しい姿だなと思います。
斎藤:監督からのメールです。これまでは「一通のメールですべて決まった」と言ってきたんですけど、実はこの役は僕ではなくて、他の人が演じるというプロットも最初はあったそうです。でも、最終的にはやっぱり僕にやって欲しいという井口監督からの個人的な連絡が決め手です。
斎藤:当時は33歳だったので、「いい加減きついだろう」と思っていたんですけど、同世代の要潤さんも(学ランを着ているので)お互いに痛み分けという感じでしたね(笑)。ただ、そのとき『情熱大陸』のカメラが僕を追ってくださっていて、番組を見たら最後の音楽が流れるところで学ランのまま映画について語っている僕の姿で終わっていたんです。その時は数ヵ月後にこの作品を公開するつもりでそういう構成にもなっていたんですけど、公開がなくなって「あれは何だったんだ?」ということで、2年間、謎の描写になっていたんです(笑)。だから、時を経て「これだったんだ!」っていうひとつの解答にはなるかなとは思っています。
斎藤:感覚的な教育だったので、そういう影響はあると思うんですけど、僕らの頃は少数で、一学年に5人とか、僕1人の時もあったので、学校の生徒という単位がマジョリティではなく、マイノリティ。それを感じながら幼少期を過ごしたということは、いまの映画作りの現場においても、自分で企画やディレクションするときにも大きいです。
マイノリティのなかでクリエイトしていくものこそがオリジナリティある映画になるんじゃないかな、という人数の指標みたいなもの。生徒が少なかったという環境でずっと過ごしてきたことで、「全員が重要なんだ」という感覚は、いまの基盤になっている気がします。
──これだけ豪華なキャストとスタッフが揃っていても公開が危ぶまれたということで、映画業界が抱える問題が見えた一方、クラウドファンディングによって救われる映画の可能性を広げたところもあると思いますが、どのように感じていますか?
斎藤:いまはメディアの形状や映画という媒体そのものが変革期にあるんじゃないかなと思っています。たとえば、(監督作で)僕が撮った長編は尺が約70分ですけど、それで正規の料金をいただくのは違うと思っているので、それに見合った劇場公開の形として、届ける側が順応していく時代なのかなと。それから、劇場やミニシアターがどんどんなくなって、偏っているなというのもすごく感じています。
時代に沿ってそうなってしまったので、それをどう改善したらいいのかというのは困難な部分。それに、日本はおそらく世界で一番チケット代が高いので、もっと気軽な娯楽であるべきだとも思います。あと、フランスではチケット代のなかにフランス映画界に対する寄付金が含まれていて、芸術循環みたいなものを作り手と受け取り手がずっとやってきているんですけど、そういう環境を見ると、日本の娯楽に対する芸術理解はすごく現実的で、生産性を優先してしまっているなと。現場の人間としては、諸外国にかなわない状況にどんどんなってしまっているような不安はあります。
でも、逆境って悪いことばかりではないんです。(60年代〜70年代の日本映画界に多大な影響を与えた)ATGの頃の日本映画界はいまよりももっと衰退していましたし、そういう流れにぶつかるような形でいろんな作品が生まれてきたのも事実。それらの作品は僕のなかでも深く刻まれているので、いまの環境だから生まれる形状の作品というのもとても価値があると思っています。
だから、この作品の企画から公開までの2年の道のりも、「負けないぞ」という映画に対する愛情みたいなものを支援してくださった方たちや作品に関わったみんなも持っていた気がするので、現象のひとつとしては理想的な公開の迎え方です。
斎藤:長編の編集中にグザヴィエ・ドランとニコラス・ウィンディング・レフンにお会いしたというのはすごく刺激的でした。あと、3年ほど前に、スペインのシッチェス映画祭で、イーライ・ロスやギャスパー・ノエとかがその辺の立ち飲み屋で普通に飲んでいるのを見たときに、あれだけいろいろとクリエイトして毎年映画祭に帰ってくるイーライ・ロスに嫉妬したんです。だから、僕も映画祭に向けて何かを作りたいなと。それは監督でも企画でも製作でも出演でもいいんですけど、たとえ流暢な英語ができなくても、映画を通じてこういう海外の映画人と交流する場があるんだということ、それが映画祭だということに気づいたんです。
なので、僕のことなんてまったく認識していない国の映画ファンに「日本ならではの面白い作品を届けたい」という気持ちがここ数年ものすごくあります。今回の長編では火葬を描いていますが、火葬という文化は、キリスト教では結構ショッキングな埋葬の仕方なんです。でも、僕が一番描きたかったのは、焼き待ちの待合室の時間。僕らには当たり前の習慣なので、そんなに疑問に思わなくても、その時間というのはすごい時間だなと感じていて、どうしても描きたかったんです。海外の人たちに、背伸びした僕らを見せるのではなく、日本的な習性みたいなところを切り取って届けられたらいいなという風に思っています。
たとえば、アカデミー賞の外国語映画賞によくノミネートされているイランのアスガー・ファルハディも、彼が描いているものはグローバルな世界的なことではなくて、イランの戒律のなかにおける縮図。だから、自国を見る目線というのは、海外の映画祭に行ったことによって、自分に根付いたものになっています。
斎藤:俳優って便利なことに、組織として海を渡るわけではないので、一見壮大な感じはしますが、単体としてフレキシブルに活動していっていいのかなと。最近は、中国や韓国以外のアジア映画の水準も急激に上がっていて、アジアの熱というのをすごく感じています。だから、僕は映画ファンとして、アジアという単位でもっと映画を作って欲しいという願望があるので、海外のクリエイターと一緒に何かをやらせて頂くことは、その願望への近道になるような気もします。ですので、そういうプロジェクトにはどんどん参加していきたいです。
斎藤:自分がこういうキャラクターだと認知されているのであれば、振り子のように真逆の方向に興味とかやりがいを見出すところがあって、それがバラエティだったりもするんです。自分の作品では、川瀬陽太さんにニューハーフの役を演じていただきましたが、僕もジェンダーレスな部分はやってみたいなと。昔から注目されていてそういう作品もたくさんありましたけど、いまのLGBTとはまた意味合いが違うと思うので、そういう題材や役にトライしたいというのはあります。
斎藤:まもなく終わると思っていますが、いまだにそれを言われるんです(笑)。親戚の子どもには「池崎さんに会ったことあるの? すごいね!」って言われて、永野さんやあばれる君のときも経験しましたが、池崎さんが子どもたちの憧れの的になっているんだなと。これからもいい位置で長く活躍して頂きたいなと、同じ歳の仲間としてそんな風に思っています。まあ、「自分の心配しろよ」って話なんですけど(笑)。
でも、それくらい僕にとっても池崎さんにとっても大きな出来事でした。ドラマや映画をどんなにがんばって作っても、ああいう瞬間的なものがいろんなものを凌駕していくんだということを味わえた面白い体験だったと思います。
斎藤:僕は基本的に求められたら断りたくないんですけど、どうですかね(笑)。あのときも本当は他の演出でも話が来ていたんですけど、候補のなかにあったなかで自分でも想像できないところに思いっきりハンドリングをしただけなので。だからといって、映画に注ぐエネルギーとは違うベクトルかというとそんなこともないですし、自分を表現するっていう試練でもあります。もし、そういう話をいただけるのなら、「去年の方がインパクトあったよね」って思われないものがいいです。
斎藤:すごい才能があるなと思って、僕が企画している移動映画館にも来てもらっているのは、バッドナイス常田さん。家にもよく来ていて、帰ったら僕のベッドで寝ていたりするんです(笑)。青年としてもステキだし、実力のある人は認められて欲しいので応援しているんですけど、だんだん売れてきちゃうと、「行かないで!」みたいなちょっと寂しいところもあります(笑)。
僕は単純に観客としてお笑いが好きなだけで、役者がそういうものに安易に足を踏み入れるのは危険だなと客観的には感じているので、だからこそやるなら腹くくって命懸けで向かうべきだと思っているんです。
斎藤:「自分ってこんなもんか」っていう“こんなもんか”の半径を広げる作業で自分を知ることが必要。35歳だからといって落ち着いていくんじゃなくて、いろんなことを経験して、裾野を広げていく作業をしないと、「10年後にはもっとつまらない人間になるな」ということの逆算だったりはします。
だから、2年前のハロウィンでは本気の仮装をしてみたんですけど、あのときに何か新しい自分に出会えた感じはしたんです(笑)。でも、みなさんもそういう願望ってあるんじゃないかな。あと、1本の映画を見て、感覚や価値観が変わることもあると思うんですけど、僕はそういうのをどこかで求めて行きついた先が年末の番組だったのかなとは思っています(笑)。
斎藤:実は選択肢ってほぼないんですけど、願望はあっても、タイミングの方が大事だったりします。向き合うべき作品や人とは、どんな状況でも、その作品に関わることが成立しますけど、どんなに予定を空けていても成立しなかったりすることもあるので。だから、会うべきときに会っている気はしていますし、フレキシブルにするようにもしています。いろいろ考えて戦略的にすべてを決めていくというよりは、ニュートラルに置いてどこかに誘われる方が、振り返ったときに、「あのとき自分が予想だにしなかった出会いがあったな」とか「あれに救われたな」ってことはよくあります。
斎藤:脚本をゼロから作りたい。やりたい題材もあり、それをどういう風にやるのがいいのかという前段階の企画は結構あるんです。それを必ずしも自分が監督したいとかではなくて、この題材を誰にディレクションして欲しいとか考えているものが多くて、僕はキャストとしても監督としても製作としても関わらないかもしれない。どういう関わり方でもいいと思っているんですけど、今の時代では難しいものやイーライ・ロスがヤキモチを焼くような作品を作りたいなとは思っています!
斎藤:今回は、いろんな要素がつまった作品が集まっていますが、やっぱり主役はブルーハーツの7つの楽曲たち。劇場で音楽を体感して共有するといういまの時代ならではの映画鑑賞の仕方で、その代表格になっていくような作品だと思います。DVDを待つのではなくて、ぜひ劇場でブルーハーツと6人のクリエイターのブルーハーツへ対する愛情を受け取ってください。
(text:志村昌美/photo:中村好伸)
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