いよいよ今週末の11月22日に公開が迫っている入江悠監督の『日々ロック』。ここではそのおさらいとして、2011年の『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』について触れたい。本作は監督が手がけた、もうひとつの“ロック映画”である。
入江監督の出世作『SR サイタマノラッパー』シリーズを取り上げた前回の記事の最後で、筆者は「この人は意外と職人っぽい監督なのかもしれない」といった内容のことを書いたが、『劇場版 神聖かまってちゃん』はそれをもっとも強く感じさせる作品だ。そこには“音楽映画なのに音楽がほとんどかからない”という『SR』シリーズ第1作目のようなひらめきや未完成ゆえの生々しさはなく、『SR2』『SR3』と作品を重ねるごとに顕著になった“まっとうな作風”の延長線上にあるものだが、それは決して悪い意味だけではない。映画を説明的で退屈なものにさせることなく、エンタメ性の高い内容に仕上げているという点で、職業監督としての器の大きさを感じさせるものだ。
3年前の映画なので念のため補足しておくと、本作は実在するロックバンド=神聖かまってちゃんのドキュメンタリーではない。彼らの存在や楽曲を題材としていて、メンバーも本人役で出てくるものの、軸となっているのはプロ棋士志望の女子高生と引きこもりの兄、ポールダンスと清掃員の掛け持ちで生計を立てるシングルマザーとその息子などの暮らし、それに神聖かまってちゃんのマネージャー(こちらも本人)の奔走ぶりだ。彼女ら/彼らの生活に、かまってちゃんの音楽がさまざまな形で関係し、それが最後のライヴ・シーンで融和していくという流れは、正しく群像劇的。神聖かまってちゃんというある種の“飛び道具”をモチーフとしているにもかかわらず、映画としてとても安定感があり、着地すべきところにきちんと着地しているという据わりのよさが感じられる(…後編へ続く)。(文:伊藤隆剛/ライター)
・『日々ロック』公開特集!『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』に見る入江悠監督の底力/後編
伊藤 隆剛(いとう りゅうごう)
ライター時々エディター。出版社、広告制作会社を経て、2013年よりフリー。ボブ・ディランの饒舌さ、モータウンの品質安定ぶり、ジョージ・ハリスンの趣味性、モーズ・アリソンの脱力加減、細野晴臣の来る者を拒まない寛容さ、大瀧詠一の大きな史観、ハーマンズ・ハーミッツの脳天気さ、アズテック・カメラの青さ、渋谷系の節操のなさ、スチャダラパーの“それってどうなの?”的視点を糧に、音楽/映画/オーディオビジュアル/ライフスタイル/書籍にまつわる記事を日々専門誌やウェブサイトに寄稿している。1973年生まれ。名古屋在住。
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