【週末シネマ】喚いて泣いて脱ぎ、荒れ狂う主人公は、沢尻エリカ本人を彷彿させる?

『ヘルタースケルター』
(C) 2012映画『ヘルタースケルター』製作委員会
『ヘルタースケルター』
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『ヘルタースケルター』
(C) 2012映画『ヘルタースケルター』製作委員会
『ヘルタースケルター』
(C) 2012映画『ヘルタースケルター』製作委員会
『ヘルタースケルター』
(C) 2012映画『ヘルタースケルター』製作委員会

『ヘルタースケルター』

発表当時に読んだ原作は、こんな感触だったっけ?とスクリーンを見ながら思う。全身整形のトップスター・りりこが芸能界の頂点から破滅へと真っ逆さま、と見せかけて、思いがけない方向へと冒険を続けていく『ヘルタースケルター』は、自身の一挙手一投足が常に話題となる沢尻エリカを主演に迎え、独特の美意識を貫く写真家・蜷川実花が『さくらん』に続いてメガホンをとった絢爛豪華なスター映画だ。

『ヘルタースケルター』その他の場面写真

整形手術の後遺症が身体に現われ始め、天性の美しさを持つ後進の登場でスターの座から追い落とされる恐怖に苛まれて荒れ狂うりりこは、製作発表会見で強気な発言を連発し、撮影終了後に体調不良でメディアの前から姿を消した沢尻本人を見ているようで、何とも不思議な感覚。ストーリーは原作通りなのに、現在進行形の沢尻エリカ劇場を見ているような錯覚に陥る。小柄ながら均整のとれた肉体を造り、綺麗に着飾り化粧した人工美の女王を演じる沢尻は、喚いて泣いて脱いで、これでもかというほどのエネルギーをぶつけてくる。それは優雅な白鳥の水面下の必死なバタ足を見せられる居心地の悪さとなって、観客につきつけられる。「見たいものを見せてあげる」とりりこは言うが、それだけではないということだ。

そして、岡崎京子の原作漫画より、映画のりりこはずっと泥臭い。それに何だか、ずいぶんとお人好しに見えるのだ。ずっと哀れで、健気さすら漂う。どれだけ荒れ狂っても、虎ではなくて可愛い猫。原作より少し小粒に感じられる。それは原作が90年代に描かれたのに対して、映画は2012年現在を舞台にしているからかもしれない。コミュニケーション・ツールの発達に伴って情報はあふれ、価値観は多様化し、スターのカリスマ性もそれほど神通力を持たない。プチ整形という言葉の存在が物語るように、美容整形についてのタブー感は当時と今では全く違う。そして、りりこみたいにボロボロになる前に、体調を崩した主演女優は休養に入る。破れかぶれにさせてくれない現実の方が、映画よりはるかにクレイジーにも思える。

それにしても沢尻エリカの熱演は凄まじい。役になりきっているのか、りりこの地獄巡りに自身の心境をシンクロさせているのか、おそらくその両方だろう。ときどき、りりこではない“沢尻エリカ”そのものの慟哭を見せつけるような生々しさが現れる。それが良いのだ。役を自分に引きつけ、自分も役に引き寄せられ、そこで格闘する女優の勇姿に魅了される。大森南朋に寺島しのぶ、桃井かおりといった演技派のベテランから、旬の若手の綾野剛に水原希子、新井浩文、そのほか出番もわずかな小さな役にまでスターが起用され、彼らはきっちりと自分の仕事をしている。すなわち、“りりこ”という物語を描いていく筆のような存在に徹しているのだ。

蜷川実花っぽい、毒々しさとカワイさが炸裂するポップなヴィジュアルの洪水のなかで女のたくましさと脆さ、ずるさ、愚かさ、潔さが渦巻いている。美しさはどこにあるのだろう? 美しさとは何だろう? キラキラ、ギラギラに埋め尽くされた、りりこの世界を見ながら、そんなことばかり考えていた。

『ヘルタースケルター』は7月14日より丸の内ピカデリーほかにて全国公開される。(文:冨永由紀/映画ライター)

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