『アシュラ』
その過激な内容から、絶対にアニメ化できないと言われたジョージ秋山によるコミック「アシュラ」が、ついにアニメ映画化された。とはいえ、これほどアニメーションに向いた作品はないともいえる。
命を育む温かな日の光に、全てを枯らし滾(たぎ)る日射、優しく強く降る雨や村を覆い尽くす雪など、恵みとも脅威ともなりうる自然の描写。雷や嵐、炎といった激しい情景には心象を乗せ、さらには主人公アシュラの獣の動きや、彼の持つ斧の怪しい光にケダモノを思わせる瞳の揺らぎを映し出す。
「アシュラ」には、アニメだからこそ描き出せる点がもともと多く、映画版『アシュラ』は、これらの映像面で高い完成度を見せる。技術的には水彩画をCGによって動かすという手法が取られており、人間の真理を見つめながらファンタジーでもある本作にマッチ。際立つ闇も印象的だ。
1970年に連載を開始した原作コミックは、有害図書指定を受けた。現在は文庫でもその内容を知ることができるが、アニメ化できないと言われてきた最大の理由は、“食人”というタブーを真っ向から扱っているため。加えて、幼い獣であり少年であるアシュラの口から、幾度も「生まれてこないほうがよかった」との言葉を吐かせる。目を向けられない人も多いだろう。しかし「アシュラ」には、蓋をして覆ってしまうのではなく、人間の業や欲、愛や命そのものを描き、考えさせうる可能性が潜んでいる。
15世紀中期、戦や飢饉で荒れ果て、人が人を喰らう時代に産み落とされたアシュラ。極限に追い込まれ気がふれた実の母によって、その赤ん坊は炎のなかに放り込まれる。唯一残った“食べ物”として……。その後、彼はただひとりきりで、獣として生き抜いてきた。その目には人間も動物も同じ“肉”にしか映らない。
映画版では、主要な人物をぐっと絞っている。そのことで、アシュラを含む人々、ひいては人間そのものの業を描くというよりは、アシュラにフォーカスした感が強い。彼にアシュラの名を与え(原作とは異なる)、南無阿弥陀仏の念仏を教え、人間には心があると説いてみせる法師。アシュラに愛情を注ぎ、そのことで同時に彼のなかに苦しみを生むことになる心優しき女性・若狭。彼らとの出会いによって、アシュラの殺生には違いが訪れる。
前半は、生きるため、獣として人肉をただ喰らうための殺し。だが後半、彼が人を殺めるのは、寂しさや独占欲、怒りといった人間の感情を身に抱えたがゆえの哀しき結果である。この違いはとてつもなく大きい。また、映画では若狭に非常に重要な役割を担わせた。クライマックスに訪れる、人が人たりうる葛藤を描くシーンで、映画は原作とは全く異なる答えを出しており、興味深い。
しかし、ラストに提示されるアシュラの行く末があまりにも唐突。ここは映画なりの、その道に到る変化なり、せめてヒントなりを、上映時間を30分ほど長くしてでも描くべきだったのではないか。あえて描かずに、見る者に考えさせる方法もあるだろう。若狭の答えが彼に大きな影響を与えたこともよく分かる。だがしかし、この道程はもっと大切に扱い、もっともっと踏み込むべきだったと筆者は思う。とはいえ、アニメーションとしての水準の高さは評価したい。(文:望月ふみ/ライター)
『アシュラ』は9月29日より全国公開される。
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