(…前編より続く)
『ロイヤル・コンセルトヘボウ オーケストラがやって来る』
たとえば本作の冒頭に出てくるエピソード。ブルックナーの「交響曲第7番」で、たった一度しか出番のない打楽器奏者の話だ。1時間以上におよぶ長大な交響曲において、シンバルを一打するためだけに彼は舞台に立ち、“その時”がくるのを待ち続ける。
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ある意味で孤独との戦いのように思える彼の役割を、ホニグマン監督はアルゼンチン・ブエノスアイレスでRCOの演奏を心待ちにするタクシー運転手の日常と対比する。1日12時間クルマを走らせる彼にとって、音楽は孤独から抜け出すための唯一の手段。世界有数のオーケストラの楽団員といえども、聴衆と何ら変わらない孤独感を抱えていることを端的に示す印象的なくだりだ。
また、今回のワールドツアーで初めての公演が実現した南アフリカ・ヨハネスブルクでプロコフィエフ「ピーターと狼」を演奏するエピソードにもシリアスな意味が込められている。
ヨハネスブルクのソウェト地区は、南アフリカのアパルトヘイトを象徴する場所。現在も根深い人種問題を抱えていることで知られている。若い女性がひとりで歩けないほどにレイプや誘拐事件が横行するこの地で、“恐ろしい狼”に立ち向かう少年の物語が高らかに演奏されることにより、現地でスチール・ドラムの演奏を楽しむひとりの少女は音楽的な視野を大きく広げていく。
そのほかにもショスタコーヴィッチ「交響曲第10番」に秘められたソビエト連邦の独裁者・スターリンによる恐怖政治の記憶について分析するコントラバス奏者と、そのスターリンによる大粛清で父親を失った老人がマーラーの「復活」に耳を澄ますシーンなど、本作は演奏者と聴衆、そして楽曲を有機的に結びつけるたくさんのエピソードで彩られている。一度は耳にしたことのある有名な旋律も、本作を見た後では聴こえ方が少し違ってくるはずだ。(文:伊藤隆剛/ライター)
『ロイヤル・コンセルトヘボウ オーケストラがやって来る』は1月30日より全国順次公開される。
伊藤 隆剛(いとう りゅうごう)
ライター時々エディター。出版社、広告制作会社を経て、2013年よりフリー。ボブ・ディランの饒舌さ、モータウンの品質安定ぶり、ジョージ・ハリスンの 趣味性、モーズ・アリソンの脱力加減、細野晴臣の来る者を拒まない寛容さ、大瀧詠一の大きな史観、ハーマンズ・ハーミッツの脳天気さ、アズテック・カメラ の青さ、渋谷系の節操のなさ、スチャダラパーの“それってどうなの?”的視点を糧に、音楽/映画/オーディオビジュアル/ライフスタイル/書籍にまつわる 記事を日々専門誌やウェブサイトに寄稿している。1973年生まれ。名古屋在住。
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