不遇の時代を経て栄冠をつかんだ映画音楽の巨匠、モリコーネの素顔に触れる濃密な時間
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91歳で逝去したマエストロに迫る『モリコーネ 映画が恋した音楽家』
【映画を聴く】エンニオ・モリコーネの50年を超える音楽キャリアを追ったドキュメンタリー映画『モリコーネ 映画が恋した音楽家』は、早朝から仕事を始める彼の日常のひとコマで幕を開ける。カチ……カチ……カチ……と、時計の秒針と同じぐらいの速度でリズムを刻むメトロノームをバックに、ルーティンのストレッチ運動をこなしてから仕事部屋の椅子に座り、淡々と五線紙に音符を書き始めるマエストロ。壁棚は大小様々な判型の書籍とレコード、CDでびっしりと埋まっていて、机のまわりにも資料や譜面が雑然と積まれている。
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ピアノも弾かず、ただ机に向かって集中してペンを走らせるその佇まいは、作曲家というよりも小説家のように見えるが、頭の中では完璧に編曲されたフルオーケストラのサウンドが鳴り響いているのだろう。誰もいない早朝の部屋でおもむろに椅子から立ち上がり、目を閉じてタクトを振る素振りを見せる。残念ながら本人は2020年7月、この映画の公開を待たず91歳でこの世を去ってしまったけれども、本作で見ることのできる80代後半のモリコーネはいまだ創作意欲に満ち、エネルギッシュだ。大きなジェスチャーに鼻唄を交えながら自作について語る様子には、巨匠らしからぬチャーミングさが滲み出ている。
モリコーネ音楽の集大成ともいえる『アンタッチャブル』
『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『遊星からの物体X』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』『ミッション』『ニュー・シネマ・パラダイス』『海の上のピアニスト』などなど、生涯で500本以上の映画・テレビ音楽を手がけた圧倒的な多作家なので、最初に思い浮かべるモリコーネ作品は人によってまちまちだろう。
1973年生まれの筆者の場合、最初にエンニオ・モリコーネという作曲家の名前を意識したのは1987年公開の『アンタッチャブル』だったりする。この作品で聴ける軽快なリズムと過剰なほどのドラマ性、さり気なく挟み込まれる実験性は、いま思えばモリコーネ音楽の集大成と言っていいもので、特にグラフィカルなタイトルバックと、シカゴ・ユニオン駅の大階段におけるクライマックスの銃撃シーンは、映画や音楽に興味を持ち始めたばかりの中学2年生にとって強烈な余韻を残す映画体験、音楽体験になった。
アカデミー賞からは長らく無視され、坂本龍一と賞レースで競い合い…
映画の中でも語られているように、映画音楽家としてのモリコーネは、手がけた作品数と実績に対して不当に評価が低い時期が続いたことで知られる。中でもアカデミー賞からは長く“無視”され続け、先の『アンタッチャブル』は、1978年の『天国の日々』、1986年の『ミッション』に続く3度目のノミネートだったが、この時も作曲賞は『ラストエンペラー』を手がけた坂本龍一とデヴィッド・バーン、スー・ツォンに譲ることとなった。『ラストエンペラー』の監督は、『1900年』ほかでモリコーネを起用したベルナルド・ベルトルッチ。2013年に日本で刊行された著書『エンニオ・モリコーネ、自身を語る』(河出書房新社)によれば、彼は『ラストエンペラー』でベルトルッチに声をかけてもらえなかったことを、スタンリー・キューブリック監督の『時計じかけのオレンジ』を行き違いで担当できなかったことと同じぐらい悔やんでいたという。
この件については、坂本龍一も2009年に刊行した自伝『音楽は自由にする』(新潮社)の中で振り返っている。当初は俳優としてのみ関わる予定だったが、ベルトルッチ監督から急遽音楽を付けるよう要請され、しかも与えられた期日が3日しかなかったことから難色を示したところ、監督に「エンニオはどんな音楽でもその場ですぐに書いたぜ」と言われて引き下がれなくなったという。モリコーネの凄さとベルトルッチからの信頼の厚さを物語るエピソードだ。ちなみにモリコーネと坂本はその後も賞レースで競り合っており、2015年のゴールデングローブ賞作曲賞では、坂本が担当した『レヴェナント 蘇りし者』をおさえて、モリコーネが担当した『ヘイトフル・エイト』が栄冠を勝ち取っている。
タランティーノ監督作で初の栄冠、芸術性と娯楽性が共存する作風は不変
クエンティン・タランティーノ監督の『ヘイトフル・エイト』は、結果的にモリコーネ初のアカデミー賞作曲賞受賞作品に。今回の映画でも、その時の受賞シーンはクライマックスに置かれている。芸術性と娯楽性が共存するモリコーネらしい作風はこの『ヘイトフル・エイト』でも不変で、一触即発な悪漢たちの駆け引きをストリングスの不穏な和声感が見る者を煽る。ここぞというところで鋭く鮮やかに切り込みをかける管弦セクションについても、映画の中で語られるトランペット奏者だった父親とのエピソードを思うと感慨深い。
タランティーノに「彼は現代のベートーヴェン、モーツァルト、シューベルトだ」と称賛されても、「そんなことは200年経ってみないと分からない」と冷静に答えるモリコーネ。シャイで人前に出ることを好まなかったというが、この映画で見られる彼の語り口は穏やかでありながらエモーショナルで、ほのかなユーモアも散りばめられている。タランティーノのほか、2018年に亡くなったベルトルッチ、クリント・イーストウッド、オリバー・ストーン、ウォン・カーウァイ、ジョン・ウィリアムズなど、70名以上の著名人による証言も、この物静かな天才作曲家の素顔を知る手がかりになる。「映画が恋した音楽家」という副題に改めて納得させられる、濃密な157分である。(文:伊藤隆剛/音楽&映画ライター)
『モリコーネ 映画が恋した音楽家』は全国順次公開中。
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