特殊な性癖の人々を切り捨てる検事であり父親を演じた稲垣吾郎
【この俳優に注目】先頃開催された第36回東京国際映画祭で観客賞と最優秀監督賞を受賞した『正欲』は、様々な境地にいる男女5人を中心に、異なる問題を抱えて生きる苦しさを“多様性”の一語で括っておけば一安心、という社会のあり方に一石を投じる作品だ。
稲垣吾郎が同作で演じるのは不登校になった息子の父親でもある検事の寺井啓喜。息子に迎合すれすれまで寄り添おうとする妻とは意見が食い違い、さらに担当する案件を通じて特殊な性癖を持つ人々の存在を知っても「ありえない」と切り捨てようとする。自分の正義について疑いを持ったこともない。だが、父として、法に関わる者として、寺井はそれまで見えていなかったものと向き合うことになる。
・稲垣吾郎の“普通の人”役が魅力、今泉力哉監督作『窓辺にて』
生活感を漂わせないのに、家庭を持つ男性の役が似合う
稲垣吾郎が父親を演じるのを初めて見たのは、2004年の『プレミアムステージ特別企画9.11』(CX)だった。稲垣は2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロに巻き込まれて亡くなった杉山陽一氏を演じた。国民的アイドルとして華やかに活躍する彼が、家庭を持つ銀行員という役に合うのだろうかと見る前は思ったが、家族を愛し、仕事に打ち込む一社会人の誠実さを丁寧に表現し、その後に訪れる悲劇の惨さを印象づけた。
以前に稲垣の演じる普通の人は絶品だと書いたことがあるが、本人はあまり生活感を漂わせないにも関わらず、家庭を持つ男性を演じる彼はいつもすごくいい。それぞれの家庭の事情や背景が、見ていて自然に入ってくる。映画ならば『桜、ふたたびの加奈子』(2013年)や『半世界』(2019年)でのドキュメンタリーのようにナチュラルな家族の日常、あるいは外見をかなり作り込んでドラマティックに演じた『おしん』(2013年)のような父親像もある。
“わからず屋”の揺らぎを表現、微かな希望をも与える
今回演じたのは、登場人物たちの指向や癖について、「そんなことが」と驚く大多数の観客の側に立つ人物でもある。いやむしろ、この映画を選んで見にくる人たちよりも頑迷なわからず屋かもしれない。だが、稲垣の演技はただわからず屋なだけではない複雑さをもたらす。物事を白黒で単純に割り切れると疑わずに生きてきた人物が「そうではないのか?」と思い始める。その揺らぎが伝わってくる。
これは一方的な先入観でしかないが、稲垣吾郎という人は他者の自由に対してはもっと寛容ではないかと思う。故に、マジョリティの象徴である寺井の内にある歪みを客観的に捉えて体現する。これほど極端ではなくとも、今の時代は表向きには理解を示しても本音の感覚は寺井と変わらないというのが、“現代の普通”の本性なのでは、と思わせる。役になりきることが演じている人物に対する批評にもなる、そんな可能性を感じた。
などと書いていたら、稲垣本人は寺井について自身の「パブリックイメージに近い役」と文春オンラインのインタビュー記事で語っていると知って驚いた。
こちらは、寺井と稲垣吾郎は最もかけ離れていると思っていた。何度かインタビューした際の稲垣本人は、相手の言葉に耳を傾けて、違うと思えば自分の意見を述べる。だが、そこで「ありえない」と言下に否定する人ではないだろう。そんな自分にとっての稲垣吾郎像を、誰もがそう思っているパブリックイメージだと考えていたのだが、そういうわけではなさそうだ。
そこで『正欲』という物語を思い出す。“普通”という横暴に脅かされる人々を通して、わかった気になるという驕りについての警告も描いている。他者を理解するのは途方もなく難しい。映画を見ながら、そんなことは不可能にさえ思える絶望が頭をもたげる。だが、誰かをわかりたいと思うのは自由だし、大切なこと。寺井という人物に、稲垣吾郎はそんな微かな希望をもたらす役割を与えている。(文:冨永由紀/映画ライター)
『正欲』は、2023年11月10日より全国公開中。
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