アラン・ドロンが88歳で死去「子どもたちと孫たちに囲まれ、自宅で静かに息を引き取りました」

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「La Cinémathèque」Instagramより(@cinemathequefr)
「La Cinémathèque」Instagramより(@cinemathequefr)

近年は遺産分割めぐる実子の争いなど私生活の騒動が伝えられていた

『太陽がいっぱい』など数多くの名作に主演し、フランスを代表する映画スターのアラン・ドロンが18日(現地時間)、フランス中部のドゥシーにある自宅で亡くなった。享年88

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2019年に脳卒中で倒れて以来、闘病を続けていたドロンだが、近年は遺産分割をめぐる実子3人の争いや、昨夏にドロンが同居していた日本人女性と実子たちの争いも起き、私生活の騒動が世間に伝えられていた。

AFP通信に実子3人が連名で声明を発表した。ドロンの愛犬ルーボの名前も添えてある。「アラン・ファビアン、アヌシュカ、アントニー、そしてルーボは、深い悲しみをもって、父の死をお知らせします。彼は3人の子どもたちと孫たちに囲まれ、ドゥシーの自宅で静かに息を引き取りました。『太陽がいっぱい』や『サムライ』の俳優は、聖母マリアや大切にしていたスターたちのもとへ旅立ちました。彼の家族は、喪に服すこの非常に辛い時期にプライバシーを尊重してくださるようお願いいたします」。

ドロンは18日未明にこの世を去ったという。

1950年代にデビューし、完全犯罪を目指す若者を演じた1960年の主演作『太陽がいっぱい』の大ヒットで世界的スターとなり、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』や『山猫』、『冒険者たち』や『サムライ』、『ボルサリーノ』などで活躍したドロン。1990年代後半からは映画出演は減り、劇映画ではカエサルを演じた『アステリックスと仲間たち オリンピック大奮闘』(08年)、本人役で登場した『Toute resemblance…(原題)』(19年)が晩年の出演作だ。

20195月、カンヌ国際映画祭で名誉パルムドールを受賞した際には「没後に贈られる賛辞のようです。私はまだ生きているけれど」とスピーチしていた。

日本にもファンが多く、1970年代にはCMにも出演、また200710月には来日してバラエティ番組「SMAP×SMAP」の人気コーナー「ビストロSMAP」にゲスト出演した。その際にも語った持論が「私はアクター(acteur)で、役者(comédien)ではない」というもの。

フランスの映画アーカイブ「La Cinémathèque」はSNSのアカウントで、ドロンの残した持論を引用して追悼した。「私はアクターです。役者は演じ、そのために何年も学ぶのに対して、アクターは生きていく。私は常に役を生きてきました。演じたことはありません。アクターとは偶然です。私は偶然です。私の人生は偶然です。私のキャリアは偶然です」。