1964年、台北生まれ。1988年からプロの写真家として活動を開始し、90年に政府機関の航空写真家となる。04年、ジョニー・ウォーカーの「The Keep Walking Foundation」プロジェクトで最優秀賞受賞。翌05年にはORBIS基金の招請を受け、「フライング・アイ・ホスピタル」ミッションのスポークスマンに就任。09年8月、自国がモラク台風の大被害を受けたことをきっかけに、台湾の現状に危機感を覚え、政府機関を退職。台湾の環境と今を記録するため、本作品の撮影を始める。自宅を売るほどの資金難に舞われたが、壮大な企画に賛同したホウ・シャオシェンがエグゼクティブ・プロデューサーに就任、撮影資金の目処がつき、完成にこぎつけた。映画初監督作品で第50回金馬奨の最優秀ドキュメンタリー賞を受賞。
空中を漂うカメラがとらえた台湾の風景。美しい山や海、田園地帯が映し出される一方で、環境破壊の実態も浮き彫りになっていく──全編空撮で撮影されたこれまでにないドキュメンタリー映画『天空からの招待状』は、2013年の台湾で興行収入第3位を記録し、100万人以上を動員した大ヒット作品だ。
監督したのはチー・ポーリン。公務員として20年以上、航空写真を撮影してきた彼は、なぜ安定した地位を投げ捨て、映画製作に挑んだのか? 自宅を売るほどの資金難を乗り越え完成させた本作について、ポーリン監督に話を聞いた。
監督:私は以前フリーのプロカメラマンとして宣伝用の商品写真や不動産広告用の建築物の撮影をしていたのですが、家族は私が安定した定職に就くことを望んだので、空中撮影という特技を生かし、中華民国交通部国道新建工程局に採用されました。
当初は美しい台湾を空撮していましたが、ここ最近の台風や自然災害、あるいは人間の自然破壊により、実際には台湾の美しさが損なわれていることに気付きました。美しい台湾が失われていくことに大きなショックを受け、私が空から見たありのままの台湾を他の人に伝えようと思いました。熟考の末、空から台湾の現状を撮影した記録映画を作ろうと考えたことが、この映画を制作するきっかけです。
監督:23年間公務員として働いていました。一般的な考えでは公務員のまま退職すれば政府から恩給などが支給されます。私もあと2、3年で退職を迎え恩給をもらえましたが、この台湾の現状を早く人々に伝えることが必要と考えました。退職してから制作を始めたのでは遅すぎるとも感じました。それに退職してからでは私の体力も衰え、目も悪くなり、同時に私の意志も恐らく薄れていくので、完成できないと感じました。自分の子どもや家族に「お父さんはやり残したことがある」と話したくありません。自分も一生後悔することになるでしょう。1年間考えて記録映画を撮影することを決心しました。
もっとも大きな転機は2009年に台湾がモラク台風に襲われ3日間雨が降り続き3000ミリの雨量を記録したときです。台風が去った後に被害状況を空撮しましたが、そのときの光景に衝撃を受けました。まるで世界が終わったかのように思え、空撮している最中に初めて涙を流しました。自分の愛する国が甚大な被害を受けたことで、仕事を辞めて映画の制作を始めようと決心しました。
監督:最終的には、私の経験不足も要因となり9000万台湾ドル(1台湾ドルは約3.8円)かかりました。この映画はすべてヘリで空撮した映像なので、一般的な記録映画とは異なります。とにかくヘリの費用は莫大でした。台湾ではヘリのチャーター費が高いので当初は5000万から6000万台湾ドルが制作に必要になると試算しました。私個人で調達するのはとてもムリです。
最初は、空撮では私の名前が通っていると考え、企業や環境保全で興味のある個人に話を持ちかけました。しかしほとんどの人が私を知らず、私の構想を伝えても実現不可能な夢物語と言われました。今でも覚えていますが、ある企業家に話しを持ちかけたところ、その企業家からこう言われました。「君たちクリエイティブは他人から金をもらうことばかり考え、なぜ自分で稼ごうと考えない」「すばらしい作品があるので、その作品を売って資金を集めればいいのでは?」「なぜ私が稼いだ金で、あなたの夢を叶えるのか」。その言葉を聞いたときはショックでしたが、落ち着いて考えると正論です。「なぜ他人の夢を叶える為に金を出すのか」。この言葉に考えさせられ、家族と相談して家を担保に金を借りることにしました。しかしあまり借りられず、現在の“阿布電影”の社長である萬冠麗さんに話を持ちかけ私の構想を伝えたところ彼女は賛同してくれました。中小企業ながらも彼女はボランティア活動や援助活動に積極的だったので、この映画を通じ多くの人に台湾の現状を伝えられると彼女は思い、資金協力に賛成してくれ、私と協同で“阿布電影”社を立ち上げました。実際に制作を始めると予想以上に金がかかり予算をだいぶオーバーしてしまいました。
監督:20数年間、空撮に従事しましたが、すべてスチール写真です。ムービーは初めてだったので技術的に問題がありました。最初に空撮でムービーを撮影したときは、残念ながら画面が揺れっぱなしで使い物になりませんでした。高い費用を使ってヘリで撮影しましたが、撮れた映像はすべて揺れていました。でもハリウッド映画やBBC、ディスカバリーの映像を見ると画面は安定して動物を捉えた映像などはとても美しいですよね。色々と調べるうちに空撮システムの存在を知り、アメリカの空撮システムを販売する会社に連絡を取りましたが、言葉の問題などもあり交渉は困難でしたが、最終的にアメリカからシステムを買いました。システムの費用だけで約70万米ドルしましたが、私にとって大金です。でも私には台湾の現状を記録に残し人々に伝える使命がありますので、すぐにシステムを買いました。システムの名称は「シネフレックス」。日本ではすでに使われていましたが、その他のアジア地区では私が初でしょう。
空撮は誰にでもできる簡単なことではなく、ヘリの費用もさることながら、台湾の天気もやっかいでした。台湾は島国の気候なので、天気が安定していません。その点では日本がうらやましいです。それに台湾で使えるヘリは最新式ではないため、山に近づくと大きく揺れるため撮影中も大変恐ろしく苦労しました。でも私には使命があるので、空中ではあまり恐怖を感じず、ヘリを降りてから恐怖を感じていました。撮影中は夢中なので、降りてからのほうが怖いんですよね。天候以外はシステムの操作方法にも苦労しました。台湾には慣れている人がおらず、自分なりに手探りで操作方法を覚えました。この映画を制作している間にNHKやソニー、東芝から依頼されて宣伝用の映像を空撮しました。すべて私が使っているシステムで撮影しました。ゆえにムービーの空撮においても私は台湾の第一人者と言っても過言ではありません。
監督:私は映画業界の出身ではありません。資金集めも困難でしたが、映画となると制作を指揮する人物が必要なのでホウ・シャオシェン氏に声をかけました。幸いにも彼は私の構想に賛同してくれ仲間に加わることを快諾してくれました。私が約1年かけて作ったものをホウ・シャオシェン氏に見せました。内心では褒めてくれると期待していましたが、結果はまったく逆でした。映像処理など不十分なポイントを色々と指摘され、自分の未熟さを感じとても助けになりました。彼もこの作品が順調に完成することを望んでくれました。
監督:周りのスタッフや映画ファンに西島秀俊さんがナレーションに決まったと伝えたところ、皆、悲鳴を上げ、とても喜んでくれました。日本語版を拝見しましたが、素晴らしい声で感動を受けました。西島秀俊さんは日本語吹き替え版に最も適した人物です。
監督:台湾と日本はとても良い関係です。この映画を通じてもっと私の故郷である台湾を理解していただければ幸いです。環境問題に国境や言葉の壁はありません。ぜひ、劇場でご覧ください。
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