1963年デリー生まれ。テレビのCFディレクター職を経て、2001年、『Aks(影)』で映画監督デビュー。2009年、混沌としたデリーの下町を舞台に、アメリカ育ちのインド系青年が善悪二面性のある世界を知っていくというストーリーの『デリー6』を発表し批評家から絶賛される。
『ミルカ』ラケーシュ・オームプラカーシュ・メーラ監督インタビュー
国民的英雄の真実を描きインドアカデミー賞14部門独占した感動作を監督が語る
400メートル走のワールドチャンピオンで、インドの国民的英雄と呼ばれた陸上選手、ミルカ・シン。だが彼は1960年のローマオリンピックで失態を演じ、期待されていたメダルを逃してしまう。なぜ彼はゴール直前で背後を振り返ってしまったのか? その裏に隠された彼の激動の人生を描いたのが『ミルカ』だ。
インドとパキスタン分離独立の悲劇で両親を失い、避難民のひとりとなった少年が、やがて一流のスプリンターに成長、平和を希求するシンボルになっていく姿を映画化したのは、『デリー6』(09年)で絶賛されたラケーシュ・オームプラカーシュ・メーラ監督。メーラ監督に、作品に込めた思いなどを語ってもらった。
監督:彼が全てを失ったとき、頼れるものが自分自身だけでした。ミルカは12歳で家族や守ってくれる人を失い、何かに保障されることもありませんでした。そのなかで、彼は戦うこと人生においてどう生き抜いていくか、食べていくためにどうやって世の中で賢く生きていくかという力を身に着けたんですね。そして、その生き抜く力が、軍隊に入っても役に立ち、陸上で活躍するという機会をもたらします。足に石が食い込んでも試合前に暴行されても、彼にとってそれは些細なことであって、それを乗り越えるだけの力を身に着けてきました。彼が全てを失って身に着けたことは、常にあきらめず立ち向かっていくということだったのだと思います。また、軍隊の仲間が家族のように接してくれましたし、コーチも弟のようにかわいがってくれ、お姉さんも精神的な支えとなってくれました。首相も家に招いていくれたり、そういうサポートがあって、彼はインドのヒーローになったのですが、彼がここまでのし上がってきたのは、彼の内なる強い意志だったと僕は感じます。
──ミルカを演じたファルハーン・アクタルはボリウッド随一のマルチタレントで、最近では俳優としても成功しています。本作への出演に当たっては、体脂肪率5%という驚異の肉体改造を成し遂げ、一切の贅肉をそぎ落とした見事なボディを披露していますが、彼への演技指導はどんな風に行いましたか?
監督:彼には2つのアドバイスをしました。1つめは見た目。何をしろというよりも、何をするなという指示を出していました。たとえば、朝遅くまで寝ているな、とか朝起きてトレーニングを8ヵ月続けろ、とか、こういうものを食べるなとかそういう指示をしていました。食生活では、パンを食べるなとか、魚とブロッコリーしか食べるなとか。インドの食事は、日本とは違ってたくさんのスパイスをつかっているので、彼にとっては大きな変化だったと思います。また、ライフサイクルを変えると、友だちに会えなくなります。彼らの生活は夜9時からスタートするかもしれないけど、トレーニングをしていたら夜9時に就寝しなくてはならない。そういう変化にも彼は適応してくれました。トレーニングは、コーチをつけて、食事制限、スピードと瞬発力をつけるために長距離と短距離それぞれにコーチをつけました。
2つめは精神的なことです。朝起きた時に2012年ではなく、1950年代に起きたと思って、インターネットや携帯電話のない生活、都市生活から距離を置いて暮らすようにと指示を出しました。また、僕自身も彼と同じように生活をしていました。ミルカの気持ちになってもらうために、常に君は家族も友だちも失ったんだよと言い聞かせていました。その状態で約8ヵ月過ごしたうえで、撮影に入りました。
彼は映画作りのプロセスをよく分かっていて努力してくれたので、本作は高く評価してもらえたんだと思います。
一方、大変だったのは子役探しです。3200人くらいオーディションをして、それでも希望通りの少年に出会えず。たまたま、ロケハンでケータリングにきていた子に声をかけました。役者でもない子を見つけるなんて、本当にいい縁だったと思います。彼に決まってからは、両親と離れてもらって、私と一緒に生活をしました。君はミルカを演じるんだよ、この国の兵士としてそういう役を演じ切るんだよと話していました。彼は頭の良い子だったので、すぐに理解してくれました。
監督:私は40年代や50年代のインド映画に影響を受けていて、それが「新しい波」と呼ばれるのは不思議に感じています。最近のインド映画には影響は受けていなくて、昔の映画の方により希望を感じ、社会か政治に関することが多かったのです。今みたいに、ラブストーリーばかりの映画ではなかったのですよ(笑)。人生というのは色とりどりなので、ラブストーリーやアクションだけでは描けるとは思えないんです。
自分がなぜ「新しい波」と呼ばれるかというと、常に変化に気を置いているからだと思います。作品も毎回違ったものを撮っている、一度語ったことは繰り返す必要はないと思っていますから。他の監督の方はそういった表現をあまりしていないので「新しい波」と呼ばれているのかもしれません。
それから、失敗を恐れず向かっていく気持ちがなければ、成功を手に入れることはできないと思っています。成功も失敗も自分がコントロールできるものではないので、ただベストを尽くして臨むしかないと思いますね
監督:歌って踊る定番の作品が7割。そして、私が撮るようなアート系の作品が3割くらい。この比率はきっと変わらないのでしょうね。でもアート系3割の方の作品がしっかりと興収でいい数字を出せるようになったら、それは少し変わるかもしれないでしょうね。私はそれを目指して、これからも新作を撮り続けたいと思っています。
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