1993年、中国朝鮮民族自治州・吉林省延吉市生まれ。新潟県立大学卒業。ベルリン国際映画祭正式招待作品『Blue Wind Blows』で助監督を務める。在学中から、新潟市民映画館シネ・ウインドが刊行する映画雑誌で映画紹介文を書く傍ら、本作品の撮影・制作を行った。2018年3月から京都・大徳寺で書生として半年間居候しながら本作を編集し完成させた。現在は、京都の山の方で一人暮らし。カナザワ映画祭2019「期待の新人監督」にて本作品がグランプリ受賞。
日本に住む青年ソンウは、中国・延辺朝鮮族自治州・延吉市で生まれ、10歳のとき日本へ移住した。20歳になったのを機に、画家だった父を探す旅に出るが、中国の親戚は誰も父の消息を知らなかった。叔父の助けにより、韓国で18年ぶりに父と再会したものの、父は不法滞在者として日雇い労働をしながら借金取りに追われている身だった……。
『血筋』は、父と息子の物語を通して、世界で初めて「中国朝鮮族」についても取り上げたドキュメンタリー作品だ。監督は、現在26歳の角田龍一。完成まで6年の歳月を費やした渾身の作品について、監督に話を聞いた。
角田:最初のきっかけは、祖父母の遺影を撮ろうと思ったことです。僕は10歳のとき日本へ移住しましたが、その後も祖父母に会いに中国に帰っていました。会う度に、祖父母が老いていくのが目に見えて分かりました。死へ向かってゆっくりと老いゆく2人を見る度に、悲しみやあきらめに近い気持ちから、中国へ帰るのが億劫になりました。そこでせめて2人を映像に残しておこうと思ったのです。そして、どうせ撮るならわかりやすい物語を用意しようと。そこで思いついたのが18年間会っていなかった父親の存在でした。祖父母や親戚に父の事を尋ねたことがあるのですが、誰も語りたがらないうえに、いい顔をしなかったのが印象的でした。そしてみんな「お前は父に似ている」と吐き捨てるように言うのです。父をよく知らないからこそ、僕はより父の存在に興味を持つようになりました。この好奇心がもうひとつの原動力と言えます。
角田:人が一番興味を持っているのは自分自身です。では何故物語を欲するのかというと、他人事を通して自分の姿を見たいからだと思うんです。失恋や人の死に共感できるのは、その悲しみを一度は経験しているからです。経験したことのないことへの共感はとても難しいものになります。つまり「鏡」として物語の役割を考えると、僕という個人的な要素は鏡を曇らせるような気がするんです。だから他人事として突き放した方が観客も物語へ入りやすいのではないかと思いました。話は変わりますが、中国で自主上映したとき、観客の一人に「こんな映画見たことがない。Instagramのストーリーズ(SNS上で個人的な出来事を共有する機能)と、この映画は何が違うんだ」と聞かれたことがあります。中国でこの類の映画が公開されることはまずありえませんから、かなり衝撃を受けていた様子でした。この質問は作品への本質的な問いだと思います。Instagramのストーリーズのような身近な視点から出発し、そこから私情をなるべく排除して観客の視点へ徹したのが『血筋』であると言えます。
角田:僕という個人にそれほどの商品価値があるとは思えないんです。有名人でも何でもない見ず知らずの僕の「私情」に他人が興味を持つ理由がわかりません。それに僕はそういうタイプの作品があまり好きではないというのもあります。カメラを介しての感情表現は、どうしてもわざとらしく見えて胡散臭く感じます。映画として被写体と向き合っている時点で、観客的目線で撮っています。僕の撮影基準は「面白いのか、面白くないのか」ということだけです。劇中で撮影者である「僕」は終始クールで、被写体と一定の距離を保ち続けようとします。でも、やはり人間なので目の前の出来事に対して、ふとした瞬間にほころびが出てしまう。クールではいられなくなり、感情的になる瞬間があるわけですが、観客はそこに共感するんだと思います。
角田:リアルな現実を「エンタメ」にする作業です。僕にとって映画は娯楽なので、観客に楽しんで貰えるのが何よりも大切なことでした。でも、おっしゃるように、現実はいつも生々しい(笑)。現実の断片を映画という小さな入れ物に収めつつ、エンタメにすることが大変でした。それと、安易な主義主張を述べる社会派映画になってしまうのも避けたかった。「中国朝鮮民族」をテーマにしているので政治的な要素は出てきますが、それはあくまでも物語の背景として微かに感じるくらいにして、親子の物語へと集約させました。編集に4年費やしたというのは、生々しい現実を自分で咀嚼してクールダウンできるまでの時間だったいえます。
角田:撮った映像が80時間ほどありましたが、セリフはほぼ全て朝鮮語です。セリフの全てを日本語に翻訳して文字起こしする作業が大変でした。映像を見て怒りで震えることもあれば、号泣してしまうこともありました。現実を切り取った映像から伝わってくるエネルギーに僕自身が耐えきれないんです。でも僕が感じている怒りや悲しみは観客には絶対に伝わらない。映画という入れ物の小ささに歯がゆさを覚えていたのもこの頃です。観客へと伝えるには映像そのものを支配しなくてはならないんです。その第一歩として、映像に耐えうる強さが必要でした。それで、休み休み作業をしていたら2年ほど過ぎていました(笑)。不思議なことに、2年も経つと感情的になって観ていたシーンでも何となく笑えたりするんです。直観的に、この視点こそが観客的視点だと思いました。
角田:お寺に書生として居候しながら編集していました。風流に編集に勤しめるかなあと期待していましたが、現実は違っていました(笑)。早朝から庭掃除したり、草むしりをしたり……。そのほとんどが肉体労働でした。他にも現金収入を得るためにアルバイトもしていたので、映画編集は隙間時間を縫ってやるしかありませんでした。とても大変でしたが、全てが新鮮で良い経験になりました。例えば朝、庭仕事がひと段落すると、和尚さんが「ひと休みしいや」とお茶を立ててくれるんです。寒い日は飲み口が狭く分厚めの茶碗、暑い日は色が明るめの大きく薄い茶碗というふうに、季節に合わせて茶碗を選びます。それから茶菓子のほんのり残る甘さを口に忍ばせながら飲む抹茶は、何とも言えない贅沢でした。また、庭掃除をしていると、時の変化をひしひしと感じるんです。季節の花が開き、葉が落ちて、毛虫の毒針に気をつけながらムカデやネズミと戦わなくてはならない。その繰り返しの中で自分という存在が何であるのか考えさせられました。でも大変過ぎて、半年ほどで音をあげてしまいましたが(笑)。
角田:劇映画(フィクション)をつくりたいです。ドキュメンタリー映画(ノンフィクション)は被写体ありきのものです。幸運にも、『血筋』の被写体は魅力的な人物ばかりでした。その点で楽できた部分も多くありました。劇映画では魅力的なキャラクターを作り上げることも含めて、物語を構築することにチャレンジしていきたいです。
角田:大学在学中から作品制作しており、初期は自己資金で作っていましたが、作品の可能性を強く感じ始め、資金調達が必要だと思いました。いろいろな企業や社長に出資を募りましたが全く集まらなかったので、クラウドファンディングをすることにしたのです。新潟の映画館シネ・ウインドを中心としたボランティアスタッフ、母校である新潟県立大学の教授の方々、そして友人たちからご支援いただきました。
角田:奇妙な他人という感じです。良く知らないのにやけに親切にしてくる人という認識です。印象的だったのは、初めて握手した瞬間でした。見た目はスーツを着ていますが、握った手は明らかに労働者の手でした。ゴツゴツとしていて、マメだらけで。その瞬間「ああ、この人は何か隠してるんだなあ」と思いました。父が何を隠したかったのか、そして何を見せたかったのか、それらを見てみたいと思いました。
角田:難しい質問です。選べないという前提で生まれてきているので。もし選べるとしたら普通の父親がいいですね(笑)。普通の円満な家族への憧れはあります。ただ作家として「芸の肥やし」を得るという意味では良かったなあと思います。
角田:成功してもしなくても、何かしらサポートは必要だとは思っています。ドキュメンタリー映画は良くも悪くも被写体を傷つけて撮る部分があるので、作り手としての責務もあります。ですが、お金を渡すのは違うかなと思います。父のように「お金による愛情表現」ではなく、本質的なサポートが必要だと思ってます。
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