1987年3月20日生まれ、神奈川県出身。2000年に『ジュブナイル』でデビューし、数多くのドラマ、映画に出演。近年の主な出演作は『無頼』(20年)。ドラマ『青のSP−学校内警察・嶋田隆平−』、『ボイスII 110緊急指令室』など。主演作『辰巳』、『ハザードランプ』(22年)の公開を控えている。
『ONODA 一万夜を越えて』遠藤雄弥インタビュー
30年間、密林に潜伏し続けた男──人間の極限を演じた注目俳優を直撃
役作りで監督から「ちょっと痩せ過ぎ」の苦言…
1974年3月、フィリピンのルバング島から日本に帰還した元日本兵・小野田寛郎氏の約30年間に及ぶ潜伏生活を描いた『ONODA 一万夜を越えて』。フランスの気鋭、アルチュール・アラリ監督が父親から聞かされた日本兵の話から、ジャングルでの過酷な生活を通して人間の本質に迫っていく。
1944年にゲリラ戦指揮の命を受けて、フィリピンに渡った小野田と部下たちは終戦を迎えたことも知らず、ジャングルで潜伏生活を続ける。彼らは何を信じ、何を経験し、どんな境地に達したか? 実在の人物をテーマにしながらも、小野田を「あくまでも物語を動かす架空の人物」として、極限状態における心理、生きる意味、友情、そして戦争というものを描いている。
第74回カンヌ国際映画祭『ある視点』部門オープニング作品として上映され、現地で絶賛された本作で、陸軍中野学校二俣分校で学んだ後にルバング島で潜伏生活を始める小野田の青年期を演じた遠藤雄弥が、言葉の壁を超えた監督との関係、共演者との絆、オーディションから撮影終了までの長い冒険のような日々について、真摯に語ってくれた。
・遠藤雄弥、極限状態の日本兵演じた撮影を振り返る/映画『ONODA 一万夜を越えて』インタビュー
遠藤:フランスの映画監督が小野田寛郎さんを題材にした映画を作ろうとしていて、小野田の青年期のキャストを探しているという話をマネージャーから聞き、アルチュール・アラリ監督が来日した時にお会いさせていただいて、セッションをしました。
遠藤:そうですね。シナリオはある程度出来上がっていて、それを読んできてくれと言われて、最初から最後まで読ませていただきました。オーディションでどのシーンをやるのかは聞いていませんでした。
実は小野田さんのことは知らなかったんです。似た境遇の横井庄一さんがいらっしゃいますが、当時の僕は「どっちがどっちだ?」ぐらいの知識レベルだったので、こんな方がいらっしゃったことにまず衝撃を受けました。
遠藤:最初にごあいさつして、プロデューサーの方が通訳してくださいました。でも、実はそんなに話が盛り上がらず、すぐに「芝居を見せてください」と言われて、「うわ、あんまり盛り上がらなかったな」と思いつつ、そのままお芝居をやらせていただきました。だから、その時は監督とたくさん話ができたわけではなかったです。
遠藤:オーディションを受けた時に、監督の芝居の捉え方というか、見る集中力といいますか、それが役者としてはすごく心地良くて、この人と映画を作りたい、と心底思ったんです。終わり際には「坊主はもちろんですけど、減量も何でもするので、とにかく一緒にやりたいです」と気持ちだけは監督にお伝えしました。だから本当に感無量でした。あんなに良いクリエイターと映画作れるんだ、というのが僕としては本当にすごくうれしくて。一生に一度あるかないかの役と現場、作品になるだろうと、オーディションの時から思ってました。
遠藤:そうですね。1ヵ月ぐらい待った記憶がありますね。毎日ドキドキしながらマネージャーからの電話を待っていました。
遠藤:半年はあったと思います。シナリオを読み込んで、小野田さんがご自身で書かれた文献を読んだり、減量もしました。
監督は小野田像を通して、人としての在り方というものを伝えたいのかな、とも思いました。彼と話す中でも「シナリオに書かれているところからすごく遠くに離れた感情を見つけていこう」とか、「一緒に冒険しよう」とも言われました。
小野田さんについての文献も読みましたが、それは一つの情報というか、きっかけとして留めておくもので、“小野田さんはこういう人でした”と再現するというよりは、演じていて忘れた頃にその情報が少し出てきたらいいな、ぐらいの感じでした。いかに柔軟にいられるか、現場ではそこにすごく気を付けていました。
それから、減量して作品に臨むのは初めてだったので、新しいアプローチで楽しかったですね。
遠藤:気合いを入れ過ぎて(笑)。カンボジアでの撮影に行く前、1ヵ月前くらいかな、共演させていただくカトウシンスケさん(島田庄一役)と松浦祐也さん(小塚金七の青年期役)と喫茶店でお茶をしたんです。その時に松浦さんに「遠藤君、痩せ過ぎだよ」とすごい心配されて。僕の感覚はちょっと麻痺してたみたいで、「いや、ちょうどいいと思います」とそのままカンボジアへ行ったら、やっぱり監督が「遠藤さん、ちょっと痩せ過ぎた」「それだと(成年期の小野田を演じる)津田(寛治)さんが大変なことになる」と。
ほぼ順撮りの撮影で、「撮影しながら、また痩せなきゃいけないから、少し食べて太っていただけますか」と言われて、15キロくらい落としたのを、3〜4キロ増やして撮影に入りました。
遠藤:今回の小野田という役に関して、コンプレックスがあるんだな、と思いました。
まず冒頭で、彼は父親から「お国のために」と、当時の日本では普通だったのかもしれないですが、「敵の捕虜になるような事があれば腹を切れ」と祖父の小刀を渡されます。高所恐怖症で当時の花形であるゼロ戦航空兵になれなかった、すごく優秀なお兄さんがいるとか、コンプレックスがある中でイッセー尾形さんが演じる谷口少佐と出会う。たぶん彼は、父親より父親らしい父性を谷口少佐にすごく感じたんです。谷口少佐から逆のことを言われるんですよね、「死ぬな」「何としてでも生き延びろ」と。陸軍中野学校二俣分校という場で「君たちは特別なんだ」と言われる。彼は心酔して、初めて自分のアイデンティティをそこで見出すというか。この映画の中ではそれがずっと色濃く、津田さんが演じる成年期になっても、ずっとかたくなに戦時中だと信じて疑わなかった強い意志の一つとして、その出来事があったのかなと思います。
そういう“強く信じたい気持ち”と「違うんじゃないか」と言われて揺れ動く感情と、この役を通して本当にいろんな感情に出会えました。
遠藤:鮮明に覚えてますね。今までやってきた作品の中でも、やっぱり『ONODA』はすごく色濃い経験として残っています。
小学生で俳優デビュー「撮影ってこんなに楽しいんだ」
遠藤:通訳は本当に優秀で、澁谷悠くんという方なんですけど、彼自身もクリエイターとして短編を撮っているので、監督の細かいニュアンスを日本語に変えて僕ら役者に伝えてくれました。彼なしではこの作品は本当に成り立たない。
という一方で、オーディションの時から監督の芝居を見る集中力に、言葉とか文化を超えた、“シナプスがつながる”じゃないですけど、何かを感じたんですよね。それは現場でもずっとつながっていました。これは僕だけじゃないと思います。澁谷君の尽力、プラス役者陣と監督の信頼関係というか。すごく役者に寄り添っていただけるんです。その安心感とか信頼が大きかったのかもしれないです。
遠藤:それ、松浦祐也さん(小塚金七役)のことですか(笑)?
遠藤:これは笑い話ですが、松浦さんは相当なシネフィル(映画通)で、「戦争映画といえば、今回俺は『兵隊やくざ』がイメージだな」と言っていて、僕は「勝(新太郎)さんか……」みたいな(笑)。そういう笑い話もしつつ、シーンについて話し合っていました。
遠藤:松浦さんとは、洞窟の中で地図を見ながらやりとりするシーンがあって。すごく説明的なせりふの応酬だったんですが、感情表現や動きとか、いろいろなことを同時にやらなきゃいけなかったので、あのシーンに向けて松浦さんとずっと話し合っていました。「これはどういう意味なんだろう? 彼らの心理と妄想、どんな状態なんだろう」と。あとは単純に「せりふ入んないね」とか(笑)。
遠藤:はい。年相応な未熟さとか、いら立ちだとか、この局面だからこそ信じられたとか、そういう感情が4人に重なってああいう形になったと思うんです。シナリオを読んで、こうだと決めつけず、だからこそすごく自由に、監督も含めてみんなで探していけました。
遠藤:カンボジアに行く前は、僕ら4人で「籠(こも)ろう」と話してました。「寝泊まりぐらいはロケ地で野営組んで自分らでやろう」と言ってたんですよ。でも現地に行ったら、「これはちゃんとホテルとかでリセットしたほうが、むしろうまくいくな」という結論に達しました。
週休2日だったんです。土日はお休みで撮影が一切なくて、オフの時間もあったので、体を休めたりシナリオを読んだりすることができました。
遠藤:そうですね。身体的な部分でメリハリはつけていたのかもしれないです。休みの日も、夜はみんなでご飯を食べてたんですけど、やっぱり映画についての話が中心になりました。精神的にはずっと引きずってはいるけど、肉体的にはしっかり休んでやっていたのかな。
遠藤:そうですね。少なくとも、僕はすごく意識していましたね。
遠藤:映画の中の小野田には自分との戦いがあって、そのうえ彼らと対峙しなきゃいけない。権威を持って場を仕切らなきゃいけないのですが、一方で自分の弱さを彼らに見せることで結束させるシーンもあって。小野田も含めてみんなの気持ちが揺らぐ時、彼らをしっかり導いて行かなければと思って、小野田はあることをするんです。すると小塚が「隊長についていきます」と言う。
あのシーンもすごくドキドキしながら演じたし、ああいう状況の連続が4人の中ではあったので、できるだけ信頼することを意識していました。
遠藤:アルチュール監督から「見てほしい作品が何本かある」と言われて、市川崑監督の『野火』と、ヴェルナー・ヘルツォーク監督の『アギーレ/神の怒り』と『戦場からの脱出』を見ました。「なるほど」と思ったのは、どの作品も描いてるのは人間なんだなということと、冒険に近い作風というか。
戦争映画は不朽のジャンルで、僕もいろいろな作品を見てきましたが、監督のイメージしてるものを見ると、「そういうことなんだな」と思いました。
遠藤:胸がいっぱいになりました。カトウシンスケさん(島田庄一役)からも「本当に素晴らしい作品になったね」とLINEが来て。彼も感無量な気持ちになってるのはLINEの文脈からもひしひしと伝わってきました。カトウさんも井之脇(海)君(赤津勇一役)も松浦さんも、みんな作品に対しての愛情の強い俳優です。特別な、俳優としても人間としてもすごく濃い時間をシェアした仲間からそういった熱いLINEが来たりすると、撮影当時をいろいろ思い出します。改めて、この作品に携わらせてもらってほんとに良かったな、と心の底から思いました。
遠藤:映画のデビュー作は『ジュブナイル』という作品で、山崎貴監督の長編映画1作目だったんです。東宝の夏休みの大きな映画で、それもオーディションでした。
公開が2000年で、僕は当時12歳とか13歳。ほんと楽しかったんですよね。映画の撮影ってこんなに楽しいんだ、と子どもながらに思って。撮影時に『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』が公開していて、僕も共演の鈴木杏ちゃんも山崎監督も、スタッフもみんな『スター・ウォーズ』が大好きなんです。ライトセーバーの玩具を買ってきてくれて、現場でみんなで遊んだりして。気負わず映画作りをするところから、実はすべてが始まっていて。
だから『ONODA』という作品は、僕の中で原点が回帰したような感じです。単純に「楽しいね!」だけじゃないんですけどね、もう。大人になってしまった宿命はあるんですけど。本当に楽しんで、共演者とスタッフの皆さん、監督と映画作りをすることが久々にできたのかな。デビューの作品とは全然違うんですけど、楽しんだという点では同じなのかもしれないと思います。
遠藤:監督がこの小野田という役を僕にあてがってくれた、賭けてくれたのは、僕の人生観を見てくださったんじゃないかと思っています。そこが表現と直結しているんだという理屈がたぶん監督にもあって、僕にもあるんですよ。本当に、出会いだったし、縁だったと思うので、これからもいただける役に全力で自分の人生がちゃんと反映するような、後悔のない生き方をして、しっかり作品に埋没していきたいなと思います。
(text:冨永由紀/photo:小川拓洋)
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