『SAYONARA AMERICA』佐渡岳利監督インタビュー

細野晴臣のアメリカ初ライブを記録、コロナ禍の今こそ見たいドキュメンタリー

#SAYONARA AMERICA#ドキュメンタリー#佐渡岳利#音楽

佐渡岳利監督

モノローグ映像が2年前と今では大きく世界が変わってしまったことを示唆

細野晴臣のデビュー50周年を記念して公開された2019年の『NO SMOKING』から2年。同年5月と6月に行なわれたソロとしては初めてのアメリカ公演を収録したライブ・ドキュメンタリー映画『SAYONARA AMERICA』がいよいよ公開となる。

熱心なファンの方、『NO SMOKING』をご覧になった方ならご存知の通り、細野晴臣にとってアメリカは特別な国だ。戦後間もない1947年の東京に生まれた細野は、幼少期に家でかかっていたベニー・グッドマンのレコードをきっかけにアメリカのポピュラー音楽に目覚め、大滝詠一・松本隆・鈴木茂と組んだバンド、はっぴいえんどではバッファロー・スプリングフィールドやジェイムス・テイラーらのレコードから多くの音楽手法を体得。バンド解散後は、アメリカ文化への憧れから狭山の米軍ハウスに移り住んだことも知られている。

YMOでの活動、松田聖子や中森明菜への楽曲提供、エスニック・ミュージックやアンビエント・ミュージックへの傾倒、数々の映画音楽やCM音楽の制作を経て、2007年のアルバム『Flying Saucer 1947』からはブギウギやカントリーを基調とした、ルーツとしてのアメリカ音楽へ回帰。そういう意味で2019年のアメリカ公演は、10年以上続いたアメリカ音楽探求の旅の総決算的なイベントとなった。本編に収められた「I came here to thank for old American music(僕はアメリカの古い音楽に感謝するため、ここへ来ました)」というライブ中の本人の言葉が、何よりもそれを物語っている。

ここでは先の『NO SMOKING』と本作の両方を手がけた佐渡岳利監督に、制作の経緯や撮影・編集中のエピソードなどをお聞きする。NHKエンタープライズのエグゼクティブ・プロデューサーであり、これまでNHKで『細野晴臣イエローマジックショー』(2001/2019/2021年)や『スコラ 坂本龍一 音楽の学校』(2010~2014年)といった番組も担当してきた佐渡監督にとって、『SAYONARA AMERICA』はどんな作品なのだろうか?

細野晴臣ドキュメンタリー『SAYONARA AMERICA』の予告公開! NY、ロスでの貴重映像も

──『SAYONARA AMERICA』というタイトルは、細野さん自身の発案だとうかがいました。50年以上にわたる細野さんの音楽キャリアを集大成するような、素晴らしいタイトルですね。

監督:確か編集作業のごく初期の段階で「タイトル、どうしようか?」という話になり、その時に細野さんから出てきたのがこの『SAYONARA AMERICA』でした。「これしかない」という素晴らしいタイトルだと思いました。このタイトルが出てきたことで、細野さんのキャリアにおけるこの映画の位置づけや、作品としての編集方針がはっきりと見えたんです。

──今回のアメリカ公演は、2019年の『NO SMOKING』でも一部の映像を見ることができましたが、もともと連作として企画されていたのですか?

監督:はっきり決まっていたわけではないのですが、「ライブはライブで映像作品としてまとめたいね」という話は当初からありました。

『SAYONARA AMERICA』
2021年11月12日より全国順次公開
(C)2021“HARUOMI HOSONO SAYONARA AMERICA”FILM PARTNERS
──2021年に撮影された映像とモノローグも加えられていますね。

監督:はい。ライブは2年前、つまりコロナ以前のことになるので、何らかの形でコロナ以降の現在の視点も入れたいというのは、細野さんも僕も同じでした。そんな中、細野さんからギターを爪弾く映像とモノローグをご自身で撮ってくださったんです。これを入れることで、2年前と現在で世界が大きく変わってしまったことを明確に示すことができました。ポスターなどにも入っている「In Memories of No-Masking World(マスクがなかった世界を偲んで)」という言葉も細野さんが考えたものです。

SAYONARA AMERICA

「僕の人生の中で一番“アメリカ”を感じた夜」というファンの声が印象的

──2019年5月28日/29日、6月3日の3日間にわたって行なわれたアメリカ公演のうち、6月3日のLAマヤン・シアターでのパフォーマンスは、2021年2月にライブ・アルバム『あめりか/Hosono Haruomi Live in US 2019』としてリリースされました。今回の『SAYONARA AMERICA』はそのLA公演をベースに、2019年5月28日/29日のNYグラマシー・シアターでの演奏を追加する形でまとめられています。ライブ・テイクのチョイスも細野さん自身によるものですか?

監督:そうですね。演奏自体はNY公演も素晴らしかったのですが、細野さんはLA公演の方が録音等がベターだと判断なさったようです。それで『あめりか』に引き続き、映画でもLA公演をメインに使うことになりました。

 

──現場の雰囲気はどんな感じでしたか?

監督:とてもホットでしたね。ほとんどが現地の人で、日本人はほぼいませんでした。それでも日本の熱心なファンと同じように、細野さんのことを本当によく知っているし、日本語の曲も英語の曲も関係なく楽しんでいる。改めて細野さんの音楽のすごさを実感しました。

SAYONARA AMERICA

──ライブに訪れた若いファンが「僕の人生の中で一番“アメリカ”を感じた夜だったよ。ノーマン・ロックウェルの絵を見ているようだった」と感想を話す様子がとても印象に残りました。

監督:あのコメントは、確かに印象に残りますよね。アメリカ人が日本人の音楽を聴いて、アメリカを象徴する画家であるノーマン・ロックウェルの絵と同じぐらいアメリカを感じる」と言うなんて、あり得ないことだとですよね。それだけ細野さんの演奏する「アメリカの音楽」にリアリティと説得力があるということだと思います。

──“アメリカ感”という意味では、ホーギー・カーマイケルが「Hong Kong Blues」を歌う映像や、映画『ボディ・スナッチャーズ/恐怖の街』のワンシーンなど、細野さんの楽曲に関係した古い映像が挿入される演出も効いていましたね。

監督:これはタイトルにインスパイアされて出てきたアイデアです。細野さんの好きな、古き良き時代のアメリカを感じさせる要素が欲しいなということで、細野さんと相談しつつ。とはいえライブ・ドキュメンタリーなので、できるだけ演奏シーンをしっかり見せることは心がけていましたが・・・。

SAYONARA AMERICA

──ヴァン・ダイク・パークスやジョン・セバスチャンが楽屋を訪れるというのも、ストーリーとして美しいと思いました。映画の中で本人が話しているように、2人とも細野さんのアイドルですから。

監督:彼らが会場に来ていたのはまさに偶然だったのですが、『SAYONARA AMERICA』というタイトルの映画にこの2人が登場するなんて、良い意味で出来すぎだと思います(笑)。2人ともキャラが濃くて。突然現れてバーッと自分の言いたいことをしゃべって、「じゃあ、またね!」っていう感じで帰っていきました(笑)。

──エンドロールでは、はっぴいえんどの「さよならアメリカ さよならニッポン」のセルフカバーが流れます。1972年のオリジナル版は、ハリウッドにある老舗スタジオ、サンセット・サウンド・レコーダーズで録音され、アレンジャーとしてヴァン・ダイク・パークスが参加していましたが、今回のセルフカバーも味わい深いですね。

監督:映画の中で使う曲を何か作って欲しいとはお願いしていたのですが、これが送られてきた時は、びっくりすると同時に感激しました。タイトルが『SAYONARA AMERICA』に決まった時点では、まだこの曲を使うという話はなかったのですが、細野さんは最初からそのつもりだったのかもしれません。いずれにしても、この曲がエンディングに置かれることは必然だったと今は思っています。

細野さんは“自由人”、自然に自由に生きていらっしゃる

──監督と細野さんのご関係についても教えてください。お仕事としては、2001年の『細野晴臣 イエローマジックショー』が最初ですか?

監督:そうですね。撮影は2000年でしたから、最初にお仕事をご一緒させていただいてからもう20年以上が経ったことになります。

──監督ご自身も昔から細野さんのファンだった?

監督:1966年生まれなので、完全にYMO世代です。最初にYMOに出会ったのは小学6年生で、中学からは本格的に聴き始めて、そこから細野さんの提供した歌謡曲を聴いたり、はっぴいえんどまで遡って聴いたりしていきました。ですから“どてらYMO”として知られる『イエローマジックショー』での3人の共演は感慨深かったですね。その場に立ち会えたことが幸せでした。

──その後、監督は坂本龍一さんの『スコラ 坂本龍一 音楽の学校』も担当されていますね。以前のインタビューで監督は「坂本さんはこれが天職じゃないかと思うほど教えることがうまい」とおっしゃっていましたが、細野さんにはどんなイメージを持たれていますか?

監督:うーん、どうでしょう……少なくとも教師のタイプではないですね(笑)。細野さんは“自由人”ですね。本当に自然に、自由に生きていらっしゃると思います。

──最後に、改めてこの映画の見どころを教えてください。

監督:アメリカのオーディエンスが細野さんの音楽をどう聴いているのか、彼らの視点が非常に新鮮ですので、注目していただきたいと思います。また、コロナのパンデミックを経てエンターテインメントの世界は大きく変容したわけですが、コロナ以降のライブは、どうなるのか・・・そんなことも含めて、これからの音楽の楽しみ方を考えるきっかけになればと思います。

(text:伊藤隆剛)

佐渡岳利監督

佐渡岳利
佐渡岳利
さど・たけとし

プロデューサー・映画監督。1990年、NHK入局。現在はNHKエンタープライズ・エグゼクティブプロデューサー。音楽を中心にエンターテインメント番組を手掛ける。主な担当番組は『紅白歌合戦』『MUSIC JAPAN』『スコラ坂本龍一 音楽の学校』『岩井俊二のMOVIEラボ』『みんなのうた』『細野晴臣イエローマジックショー』など。映画では、Perfumeの『WE ARE Perfume -WORLD TOUR 3rd DOCUMENT』(15年)、細野晴臣の『NO SMOKING』(19年)などのドキュメント作品を監督。