1945年3月10日生まれ、東京都出身。クラシックバレエとアメリカンモダンダンスを10年間学び、74年より独自の舞踊活動を開始。78年のパリ秋芸術祭『間–日本の時空間』展(ルーブル装飾美術館)での海外デビューは、世界中の知識人や芸術家との数々のコラボレーションへと繋がり、そのアプローチは形式的な舞台芸術、ダンス、音楽のシーンの枠に収まらない。「踊りの起源」への絶え間ない調査と堅固なこだわりは「場踊り」という形でより実践への根を深め、日本および世界各地で繰り広げられている。国内外問わず大舞台から野外までの幅広いダンス歴は現在までに3000回を超える。
2002年、『たそがれ清兵衛』でスクリーンデビューし、同作で第26回日本アカデミー賞新人俳優賞、最優秀助演男優賞を受賞。ダンサーとしての活動とあわせて俳優としても多数の映画、ドラマに出演。主な映画出演作は『隠し剣鬼の爪』(04年)、『メゾン・ド・ヒミコ』(05年)、『八日目の蝉』(11年)、『外事警察その男に騙されるな』(12年)、『るろうに剣心京都大火編/伝説の最期編』(14年)、『羊の木』(18年)、『アルキメデスの大戦』(19年)、『いのちの停車場』(21年)、『HOKUSAI』(21年)など。アメリカ映画『47RONIN』(13年)、Netflix映画『アウトサイダー』(18年)、韓国映画『サバハ』(19年/未)など海外の作品にも出演。今後の公開待機作に『峠 最後のサムライ』などがある。
自分を天才と思ってるダンサーが結構多いんで、つまらない
『名付けようのない踊り』とは言い得て妙。約2時間の映画の中に、同じものは1つとしてない。決め事があるとすれば、田中泯という肉体と精神だけ。そこから流れ出てくるものを誰かがその場で受け取ることが、踊りなのかも。そんな印象を抱かせる。
2003年の『メゾン・ド・ヒミコ』で俳優と監督として出会った田中泯と犬童一心が、ヨーロッパ、東京、田中が拠点とする山梨や日本各地を巡って活動を記録し、山村浩二のアニメーションなども交えて映像で再構築した本作もまた、新鮮で、名付けようのない映画だ。
こちらの質問から豊かに広がっていく田中泯の言葉、身のこなしを間近に浴びながら、また新たに1つ、名付けようのない踊りが現れているのを実感した。
・[動画]ポルトガルでの撮影、その思いを語る/田中泯インタビュー
田中:ありがとうございます。頭、痛くならなかったですか。
田中:そうでしたか。本当にそうなんです。僕の思っている踊りって、踊りでなきゃいけないわけじゃない。人によって、それは詩になったりもしますが、それは僕から言わせれば踊り的な結果になっていく。要するに、やりとりしてるわけです。踊りを見ていただくということは、僕から出ていった何事かを見てる人が単にそれに触れるだけじゃなくて、自分からもちょっと出ていくようなこと。それが踊りの出会いの始まりだと思うんですね。
では踊りが終わった後にどう残っていくか。僕は、そこにも踊りは存在してると思っているんです。それはもう既にあなたの踊りになっているかもしれないし、ひょっとしたら僕の踊りがまだ引っついてるかもしれないし、それはもう見えない世界です。その当人のある種の表現になっていくんでしょう。
僕にとって、踊りはそのくらいすごいものです。僕が踊るからすごいんじゃない。踊りという歴史、あるいは踊りという物質といってもいいかもしれません。物質がこの地球上に出現して、そして無数の人たちがそれを好きになって、残っている状態。それが僕は大好きなんですよね。
そのほとんどは無名です。名前も付いてないものなんですね。「私は何某(なにがし)という者で、こういう名前の踊りを踊っています」ということでは伝わらない何かが踊りの本質にあるんじゃないかと僕は思ってます。
田中:そんなにしばしばでもないと思いますけど、何回かありますね。
田中:そうでしょうね。それは相手の人もそうだし、僕もそうなんだけど、もうそれはモチベーションになってないんです。自然にどちらも表現を開始しているということだと思うんです。
ざっくばらんに言ってしまえば、ポルトガルに行くことになった。僕にとって初めての土地で、小説家の檀一雄さんが住んでいた地域であり、高倉健さんが生涯にたった一度のドキュメンタリーに出演されるために行った場所でもある。RKB毎日放送の木村英文という先鋭なディレクターが作った『むかし男ありけり』というものすごくいいドキュメンタリーなんです。その場所から招待を受けたというのが大きな動機でした。
犬童さんもポルトガルは行ったことがないから、「行ってみたい」と。そして、ふっと「せっかくだから撮影したい」と言いだして、僕も「いいですよ」と応じて、と始まりました。
田中:全然構わないです。現場で、ライブで踊っていた踊りは移動できないんです。現場を変えることはできない。
映像で見せる踊りというのは、既にそこで違う。僕自身にとっては、自分の踊っている現場が映ってはいるけれどもリアリティのない場所なわけです。頭脳的にはその空間を捉えることはできても、体の感覚はそこにはいない。そこにいないことは明らかなわけです。
このギャップをどうするかといったら、「私が踊った」という感覚を完全に抹消することなんです。それをバラバラにして、犬童さんが映像で組み立てることです。僕は「どんなにバラバラになってもいい、順番もひっくり返しても構わない、何を間に挟んでも構いません。犬童さんが踊りを作ってください」と約束をして、そして始まったわけ。
田中:ないです。そう言い切ります。仮に「何とかのようだな」「あれと似てるな」と僕の頭をよぎるものがあっても、次の瞬間には別のフレーズが生まれています。自由な踊りなんです。踊りのフレーズとフレーズを意味としてつなげることはしていないんです。機関銃を撃ちっ放しているみたいであり、それをさらに大きな位置から俯瞰して見ている私もいるんです。
観客がどこら辺にいて、道はどっちに流れていて、ということも俯瞰している私がいる。私は私の踊りのディレクターとして、いるわけです。
田中:そういう天才は非常に少ないと思います。でも、自分を天才と思ってるダンサーが結構多いんで(笑)、つまらないんだと思います。
僕はそんなことができるはずもないから、僕なりのある種の構図を持たせて、その上で自分を乗り越えていこうという踊り方です。
世の中が言っている常識の全てに、反発を感じます
田中:池袋の芸術劇場で俯瞰して撮影したときの人の動き見てると、そうですよね。でもね、僕から感じている一人一人はちゃんといるんですよ。みんな違います。群れの動きというものもあるんですよね、不思議なんだけど。ヨーロッパでも、パリのポンピドゥー・センターの広場なんかで踊ると、同じことが起きます。
田中:そうですね。その場所を踊る。その場所で生まれた踊りが欲しいと言ったほうがいいのかな。かつて習った——今、コンテンポラリーと呼ばれているダンスもそうだと思いますけども、みんな「作品」という言い方をするんです。踊りを作品化していく。ということは運べるものにしようとしてるのか。ということは要するにビジネスですよね。踊りビジネスだと思います。
それはそれで僕は否定的ではないんですが、僕にはできない。僕の感覚はもっとぐしゃぐしゃで、量が多いんです。僕には「自分の作品」というふうに閉じることができない。むしろ、そこで生まれる踊りが欲しい。
田中:どうなんだろう。僕自身がこの後、俳優としてどんな変化をしていくのか分かりませんけど、ただ、せりふを、言葉をこの体から出していってそれが相手に届くという中に演劇は成立していくわけですよね。あるいは大勢を前にして演説するようにしゃべることもある。そうすると、この肉体と口から出していく言葉と自分との関係というところに、ひょっとしたら僕は僕の人生を規定していこうとするかもしれない。そうすると、ある種の仕事は全部断ることになる。
質問から少しずれますが、この間、友だちとこんな話をしたんです。どうして人間は言葉というものを、息を吐くときだけに限定したんだろうか。
田中:そうなんです。外側に出すときだけ音の違いを意識したんですね。吸うときは全部内向させるためのものになっている。動作もそうですけど。それはすごい興味ありますね。宗教でも外側に向かう体っていうのは、(体を動かしながら)絶対にここを開くんですよね。手は外側を向くわけです。
こちら側にいらっしゃいっていうときは、(手招きの動作をして)こうするわけですよ。こうやってる手(外向き)とこうやってる手(内向き)では全く違う意味を持っちゃうんです。中と外というイメージがすごく強い。無意識に私たちの中にインプットされています。
言葉っていうのは内側から外に出ていくことであることは確かなんだけど、でも吸い込む言葉はなぜなかったんだろうか。言葉を発見する時からずっとそうなんですよね。鳥の言語が人間の言語の発見に大きく寄与をしてるという説を、研究者の多くが唱えていて、興味ありますね。
田中:好奇心です。本当に好奇心の塊です。知りたいことを追い続けて、何とかして知りたい。そうすると、死ぬ時の思いが違ってくるんじゃないかと思うんです。もっと知ってから死にたい、と。
今の世の中は何に対しても定義や答えを求めて、しかも、すごく簡単に出る答えに考えもなしに飛び付く風潮があるように思えます。
田中:残念ですよね。見えるものが優先的な順位を持っていて、そこから分かるものが本当にそれほど大切なことなのか。それでいて自然災害に対してそれほどの思考を巡らしてない。理不尽過ぎるんじゃないかということもあるし。
僕は、踊りを見て「分かりません」と言われたら、「分かるわけないよ」と答えるようにしようと思っています。
田中:例えば物と物との間に余裕があると「ここの遊びがいいね」と言いますね。遊びというのが身体的なことだけじゃなくて、空間として遊びというのはあって、そういった意味では日本語の「遊び」というのもとっても面白いと思いますね。
沖縄のアシビ、あれはやっぱりパフォーマンスでもあるんですよね。それから集まるという意味でもあるし。遊びということは、やっぱり学びでもあると思うし、すごく面白いですよね。日本が昔から使ってきた「遊」という文字だけど、意味が狭くなってきてるんじゃないかな。本来のほうに戻していくと、やっぱり遊びは豊かですよね、すごく豊か。機械を扱う人たちは余地、余白の意味に使いますよね。「遊びが足りないんだよ」と言ったりする。スムーズに動くためには遊びが必要だっていう。
田中:それも一つの決意の表れでもあるけど、他にもあります。若い人がいっぱいいたんです。みんな食えないから、バイトをやって疲れた体で集まって稽古をする。それは矛盾しているでしょう。一番やりたいことを、何で元気な体でできないんだろうかと思って、じゃあみんなで一緒に働いて、それで作った物を食えるじゃないかと考えたんです。芸能の発祥は、いわゆる第一次産業の真っただ中にあったと思ったので、それを探してみたいというのもありました。土だらけの大地がそこにある。そこに入って、自分の視線をそこに近づけることが僕らに何をもたらすのか、というようなこともありました。
いろんな視点からそれが一番いい選択じゃないかと思って移動したんです。最初は大勢行ったんですけど、どんどん少なくなってきましたね、みんな。つらいものですからね。
田中:これはとても物理的で具体的なんですが、例えば関節の骨が削れて大変なんだとか。僕の場合、左足を踏ん張ったときに切れた筋があるんです。それが修復されてない状態でずっときています。でも、やれている。筋力もそれほど衰えてないけれども、ある方法の動きがうまくいかないとか、そんなことはたくさんあります。ただ、世の中でいう“老いていく肉体”というのは、僕には多分やってこないと思います。
要するにカバーしてるんです。真っ向から対抗しているので、老いて動けなくなるということは起こらないと思います。その代わり、決定的にハンディを負ってしまうこともあるとは思う。ただ、歳を取ることについて世の中が言っている常識の全てに、僕は反発を感じます。一緒にしないでほしい。
僕は、若くても体が硬くなっている人たちには「錆びてしまった体があなたから油をもらうのを待ってるよ」「体はそんなこと望んでないはずだよ」と言うようにしています。僕も実際そう感じることあります。例えば何かの動きを3回しかできなかったとして、やれば未だに回数を増やすことできます。まだ僕の体は僕に応えてるんですよ。
多くの人たちは、世の中が言っている体の老いというものをそのまま疑わずに受け入れているんじゃないでしょうか。
田中:そうそう。もっと常識外れの人間がいっぱいいていいじゃないですか。そうしたら、体が老いていくことについて別の真実を見つけるかもしれない。そういうことです。
(text:冨永由紀/photo:小川拓洋)
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