1952年1月28日生まれ、山梨県出身。1974年『伊豆の踊子』で映画デビューし、第18回ブルーリボン賞新人賞を受賞。映画、TVドラマ、CMで幅広く活躍する。主な映画出演作は『台風クラブ』(85年)、『M/OTHER』(99年)、『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズ(05~12年)、『沈まぬ太陽』(09年)『アウトレイジ』(10年)、『RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ』(11年)、『アウトレイジ ビヨンド』(12年)など。近年は『64 -ロクヨン- 前編・後編』(16年)、『羊と鋼の森』(18年)、『風の電話』(20年)、『AI崩壊』(20年)、『グッバイ・クルエル・ワールド』(22年)、『線は、僕を描く』(22年)などに出演。
岸井さんとは初共演。ケイコそのままが目の前にいた
いま、濱口竜介や深田晃司と並び世界が注目する三宅唱監督が、聴覚障害と向き合いながらリングに立った実在の女性プロボクサーをモデルに新たな物語を紡いだ『ケイコ 目を澄ませて』。ベルリンや釜山など各国の映画祭で反響を呼んだ本作は、聞こえない中で“目を澄ませて”闘うケイコをひたすら追い続ける。
岸井ゆきのが演じるケイコは無敵の強者ではなく、不安や迷いを抱えて揺れ動くが、そんな彼女を見守り続けるのが所属するボクシングジムの会長だ。誰よりもケイコを認め、ボクシングをコミュニケーション・ツールとして彼女と深く通じ合う会長を演じるのは三浦友和。
デビューから今年50年を迎える大ベテランの名優に、撮影前の監督とのやりとりから始まった作品づくりについて、俳優という仕事、日本の映画界への思いを語ってもらった。
・三浦友和、「我が子の旅立ちが誇らしい」…『ケイコ 目を澄ませて』ベルリン国際映画祭正式出品で
三浦:脚本がすごく魅力的だったからというのが第一歩ですね。そこからは自分の役が自分にできるかどうかというのを見ていきました。ボクシングというものを選んだ女性を、ボクシングのプロとして見つめていくという設定が、とても仕事として面白いなと思ったんですね。
岸井さんとは本当に初共演で、撮影が始まるまで、どんな人かも知らないで現場で会いましたが、もう出来上がってきているわけです。長い時間をかけて、手話の練習もして体作りもして節制して。ケイコそのままが目の前にいた。ボクシングジムの撮影から始まったのですが、その時にも完成されているんですよ。完成されているケイコの姿を見て、僕らの仕事としては、もうこっちが何かする必要はないなと。ずっと見ていればいいんだという、あの役柄の会長のスタンス、そのままが出来るという形でしたね。
三浦:小説もそうですし、半分ドキュメントみたいなものもそうですし、そのままできないんですよね、監督は皆。自分にとってこれは面白いと思った題材を、自分の中でどう消化していくか、どう見せるかということになっていくので、そこに僕らは魅力を感じたんでしょうね。脚本の中に、それが反映されていたわけです。もちろん小笠原さんの良さっていうのは、そのまま生かさなきゃいけないでしょうし。(宣伝スタッフに)原作の小笠原さんは、映画を見たんでしょう?
スタッフ:はい、3回ご覧になってます。
三浦:ということは、少なくともご本人はがっかりしてないわけだし、3回見てるということは、とても気に入ってもらえたのかなと思いますよね。
三浦:ケイコとの関係が、よくある師匠と弟子みたいに見えるのは嫌だな、と。ありきたりの感じに見えるのは嫌だし、どっちも不完全な人間に見えるほうがいいですね、みたいなことは話しましたね。ドキュメンタリーではないけれども、そんなふうに見えるといいですね、というようなことも。せりふの流れも含めて、「こんなふうにしたらどうでしょうか」と提示したりもしました。今はパソコンで、やりとりできますからね。
三浦:せりふは自分のところだけです。他のところは越権行為になるので。面白さとか、全体的な感想はもちろん言いますけど、せりふをいじったりするのは自分のところだけ、監督に了承を得て、やりましたね。
三浦:あれは監督の最初からの指示ですね。監督にそういう思いがあったんでしょうね。相対するんではなく、横にいても分かる2人ということが、そこで出ればと思われたんだと思います。
三浦:そうですね。会長自身は手話とかはやらないですからね、一切。ボクシングの現場での動きでの意思の疎通とか、「言わなくても分かるよね」と、お互いに分かり合える何かみたいなものが生まれるといいな、と監督が思われたんでしょうね。
三浦:そうか、そういう見方があるか。そういうのって僕ら勉強になるんですよね。そんなふうに見えるんだということが、監督の意図だったということとかね。そんなこと思わずにやってましたからね。横にいても通じる相手だよなって。普通だったら、「監督、ここは前にいなきゃおかしいですよ」とか言いがちですよね。でも、何も疑問を感じずに現場で出来てるというのが監督の演出でしょうね。
ボクシングは30代の時にかじっただけ
三浦:この作品をやるために女優業をやってきたんだろうな、と思うぐらいですよ。彼女も、きっとそう思ってるんじゃないかな。違うって言われたらしょうがないですけどね(笑)。でも、彼女は相当やったという感覚があるんじゃないかな。想像ですけどね。僕らが現場で見て、もうケイコが出来上がってるというのが分かりましたから。この先、もっと高みに行くんでしょう。
三浦:僕らもそうでしたね。普段は現場での待ち時間とかは違った感覚に皆なっていくんですけど、それは、ほぼなかったですね。会話もほとんどしませんでしたし、そういう雰囲気の中で撮影をしていきました。この現場にケイコがいるんだなっていう状況が自然に出来ていたのかもしれないですね。それはもう彼女の努力のたまものですよ。
三浦:そうです。プロボクサーに見える体作りですよね。本当に追い込んで追い込んで、プラス食事制限もして。ただ痩せるだけじゃないですから。ごまかしが利かないですからね。それが完璧に出来ていたので、本当に感動しましたね。
三浦:それを言われると、とてもつらいですね(笑)。
三浦:そういうふうに見えてたらうれしいだけで、何もしてないんですよ、実はね。『線は、僕を描く』の時も水墨画の先生のところに行って習って、自分なりに家でもやって、ということぐらいしかできないですからね。あとは脚本家と監督の意図をくんでいくしかないです。そういうふうに見えなかったらどうしようと思いながら、ずっとやってますけどね(笑)。
三浦:30代の時にちょっとやってましたけど、かじっただけです。今回、彼女はずっと3ヵ月ぐらいやってて、僕は数回行って大事な場面のところだけを集中的にやりました。
三浦:珍しいですね。僕、1972年にデビューしてるんですが、その頃はロケのあるものは全部フィルムでした。しかも16ミリで、テレビは全部そうです。映画は35ミリですね。だから、今回はテレビサイズとも言えます。映画というと、『寅さん』もそうですけど、シネマスコープを好んで撮るんですね。映画らしさというのがあるから。でも、ほぼ真四角のスタンダードサイズの16ミリは、昔のテレビがそうでした。『ザ・ガードマン』とか『太陽にほえろ!』も、全部16ミリです。僕らはそこから育っているので、フィルムの回る音とかがすごく新鮮に感じますよね、今になると。
三浦:それは、邦画の貧しさですよね。
三浦:そうです。今はデジタルだから、すごく長回ししたり何キャメも使ったり、テレビはそうしていますけど、外国では普通にやってるわけですからね、フィルムの時代から。“フィルムは原稿用紙”というのがアメリカの考え方なんですって。そういうふうに僕は聞いてました。「日本の映画はこういう所にいるんだな」と僕らは思いながら、20代、30代はやってました。フィルムも現像代も高いから、無駄にできない。それは制作費が低いということですよ、単純に。
日本の映画界をなんとかしていかないと、と俳優をやってきた責任として思う
三浦:すごく難しかったです。現場でも監督と「どうしましょうかね」と話をして。2~3回違ったパターンをやりました。あそこでしっかり喜怒哀楽を出すとか、感情を出すとか、ケイコに対してどう思ってるかをクリアにすることは正解ではないと思ったんですね。監督にも賛同してもらえたので、あとは悪い言い方だと丸投げですよね、お客さんに。「何なの、あれ?」って。でも、そんなふうに印象的に残っていると思っていただけるなら、ある意味、正解だったのかなとは思いますね。予定調和の感情の出し方では駄目だなと思ったんです。起承転結のはっきりした作品にするのは違うなという考え方が、監督の中にもちろんあったし、僕らもそれを共有してたので。だから、ワンシーンワンシーン悩みながらやってましたね、そこだけではなくて。
三浦:そういうことがいいんだと思います。というのも、僕らはこう見てほしいと思ってやっていないんです。そんなのは押し付けになっちゃいますからね。押し付けになると、わざとらしくなる。こういう作品は特にです。予定調和のものでも脱エンターテインメントみたいなものでも起承転結がはっきりしてるものでも、なるべくそうは見えたくない、見せたくないというのは、いつも思いながら、それぞれをやっています。
三浦:シャドーボクシングのところもそうですよ。もうやめたいと思っているケイコがジムに入ってきて。そこにボクシングをやってきた彼女をずっと見ている会長がいて、2人で鏡に向かう。見てる人はどう受け取るんだろうと思いながら、でもこういうところで意思の疎通がケイコとも出来て、お客さんとも出来ればいいよね、という作りではあるんですよね。
三浦:長いことやってる俳優に対しての若手からの褒め言葉って、大抵それなんですよ。他に言いようがないから(笑)。
三浦:たぶん僕が今回、岸井さんに感じたのも同じことですよ。僕が何をしても受け止めてくれてるなって思ってましたから。
三浦:そうです。受け止めるというのは技術的なことじゃないんです。言い方が難しいな。その人から出てくるもの。せりふだけじゃなくて表情だったり気迫とか、そういうものも全部受け止めるというのは、それが分かるということですよね。それがお互いに分からない人もいる、ということかもしれないです。それは俳優同士の相性なのかもしれないですね。苦手な俳優や監督がいるという時、それは大抵お互いなんですよ。何かが合わないんです。生き物として違うんじゃないか、みたいなね。どっちが上手いとか下手の問題じゃなくて、「合わないわ、この人」という。どんな名監督でも合わないという人が僕はいましたし。こんなにすてきな作品で、やっとこの人のものに出られたと思った時に、「全然、合わない」というのもありますしね。
三浦:しょうがないですね。俳優もそうですね。もう絶対に共演しないだろうなと、お互いに思っちゃうんですよね、きっと。
三浦:恵まれて50年もできてるな、ということが、まずしみじみ思うことですね。あとは、これから何ができるんだろうということです。ある意味、この仕事の終活に入ってるというのは完全に自覚します。僕らの先輩は(高倉)健さんにしても(菅原)文太さんにしても80代前半で亡くなっています。他の方々もそうなんです。ここ数年、80ちょっと超えた、ベテランで尊敬する人たちがみんないなくなってるという現実があると、健康でいても後10年ちょっとかな、と思う。完全にもう終活に入ってるな、とっくにね。だから、いい仕事のオファーをもらえるよう、自分の中でもちろん頑張らなきゃいけないんだけど。本当に自分にできることをやりたいですね。それと、自分の息子が俳優やってるというのがあるんですけど、そういう現状を何とかしたいな、と思っています。
三浦:日本の俳優は恵まれてないんですよ。それはスタッフも含めてです。本当に恵まれていない状況があるので、それを何とかする1人になっていかなきゃいけない立場かなとは思っていますね。僕らなんか運よくやってきているだけで、運のよくない人が俳優としてつぶれちゃっているんです、既に。今の若い子たちがこのまま行くのでは、前途は真っ暗です。そういう考えの人がいっぱいいることは分かっているので、その1人として何とかしていかなきゃいけない、と。俳優やってきた責任として思っています。
(text:冨永由紀/photo:小川拓洋)
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