『それでも私は生きていく』パスカル・グレゴリー&メルヴィル・プポー インタビュー

逃げ場のない女性を取り囲む男性たち 仏の珠玉作で共演した2人の名優を直撃

#それでも私は生きていく#パスカル・グレゴリー#メルヴィル・プポー

パスカル・グレゴリー&メルヴィル・プポー

脚本を読んだら、この役を断ることなんて出来ない(グレゴリー)

長編映画デビュー作『すべてが許される』(07)や最近作『ベルイマン島にて』(20)など、自伝的映画を作り続けてきたミア・ハンセン=ラブ監督。最新作『それでも私は生きていく』もまた、彼女自身の経験をもとにした物語だ。

夫を亡くしたシングルマザーのサンドラが仕事と子育てをしながら、病で記憶と視力を失いつつある父の介護、そして新たな恋に向き合う。

それでも私は生きていく

『それでも私は生きていく』2023年5月5日より全国順次公開

レア・セドゥが演じるサンドラの父、ゲオルグを演じたパスカル・グレゴリー、彼女と恋に落ちる旧友のクレマンを演じたメルヴィル・プポーが昨年12月、フランス映画祭横浜2022での上映に合わせて来日した。

グレゴリーは1970年代から、プポーは1980年代から、フランス映画の巨匠、名匠たちと数多くの名作を作り続けてきた。様々な思い出に話題を広げながら、『それでも私は生きていく』について、さらには映画への思いについて語ってくれた。

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──おふたりともミア・ハンセン・ラヴ監督の作品には今回が初出演です。

プポー:ミアはエリック・ロメールの大ファンなので、監督の作品の常連だったパスカルと仕事したかったんじゃないかな。ミアはコロナ禍にサンドラと同じ状況を経験していた。父親の介護をして、新しい恋をして子どもも授かって……。だから、脚本を読んだ時にとてもエモーショナルだという印象を受けた。さらに、とても柔らかいというか。ミアの映画は全てそうだけど、日常の中に潜む感情を繊細に描いている。

パスカル・グレゴリー

グレゴリー:脚本を読んだら、この役を断ることなんて出来ない。

──ゲオルグは、哲学者だった監督の父親がモデルです。聡明な男性が病ゆえに壊れそうに脆く弱っていく様子、彼の感じている不安に胸が詰まりました。
それでも私は生きていく

グレゴリー:オファーが来た時、彼女が私を念頭に脚本を書いたこともわかった。肉体的に私が彼女の父親に少し似ていたからだと思う。私も彼女も互いにずっと、一緒に仕事をしたいと思っていたから、これは良い偶然だと言えるね。良い運命、そして良いタイミングだった。

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王子様っぽいキャラを演じるのはあまり好きじゃない(プポー)

──レア・セドゥとの共演はいかがでしたか?

プポー:レア・セドゥのことは、彼女が女優になる前から知っていた。初めて会った時、すぐに大スターになるだろうと思ったけど、実際その通りになったね。彼女と美しくロマンティックな関係を演じるという点も、出演したいと思った理由の1つだった。
共演してみて、彼女は想像以上に素晴らしい人だった。カリスマ性があり、とても繊細で感情豊かで、優しくて共感できる。本当に素晴らしい女優だ。

グレゴリー:私はレアの父親(実業家のアンリ・セドゥー。祖父ジェロームは映画会社パテ会長)をよく知っているんだ。彼女を直接は知らなかったけれど遠い存在ではなかったので、俳優同士として、会ってすぐ家族のようになれた。俳優は最高の状況にあると、カメラや演じていることさえ忘れて役に没頭することがある。常に起こることではないけれど、レアが演じている時にそういう瞬間があった。それは私たち俳優が求めることであり、監督が求めていることでもある。

──あなたはゲオルグを演じたことについて、「こんなに役に集中したことはない」とおっしゃっていました。

グレゴリー:その集中力というのは、ゲオルグという人物が病気のために一種のパラレルワールドにいるから。撮影現場ではスタッフと話すことさえ大変だった。同時に、いわゆる生者の世界とはまったく異なる、死と隣り合わせの世界にいるような感覚がとても心地よかった。ゲオルグはそういう境地にいる。まるで彼の病に保護されているようで、とても貴重な経験をしたと思う。

──あなたの演技は型にはまらず、ゲオルグという人物の個性を感じさせてくれました。

グレゴリー:ありがとう。このようなキャラクターを演じる場合、演技賞を狙うような派手な見せ方もあるが、私は違うアプローチをした。これは観客に何かを見せつけようとする作品じゃない。だから私は、あくまでも1キャラクターとして参加した。ミアが記録していた彼女の父親の音声を聴かせてもらうことができたのは、大きな助けになったね。通常とは異なる非常に複雑な言語感覚になった彼の音声はとても参考になった。ゲオルグが患ったベンソン症候群について少し調べたが、他の影響を受けたくなかったので、病院を訪問して患者と面会したりはせず、この病気についての映画なども見なかった。

──クレマンはサンドラの亡夫の友人で、偶然再会した彼女と恋に落ちます。ただ彼には妻子がいる。彼に振り回されているサンドラに「やめておけば……」と言いたくなりました。

プポー:確かに(笑)。観客はサンドラと一緒になって、クレマンが誠実なのか嘘つきの誘惑者なのか思い悩むだろうね。観客は彼女に共感して、クレマンが彼女の元に戻ってくること、嫌なやつじゃないことを望んでいる。僕自身はこういう王子様っぽいキャラクターを演じるのはあまり好きじゃないんだ。魅力や誘惑を表現するのは簡単なことでも楽しいことでもないから。特に相手を演じるのがレア・セドゥーとなると(笑)。

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それでも私は生きていく

──本作は35mmフィルムで撮影されています。日本では今やほとんどフィルム撮影は行われていませんが、フランスはどうでしょう?

プポー:僕は本作も含めてフィルム撮影の作品に3本続けて出演したばかりなんだ。ジョニー・デップやパスカルとも共演し、マイウェンが監督・主演の『Jeanne du Barry(原題)』、その前のヴァレリー・ドンゼッリ監督の作品も一部16mmだった。だから、以前に戻った印象が少しある。多くの人がコンピューターで映画を見るようになった今、映画本来の美しさや喜びを再認識するために、35mmの映像はとても美しいからね。

グレゴリー:私も同じことを考えているよ。35mmはデジタルとは全く異なる生命力を与え、肉体的な感覚がある。画像は明らかに違うし、カメラ自体も美しい。私は35mmで撮影することに感動を覚える。明らかに、将来的には姿を消していくのだろうけど。

──おふたりはフランス映画祭のマスタークラス「エリック・ロメール監督との思い出」に登壇されましたが、『それでも私は生きていく』でサンドラとクレマンが久々に再会するシーンはロメール作品を思わせるものがありました。

プポー:ミアが影響を受けた映画監督は、(イングマール・)ベルイマンとロメールだと思う。彼女がパスカルと僕を選んだのもロメールのレガシーや、父性的な一種のつながりのようなものだろう。サンドラたちが歩きながら話しているのにも、ロメールっぽさを感じるね。

グレゴリー:歩くシーンといえば、エリック・ロメールの映画では移動撮影が少ないね。彼は映画の作為的な要素を好まなかった。観客にカメラの存在を想像させないようにしていた。私が出演したロメール作品で唯一ドリー(車輪付きのカメラ移動台)を使ったのは『海辺のポーリーヌ』だけ。撮影監督のネストール・アルメンドロスの発案で、最終的にロメールがOKを出した。シトロエンの2CVを改造して車内にカメラを置き、私たちみんなで押して、素晴らしいトラベリング・ショットになった(笑)。

パスカル・グレゴリー

プポー:僕が出演した『夏物語』は海辺のシーンばかりで、大きな車輪のついた特殊なカートを使っていた。きっと『海辺のポーリーヌ』の経験がヒントになったんだね(笑)。
ロメールとのもう1つのつながりは、ミアもまた、人生のリアルで記録的な側面を好むということ。劇中でクレマンがサンドラに自分の仕事を説明するけど、これもロメールの映画にありそうなシーンだ。物語の中に突然、小さなドキュメンタリー的な瞬間が現れる。そして彼女の映画では登場人物たちの旅路には省略もトリックもない。道を一歩ずつ進んでいく、現実というものに対する忠誠心もロメール的に思える。

グレゴリー:一方、言葉はよりベルイマン的だね。ロメールよりも心理的で、より苦悩が深い。

──先ほどからお話を聞いていて、映画作りにおいて“家族”という感覚を意識されているように感じました。

グレゴリー:必ずしもそうではないけどね。監督の性格にもよる。確かに、私はエリック・ロメールやパトリス・シェローとはよく一緒に仕事をして、本当に家族のようだった。家族とは時間をかけて作られていくもので、知らない監督と映画を作る場合、必ずしもその家族の一員になれるとは限らない。簡単なことではないし、必ずしもそうあるべきことでもない。私たちは監督の想像力の中の一要素に過ぎないんだ。しかし、互いに共感し、人生観が同じだと感じた場合、言うなれば思想の家族になることができる。

パスカル・グレゴリー&メルヴィル・プポー

──プポーさんは子役としてデビューした1983年の『海賊の町』以来、ラウル・ルイス監督の作品に数多く出演されました。フランソワ・オゾンやアルノー・デプレシャンの作品にも複数回出演されています。

プポー:パスカルも同意してくれると思うけど、同じ監督と何回も仕事をするのは面白い。監督が私たちの仕事を気に入ってくれて、私たちの個性に共感してくれた、また一緒に仕事をしたいと思うに値する俳優だと認めてくれた、と思えるから。それは嬉しいことだ。

グレゴリー:同じ俳優と仕事をするのを好まない監督もいるしね。

──本作でおふたりが一緒のシーンは少ないですが、これまでも何度か同じ作品に出演されています。お互いに対する印象をお聞きしたいです。

プポー:パスカルのことをずっと尊敬してきた。素晴らしいキャリアだよ。ロメールやシェローの作品で鮮やかに演じ、年齢と共に深みを増して興味深い役を演じている。こんなふうにキャリアが発展していくのは稀有なことだと思う。

グレゴリー:私はメルヴィルの仕事がとても好きだ。(プポーに)君も偉大な監督たちのもとで素晴らしい役を演じてきた。私たちは同じ軌跡を辿っているようだ。共に映画史に残る偉大な監督たちとの仕事に恵まれたね。

プポー:彼はそのうえ、舞台でもとてつもないキャリアを持っている。

──あなたは舞台はやらないのですか?

プポー:演劇については、観客としてもあまり興味がないんだ。

グレゴリー:君の世界じゃないんだね。

プポー:やってみたいという気持ちもないわけじゃないけど、何度も同じことを繰り返すことができるのか、少し不安がある。映画は1つのシーンを演じたら、別のシーンを撮り進めていくけど、ここでもNGが出てやり直すのが苦手なんだ。もちろん舞台は違うものだとわかっているけれど。

グレゴリー:舞台をやらない偉大な俳優もいる。カトリーヌ・ドヌーヴ、リノ・ヴァンチュラ……たくさんいるよ。それが俳優であるための必須条件ではないということだ。

──最後に、映画を見て聞きたくなった質問です。あなたの自伝のタイトルは何と付けますか?

プポー:実はもう書いているんだ。ずいぶん前になるけれど、「Quel est Mon noM?(私の名前は?)」というタイトルで。主観性やアイデンティティの概念を探る『Melvil(原題)』という長編映画も監督した。だから、今はもういいかな(笑)。実験的な小品を作れるかどうか確認するための作業で、やってよかったと思っているけど、今は俳優としてのキャリアに満足している。良い役に恵まれて、俳優としての自信を感じられるようになった。これが自分の仕事であり、私はこの仕事を愛している。(グレゴリーに向かって)監督をしたことはある?

パスカル・グレゴリー&メルヴィル・プポー

グレゴリー:いや、私は怠け者なんだ。

プポー:舞台の演出も?

グレゴリー:私は怠け者だから無理(笑)。

プポー:(自伝のタイトルに)「怠け者((Le paresseux)」とかは(笑)?

グレゴリー:怠け者。この響き、ちょっとジャン=ポール・ベルモンドっぽいね。Le Magnifique (見事な人の意。ベルモンドの主演作『おかしなおかしな大冒険』の原題)みたいに、一語で表現するのが。いずれにせよ、私の人生にタイトルをつけるのは難しいな(笑)。

(text:冨永由紀/photo:小川拓洋)

パスカル・グレゴリー
パスカル・グレゴリー
Pascal Greggory

1954年9月8日生まれ、フランス・パリ出身。10代から演劇を始め、70年代後半から映画に出演。主な出演作は『ブロンテ姉妹』(79年)、『海辺のポーリーヌ』(83年)、『木と市長と文化センター』(92年)などエリック・ローメル監督作、『王妃マルゴ』(94年)『愛する者よ、列車に乗れ』(98年)などパトリス・シェロー監督作に出演。シェローとは舞台でも演出家と俳優として仕事をしている。近年の出演作は『冬時間のパリ』(2018年)、『ポルトガル、夏の終わり』(19年)、ミニシリーズ『イルマ・ヴェップ』(22年)。第76回カンヌ国際映画祭オープニング上映作『Jeanne du Barry(原題)』に出演。

メルヴィル・プポー
メルヴィル・プポー
Melvil Poupaud

1973年1月26日生まれ、フランス・パリ出身。キャスティング・ディレクターだった母親からチリ出身のラウル・ルイス監督を紹介され、同監督の『海賊の町』(83年)で映画デビュー。ルイス監督が2011年に亡くなるまで、その後9本の映画を撮った。『15才の少女』(89)や『愛人/ラマン』(92年)を経て、数多くの作品に出演し、『ぼくを葬る』(2005年)などフランソワ・オゾン監督作やグザヴィエ・ドラン監督の『わたしはロランス』(12年)に主演。ウォシャウスキー姉妹の『スピードレーサー』(08年)やアンジェリーナ・ジョリー監督作『白い帽子の女』(15年)など海外作品にも出演。近年の出演作は『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』(18年)、『オフィサー・アンド・スパイ』(19年)、第76回カンヌ国際映画祭オープニング上映作『Jeanne du Barry(原題)』など。