1977年生まれ。韓国美術界の巨匠キム・フンスの孫で、幼い頃に絵を学び、高校では声楽を専攻。その後大学で経営学を学ぶ。 キム・ギドクの作品に衝撃を受けた彼は、ギドクに会うためアポなしでカンヌに渡る。それが縁となり、ギドク監督作『絶対の愛』(06年)、『ブレス』(07年)の助監督をとつめる。07年、短編映画『Mul-Go-Gi(原題)』が批評家の関心を集め、第64回べネチア国際映画祭に招請。08年には、長編デビュー作となった『ビューティフル』が第58回ベルリン国際映画祭のパノラマ部門、第10回ドーヴィル・アジア映画祭オフィシャルコンペティション部門に正式招請され、 第22回福岡アジア映画祭では最優秀作品賞を受賞。キム・ギドクが見出した、今後が期待される若手監督のひとり。
38度線を飛び越えてソウルとピョンヤン間を往復し、3時間以内にどんなものでも配達する謎の男が、亡命した北朝鮮元高官の愛人イノクをソウルに連れていくという依頼を受けたことから始まる壮絶な旅を描いた『プンサンケ』。
一言も喋らず、出自もわからない男は吸っている北朝鮮製の煙草「豊山犬(プンサンケ)」の名で呼ばれていた。命がけで軍事境界線を超えたプンサンケとイノクの間に芽生える言い知れぬ感情、彼らをめぐって攻防を繰り広げる韓国情報員と北朝鮮工作員の攻防を通して、分断国家に強烈なメッセージを放つ脚本を手がけたのは世界三大映画祭を制した韓国の名匠、キム・ギドク。監督は製作総指揮も兼任した彼のもとで助監督を務めてきた新鋭、チョン・ジェホン。
南北分断の不条理な現実と悲劇を描く衝撃作について話を聞いた。
監督:キム・ギドク監督から「これをやるか」と脚本が送られてきたとき、まず「1日だけお時間ください」とお答えしました。素晴らしい脚本だけど、本当に僕にできるのかと悩みました。しかも、1日時間をくれると言ったのに、4時間後に「やるのか、やらないのか、まだ決められないのか」と電話がかかってきた(笑)。もう「やります」と答えるしかなかったです。
監督:南北問題です。韓国という国に住んでいながら、今もまだ戦争中なんだということをあまり意識しない状態でいるから。オーストリアに留学中、初めて北朝鮮の人と会ったんですけど、想像していた彼らとは全然違っていた。幼い時から“赤い顔をした鬼”みたいな教育を受けていたんです。そこは全く違うし、さらに驚いたのは、同じ場所にいても話せない、会話ができないということです。それが分断国家の現実なんだなと感じました。だから、そういう映画だったら、ぜひ1回やってみたいとは思っていた。
監督:脚本を読んですぐに思い浮かんだのが、ユン・ゲサンさん。彼が歌手だったことは全く知りませんでした。彼が歌手だった頃、僕はオーストリアにいたので。
彼を知ったのは、『執行者』(09年)という作品です。それを見て、彼ならプンサンケをやれるんじゃないかと思った。でも、みんなに反対されました。「彼では柔らかすぎる」みたいに言われて。コメディとかロマンスの方が合うと思われていた。でも、彼はアクションや感情的な演技もできる。多くの才能を持っている人です。僕自身は、以前やった作品のイメージにこだわるのはばかげていると思うタイプなんです。僕は『ビューティフル』(08年)で長編デビューした後、アート系作品をやる人だと言われたことに違和感がありました。ユン・ゲサンさんも、定着したイメージから脱出したいと考えていらっしゃったし。最初のミーティングのとき、彼が僕の抱いていたプンサンケのイメージとピッタリでびっくりしました。
映画公開後に韓国のメディアでは“ユン・ゲサンの違う部分が見えた“みたいに騒いだけど、僕にしてみれば、その反応は逆に笑える(笑)。
監督:キム・ギュリさんとは一度仕事をしてみたいと思っていました。『ビューティフル』のときも出演を打診しましたが、都合がつかずダメでした。今度も、直前にほかの作品の撮影があり、難しいかもしれないと言われたけど、クランクイン1週間前にその撮影が終わって、出演してもらえました。だから、本当に感謝しているんです。5日間しか準備期間がなくて入ってきたのに、すごくよくやってくれていました。
監督:ほかにもいろいろあります。僕は言葉が重要だとは思わない。人の感情というのは、言葉がなくても伝えられると思っているので。
監督:そうでもないです。仲良くしているプロデューサーがアメリカにいて、「今度こういう作品を撮るんだ」と話したら、彼が「俺、プンサンケっていう煙草持っているよ」と話してくれて。「それをすぐ送って」と言いました。脚本にあったのは、「プンサン」という場所の名前だけで、彼がそう呼ばれている理由をどう説明しようかと考えていたときだったので、すごく運がよかったです。あの煙草を吸っているからそう呼ばれているんだという設定が出来た。ちなみにすごく強い煙草なんです。撮影中、ユン・ゲサンさんはクラクラして「大変だ、大変だ」と言ってました。
監督:苦痛とか悲しみとか愛とか、本当は言葉にはならないと思っているんです。ユン・ゲサンさんは感情表現をできる素晴らしい眼をしているので、彼ならば表現できるはずだと信じてみました。最初、彼は台詞がないから簡単だと思ったらしいですけど、実際にやってみたら「ものすごく難しかった」って。ほかのキャストと台本の読み合わせをするときは、コーヒー1杯で6時間も黙って座っているしかない。その代わり、僕と2人でキャラクターについて話して、どういう表現したらいいかを研究していきました。
監督:映画に対する情熱だと思います。お金がなくてもいい映画ができることを見せたかった。『ビューティフル』も低予算で上映館は3館ぐらいでした。韓国では低予算作はアート劇場でしか上映されないのが現実です。予算2億ウォンとかで撮ると、それだけで「すごいね」と言われるけど、それだけでは満足できない。同じ予算でもっと大きい劇場で上映できる作品を作りたいんです。
監督:それは私の映画ですから。僕はクローンではありません。脚本をもらったときも「自分の映画にできるかどうか」という点を一番考えました。僕は幼い頃からアメリカに暮らし、映画とはトータルのエンターティメントだと捉えています。観客が映画のメッセージを受け取るのももちろん大切ですけど、楽しい時間を過ごすということがすごく重要だと思っているんです。ハリウッド映画が大衆映画の基準だと考えているので、今回もハリウッドの作品を沢山見て研究しました。キム・ギドク監督の作品は苦手という女性は多いですけども、僕は『プンサンケ』を、ぜひとも女性に感動してもらえる作品にしたかった。
監督:マイナス10℃で、午前4時に撮ったシーンです。セメントが氷みたいな状態だった。ユンさんとギュリさんだったからこそ、できたシーンでした。
監督:私は本当に戦争が嫌いなんです。お互いを知る努力をせず、意味のない戦争が起こり続けている。朝鮮半島だけの話じゃない。オーストリアにいた時に9.11のテロが起きました。アラブ出身の友人も大勢いて、すごくいい人たちだったのに、急に彼らをテロリスト呼ばわりして、彼らの言い分を全然聞こうとしない人たちもいました。お互いに話をしない、理解しようとしないということが南北問題の根本にあると思います。
監督:私は理解できると思います。そして、お互いに対する配慮がやはり必要だと思います。
監督:いい方に変われば、と思っています。ただ、まだ戦争は終わっていないので。2010年11月に国境に近い延坪島が攻撃を受けた時期にちょうど撮影していました。しかも本当に近くで撮っていたので、あのとき初めて「戦争中なんだ」と実感しましたね。撮影中も安全についていろいろ心配しました。私たちだけではなく、韓国の映画全てが、あの時期は火薬を使うことができなかったんです。脚本には銃撃シーンもあったけど、そこは全部書き直しました。
監督:次は『プンサンケ』と全く違うもの、もっと大衆的で、スピーディで、誰が見ても面白いと思えるようなものを作りたい。自分の歳に合った映画を作りたいなと思うんです。30代なのに60代が撮ったみたいな作品は撮りたくない。今回よりはもう少し予算をかけた大衆的で感覚的な作品で、最終的にちょっと利益が出たら、自分もキム・ギドクさんのように若い監督を支援したいと考えているんです。
(text=冨永由紀)
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