1954年8月16日生まれ、カナダ出身。B級映画の帝王ロジャー・コーマンの下で研鑽を積み、『殺人魚フライングキラー』(81年)で監督デビュー。低予算で完成させた『ターミネーター』(84年)が大ヒットし、一躍スター監督に。さらに『エイリアン2』(86年)、『ターミネーター2』(91年)をヒットさせ、映画史に残るヒット作『タイタニック』(97年)でアカデミー賞監督賞を受賞。その後、3D映画『アバター』(09年)を監督し、『タイタニック』を超える興行収入を記録した。
『シルク・ドゥ・ソレイユ 3D 彼方からの物語』製作ジェームズ・キャメロン インタビュー
ハリウッドきってのヒットメーカーが語るシルク・ドゥ・ソレイユの魅力
人間の限界を超えたかのような驚異的なパフォーマンスで人気のシルク・ドゥ・ソレイユ。そのショーを主軸にした物語『シルク・ドゥ・ソレイユ 3D 彼方からの物語』が公開中だ。
この作品の製作をつとめるのは、『タニタニック』(97年)や『アバター』(09年)などのヒットメーカー、ジェームズ・キャメロン。企画から撮影まで、深く本作に関わったキャメロンに、映画『シルク・ドゥ・ソレイユ〜』の魅力を聞いた。
キャメロン:『アバター』を撮り終えた頃、シルクの代表であるD・ラマールに提案したんだ。彼らはアンドリュー・アダムソンを監督に起用し、3Dカメラの技術について相談してきた。製作に誘われてとても嬉しかったし、可能な限り協力すると返事をしたよ。製作総指揮をつとめてほしいと言われたときは 「撮影も担当させてくれるならやる」と返事をした。だからクレジットに“撮影担当”とも記載されているんだ。
キャメロン:シルクは特別な存在だ。彼らのショーはすべて魔法のようで、デザインや衣装や音楽、彼らの身体能力も含め、想像の世界が完ぺきに表現されている。3Dでシルクのショーを鑑賞することができれば最高だと、以前から思っていたんだ。
今回はラスベガスで常設されている7つのショーを撮影してほしいと言われた。壮大な作品になることは間違いないと思ったね。シルク・ドゥ・ソレイユには、典型的なサーカス要素も含まれているのに、通常のサーカスとは全く別で独創的なものなんだ。シルクを創設したギー・ラリベルテは、これまでにない新しい形のサーカスを考案し、想像力をかきたてるものに作り変えたんだよ。
キャメロン:僕は当初、ショーのストーリーや演出とは関係なくただ彼らのパフォーマンスを映像化できるだけでよかった。でも、賢明なことに監督は、7つのショーを繋げるべきだと考えたんだ。彼は7つの“夢のテント”を思いついた。他のテントに移動することで別世界に行けるんだ。これで7つのショーが見事に繋がったよ。
キャメロン:キャストや脚本、絵コンテや視覚効果はすべて監督に任せた。そして私は撮影の方法に最も尽力したよ。撮影に関しては、私はU2などのコンサート撮影の経験があったから、ライブ公演における撮影方法は熟知していたんだ。観客席からのみ撮影するのではなく、パフォーマーの表情を捉えるためにステージ上で撮る必要もある。それらを組み合わせたんだよ。
実際の撮影では、観客を入れての撮影と“ダークデイ”と呼ばれる日に公演をせずパフォーマーにショーの特定の部分のみをやってもらう撮影をしたんだ。それでも彼らのパフォーマンスは体力の消耗が激しいから1度に2テイクしか撮れない。そのなかに映画としての要素も含ませてライブと映画のスタイルをうまく融合していったんだ。
普通、観客は遠くからショーの全体を見ているけれど、カメラでパフォーマーを個別に撮影すれば、どんなにすごい場所で演技を披露しているのか分かるはずだ。地上27メートルで彼らが演技するのを見れば、めまいがするよ。素晴らしいショーのために彼らはここまで危険を冒しているんだってね。
キャメロン:新しいカメラシステムを2つ導入したよ。アリ社のアレクサカメラは微光での撮影に適していて大活躍だった。それとレッド社のエピックカメラやカメラリグを18種類も使用した。新しいものも含め倉庫の機材はすべて使ったよ。レッド社の水中カメラも初めて使った。とにかく新たなカメラシステムを多く導入したよ。カメラも18台使用した。映画史上最も数が多かったはずだよ、『アバター』のときは3台だったからね。
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