1965年12月21日生まれ、埼玉県出身。81年にドラマ『2年B組仙八先生』でデビュー。アイドルグループ「シブがき隊」を経て、本格的に俳優として活動を始め、『シコふんじゃった。』(92年)やNHK大河ドラマ『徳川慶喜』(98年)に主演。自ら企画を持ち込んだ主演作『おくりびと』(08年)が09年アカデミー賞外国語映画賞を受賞。近年はNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』(09〜11年)、TBS日曜劇場『運命の人』(12年)に主演。
新天地を目指す家族とともに乗った船が航海中に沈没、ただ1人生き残った16歳の少年・パイとベンガルトラが救命ボートで太平洋をさまよい続ける。30余年の時を経て、カナダに暮らすパイは若きライターに想像を絶する体験を語り始めた……。
第85回アカデミー賞で作品賞、監督賞をはじめ11部門にノミネートされた『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』は、『ブロークバック・マウンテン』(05年)のアン・リー監督初の3D映画。
壮大なスペクタクルと深遠な哲学が共存する大作で、イルファン・カーン扮する成人したパイの日本語版吹き替えを担当した本木雅弘に話を聞いた。
本木:まず、基本的には「やりたくない」と(笑)。もともとは洋画を見るときは字幕派なんですよ。役者の声とか息づかいもお芝居のひとつだと思うから、それを楽しみたいんです。もちろん外国語作品だから必要なことですし、自分も子どもの頃からテレビで洋画や外国ドラマを吹き替えで見ているから慣れてはいます。ただ私自身、役者として自分の声そのものが変えられるとしたら、ちょっとさみしいなという抵抗が少しありました。でも何よりも私は監督の一ファンなので、もし、会えるチャンスがあれば……。いや、会うというより、こんなに完成度の高い作品を創り出す人物を生で見てみたい、どんな佇まいの方なのだろう? その興味の一点のみが引き受けた理由です(笑)。
本木:イルファン・カーンさんと私を並べても、テイストとして似通う部分が少ないので「大丈夫かな」と不安がいっぱいでした。やはりどんなに追いつこうと思っても、カーンさん独特のフィーリングは編み出せない。「これは自分なりでやるしかない」と感じました。同時に、吹き替え版の魅力は、映像そのものの力を全体で受け取ることができるということです。台詞は、そのものを響かせるよりも、必要な情報として届けるものと感じたので、その役が果たせればと考え、少しは楽になれました。でも終盤でカーンさんの、表情では押さえながらもちょっと感情が高ぶるシーンでは、父やトラに対する思いを語る微妙な、でも素直な気持ちのあふれ方というか。その辺りは気を遣いました。
本木:そうですね。そういう時間的な制約はまずある。そして、日本語と英語とでは文章の構成が違うじゃないですか。英語では最初に結論を言って、「なぜなら」と付け加えているけど、日本語だと「これこれこうで、だからこうなるんですよ」と真逆だったりするから、言っている言葉の表情と自分が当てている内容が、随分ズレながらやっているんです。違和感はちょっとありました。
本木:でも最初の方は堅かったでしょう。意訳も多いし、つい力んじゃって。もうやり直せないから仕方がないんだけど(笑)。見ているうちにお客さんも馴染んでくるんですよ、たぶん。そう願います(笑)。
本木:一応、順撮り的にやりました。録音そのものは1日だけです。ただやはり、台詞そのものは覚えておかないと。映像を見ながら当てるわけですから。それを急遽というのは大変でしたね。原作も急ぎ読みました。「この長い小説を、こう凝縮してあるんだな」と、映画では描かれていない部分もある程度知っておかないと自分が不安なので。それを埋めるための時間が、グズな自分(笑)にはとてもタイトだったので、苦しかったけれども、なんとか間に合ってやりました。
本木:(笑)。正直言って、「単なる冒険ものを見に行くつもりでいると、やけどをするよ」と、まずは断っておきたいですね。でも、火遊びだって、その火がどれだけ熱くて危険なものか、触らせてみないと本当の痛みが伝わらないのと同じで、ある意味、この映画には過酷な部分があると思います。でも、子どもの心ってとても柔軟だから、映画を見れば価値観も拡がるんじゃないかな。自然の驚異と目に見えないものとの出会い、言葉の通じないものと心を合わせることの難しさと、喜びと、切なさと。子どもなりに、葛藤することや希望の生まれ方を学べるというか。子どもたちが戸惑った部分も含めて、話しながら共有してあげると、親として楽しいんじゃないかなと思います。
本木:難しい質問ですね……。作り手側というかひとつの感想ですが、結末近くで哲学的な投げかけがありますよね。私もラストの語りを見たときは正直、困惑しました。そして後日、ジワジワッと考えていくと……。私の受け取り方としては、細かいんですが、「真実は多様にある」という感じなんです。きっと、事実は一つ。でも真実というのは実際の出来事だけじゃなくて、その出来事のなかで、何かを感じ、何かが生まれていくこと。例えば、消せない感情や、幻想もひっくるめて真実だと思うんです。
それは原作のなかでも少し書いてあって。つまり、今、目の前に拡がってみえる世界が全てじゃなくて、それをどう捉えて理解するか。その理解によって、何かがもたらされる。それがその人の物語であり、世界である、というようなことが書いてありました。パイの物語、人生体験が語られているわけですが、それを共有・共鳴しながら、また自分なりに何かを感じていくことが、観客の実人生に影響していくってことですよね。
最近、あらゆる“つながり”みたいなことが取り上げられるますが、まずは、それぞれが丁寧に自分と対話していくことも大切だと思います。そして、それが誰かに語られ、ある思いが自然に “つながって”いく、ということなのかと思います。
少し戻りますが、この映画のなかで好きなシーンのひとつに、幼いパイが飼育係の目を盗んで生肉をトラにあげようとして、父親に怒られる場面があります。パイは「大丈夫だよ。動物にだって心はあるよ。目を見ればわかる」と言うけれども、父親は「お前は、トラの目に映った自分の心を見ただけだ」と言う。あそこはひとつの衝撃でした。「そうですよね! 物事全てそうですよね!」と。見事に言い当てられた感じがして、他にもつい考えさせられる台詞がポツポツと降って来ます。「人生とはいろいろなものを手放して行くことだ」という、逆説的な表現があったりと。この作品は、3D技術も話題の大作ではあるけれど、ある種のインディペンデント映画にあるような、哲学的な深さがあるんですよね。
本木:日々サバイバルでしょう(笑)。芸能界というところにいると、何かを積み上げているようでいて、何も積上がっていない、というような虚無感に襲われるときが多々あって。そういうなかで、少しはリアルな日常に、しがみつき、ごまかしながら生きているっていう感覚が実はあるんです。人の好みや価値観が異なるなかで、「あの人のお芝居、好き嫌い」もあるし、「伝わる・伝わらない」もある。だから、評価されれば嬉しいけれども、何となく本物の達成感がないんですよね。ひとつ役が終われば、捨てていかないと次に行けないし、どこか幻を追うためのサバイバル!?という感じで。
そして日常には家族がいて、1番下はまだ2歳児です。その子がガラスのコップを床に落としそうになったり、椅子から転げ落ちそうになったり、そんなことにいちいちハラハラしています(笑)。大海原で漂流し生死を分ける体験とは大違いですが、毎日がこんな小さな危機とのサバイバルで、もう、いっぱいいっぱいですよ(笑)。
(text=冨永由紀 photo=居木陽子)
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