1952年7月14日生まれ、北海道出身。68年、テレビドラマ『バンパイア』で主演デビュー。『傷だらけの天使』(74年)や『男たちの旅路』シリーズ(76〜79年)、理想の教師像を演じて社会現象にもなった『熱中時代』(78〜81、88年)などドラマで活躍し、近年は『相棒-劇場版-絶体絶命!42.195km東京ビッグシティマラソン』(08年)、『相棒-劇場版II-警視庁占拠!特命係の一番長い夜』(10年)、『相棒シリーズ X DAY』(13年)など劇場版も製作されている『相棒』シリーズで人気を博す。映画は『青春の殺人者』(76年)、『幸福』(81年)、『逃れの街』(83年)、『HOME 愛しの座敷わらし』(12年)など。歌手としても折りにふれてアルバムを発表している。
今の時代だからこそ、必要とされる映画。第二次世界大戦下で多感な年頃を過ごす少年と彼の父親、そして家族を描く『少年H』は、日々に追われがちな現代人に、一瞬立ち止まり、いま一度自分を見つめ直すことを促す作品だ。
妹尾河童の自伝的小説である原作は少年H(肇)が主人公だが、映画はHの目を通して父親の盛夫を描く。その人物像は、どこにでもいる関西のおっちゃんという感じではない。誰に対しても誠意ある態度を変えず、時代の流れにしなやかに対応しながらも決して信念を曲げない。それはまるで、演じる水谷豊自身を見ているようだ。
水谷:外国人が多く暮らす神戸の洋服屋さんで、その人たちとも付き合いがあった方です。それだけでも、ちょっと違う感性があったんじゃないかと、まずは思いますね。子どもにいろいろと語っていきますが、それは時代がそうさせたんだと僕は思ってるんです。あれはまさに人としての本能だと。とても素晴らしいことを言っているようですけれども、ちょっと引いて見ると、とても普通のこと言ってると思うんです。
人間らしく生きていくのが難しい時代だったし、演じた僕が言うから、ちょっと謙そんしてるように聞こえるかもしれませんけれども、特別に立派なことを言っているという意識はなかったです。
水谷:親と子という関係がありますよね。人生でも先輩と後輩、そういう上下関係は当然あるわけです。でも、人が触れ合うのは全くそれと関係ない、上下を取り外したところで触れたりしますよね。それが分かってたんでしょうね、盛夫さんは。僕自身、どちらかというと、そう思ってます。もちろん、上下関係もあるし、先輩から学ぶことも、後輩に伝えたいこともありますけれども、本当に触れ合うというのは、そういうところではなくて、人と人。もしかしたら男女も超えたところで、実は結び付いていたりするのかなという思いは、ずっと持っています。
水谷:現場ではなるべく自由にしてもらおうと思って、僕たちはとにかく子どもを自由に、縛らないようにしてましたね。萎縮したり、怖いと思っちゃうと……(少し考えて)時にはそれも必要かもしれませんけど、それは本当のお母さんに任せて(笑)。遊び過ぎると、叱られるんです。降旗監督もとてもうまく、世界を作ってくれましたから、僕たちは、いて楽しいとか、安心するとか、そんな状態でいられたらいいなと。
水谷:女優としての素晴らしさは、舞台も映像もずっと見てきて、よく分かっているんです。改めて一緒にカメラの前に出ると……やっぱり素晴らしいですね。本当に何も無理してるものがないんです。作っていたり、計算してる気配が全く伝わってこない。ただそこに存在してるっていう状態でいられるのは、やはり素晴らしいです。
水谷:確かに、毎回何をやる時でもテーマはそれなんです。大切なのは演じるその人に見えることですから。その人を作ってるように見えちゃうと、もう違うんです。その人そのものに見えることが一番。
水谷:そうですね。でも、また、自分を消してないんですね(笑)。
芝居をしてるようだけれども、しきれないんです。カメラの前に出ると、特に芝居はできない。役があって、セリフがあって、全く違う人になってるようだけれども、どんどん本人がこぼれ出てくる。むしろカメラが外れたときの方が、芝居はできると思いますね。カメラ前で芝居すると、どういう人かが分かると僕は思うんです。自分をさらけ出さざるを得ないところにいくんです、必ず。台本を読んで、何を感じているのかが出ちゃうんです。何をどう感じてるのか分かっちゃう。観客の方は、これは面白いか面白くないかとか、とてもシンプルに見るわけですよ。だから、余計伝わる。見てる方が本当は分かってると思います。
水谷:そうですね。『少年H』で言えば、昔ながらのヘアスタイルや服装をする。それこそ役作りになるのかもしれません。だけれども、結局、見た人のなかに一番残るのは、そこではない。もちろん、ビジュアルとして残るけれども、本当に心打たれるのはそこじゃない。でも、そのためにも衣装や小道具、全部が大切になってくるんです。
水谷:これもまた練習はほとんどしてないんです(笑)。裁縫はもちろん、やらないんですけれども。不思議なんですよ。なぜ、カメラの前に出るとできるようになるのか……。ミシンだって10分も練習してないと思うんですけれども。ただ、今ここでやれ、と言われたら、できない(笑)。そういうものなんです。本当に不思議です。
水谷:一番の気がかりでしたね。僕がもしこの作品をやらなかったとしたら、理由は神戸弁。そのぐらい、言葉というのは重要です。できなかったら、作品の世界を壊してしまう。そこだけは撮影に入る前に本当に悩んだし、考えました。方言指導の方が録音してくれたものを聞いて、河童さんからニュアンスや当時の話を聞いたりしながら、イメージを作っていきました。そうしたら試写を見た後、河童さんが「パーフェクト、素晴らしい」って。映画はもちろん、言葉も完璧だって。これがまたね、ちょっとうれしかったですね。
水谷:妹尾家のなかや、表の商店街。あれも当時のまま再現しています。本当にその時代のその場にいるような状態になりますからね。それだけで違います。
水谷:いや。スタッフの皆さんがセットから何からすべて作ってくれてますから。人として、どうそこにいるかだけでした。原作に魂みたいなものがあって、それが人を引き付けたわけです。それを僕がどう感じていられるか。あの時代にあれだけのことが起きる。それをどう感じて、どう思って、生きていたのか。嘘をつけないですよね。そのままやっていくしかない。だから、ある意味、気持ちとしてはドキュメンタリー風ではあったんです。もちろん、本を読んでイメージして作れることもありますけれども、同時に、あるいはそれ以上に、特に今回は、そのときに感じることを大切にして、どこか自分を縛らないで、解放しておくことがより必要だったかもしれませんね。
水谷:テレビドラマ『赤い激流』でご一緒して、その後もときどき撮影所でばったりお会いすると立ち話をしたり、あいさつ程度はしてたんですけど。……っということは、前回僕は24、5だったんですね。そのときの僕を知られてるので、そういう意味じゃ、楽しかったです。もう格好つけても手遅れですから(笑)。
水谷:僕は、60歳まで俳優をやっていたとしたら、それまでの期間は60歳からのための準備だったと思えるだろうなと考えてたんです。『少年H』がまさに60歳で出会った作品です。僕、直感だけで生きてきているから、当たるんです。ほらっていう感じですよ(笑)。出会ってます、ちゃんと。今後についても具体的なことはないんです。でも、予感だけはしてるんです。必ず、また出会っていくんです。ここからだと思います。『少年H』が始まりで、ここからまた、残していける作品に出会うな、と。俳優としてできることは、やっておこうという気持ちになる。テレビもそうだし、映画ももちろん、舞台もあります。歌ってもいいし、いろいろやれることがある。それをやれるときに全部やっておこうと思っています。
(text=冨永由紀)
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