1947年11月12日生まれ、フランスのパリ出身。67年にIDHEC(フランスの高等映画学院)監督科に入学し短編を数本手がけるが、卒業後はマンガ雑誌「Pilote」のアシスタントを経て、マンガ家・イラストレーターとして活躍。75年、舞台を映画化した「Les vécés étaient fermés de l'intérieur」で長編劇映画監督デビュー。これをきっかけに『レ・ブロンゼ〜日焼けした連中』(78年)、『恋の邪魔者』(81年)、『夢見るシングルス』(82年)などヒットを連発、さらに85年にはアクション大作『スペシャリスト』、翌年には『タンデム』を発表し、多才な商業監督としてフランス国内での人気を確立させた。さらに『仕立て屋の恋』(89年)がカンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され世界的知名度を得る。『髪結いの亭主』(90年)によって人気は不動のものとなり、日本でも大ヒットを記録した。主な監督作は『タンゴ』(93年)、『イヴォンヌの香り』(94年)、『ハーフ・ア・チャンス』(98年)、『ぼくの大切なともだち』(06年)、初のアニメーション『スーサイド・ショップ』(12年)など。とりわけ“愛の名匠”と謳われるほど、男女の愛を美しく官能的に描くことにかけては他の追随を許さず、『橋の上の娘』(99年)ではヴァネッサ・パラディ、『サン・ピエールの生命』(99年)ではジュリエット・ビノシュ、『フェリックスとローラ』(00年)ではシャルロット・ゲンズブール、『歓楽通り』(02年)ではレティシア・カスタ、『親密すぎるうちあけ話』(04年)ではサンドリーヌ・ボネール、そして本作『暮れ逢い』ではレベッカ・ホール、といったように、女優の新たな魅力を引き出す演出術にも定評がある。
『スーサイド・ショップ』とは“自殺専門店”。本作の舞台となるのは絶望に覆われ灰色に染まった大都市で、人々は生きる意欲も希望も持てず、次々と自殺していた。そんななか、人気の“自殺専門店”を営む超ネガティブな家族のもとに赤ちゃんが誕生。アランと名付けられた赤ちゃんは、笑顔いっぱいで超ポジティブ! 店は経営の危機に瀕してしまう……。
本作の監督はフランス映画の巨匠パトリス・ルコント。『仕立て屋の恋』(89年)、『髪結いの亭主』(90年)など独特の美しさに満ちた作品を描いてきた彼が、初めてアニメーション、それも3Dに挑戦。ブラックユーモアが散りばめられた独創的なファンタジーアニメが誕生した。
「この作品は実写では描けなかった」と新たな挑戦に満足している様子のルコント監督に、本作について語ってもらった。
監督:彼の小説は、すべて読んでいます。この小説も発表された直後に読んでいました。シンプルな作品で、ファンタジーや自由な感覚に感動しました。
実は、当時この本の映画化の話が持ち上がっていたのですが、断りました。その理由は絶対に脚色不可能だと思ったからです。フィルム撮影で本物の俳優を使い、この奇妙で風変わりな世界を再現できるか? 私には実現する方法が思い浮かびませんでした。ティム・バートンなら可能かもしれませんが、私には残念ながら不可能だと思いました。
監督:そうなんです。始まりは1本の電話でした。4年に1度しか鳴らない私の電話が鳴り、ジル・ポデスタという見知らぬ男からの電話でした。私は基本的に、コーヒーをおごってくれて仕事を持ってきてくれる人の誘いは断らないので、話を聞きました。彼は「ようこそ、自殺用品専門店へ」の映画化の話を持ち出したので、その話は以前、依頼があったけど断ったのだと、彼の話を中断しました。すると彼は「話を最後まで聞いてください、これはアニメーションによる映画化のプランなのです」と続けました。その時、それならできるかもしれないと思いました。外部からの提案によって、うまく話が進むことがあるのですね。誰かに手を引かれて、足りなかったものが補われて決断できたという良い例です。
ジル・ポデスタが魔法の言葉「アニメーション」と言った時、すべてが輝き始めました。なぜなら、アニメーションでなら現実世界とは離れて違う宇宙に行けるし、新たに組み立てた世界を創造できる。つまりは、クレイジーと思われるもの、変なもの、粗野なものも再現できる。アニメーションは自然に忠実ではなくてもよく、ファンタジーの世界です。その上、タイミング的にも最高でした。なぜなら、製作準備をしていた映画が突然中止になり、私はフリーだったのです。非常に嬉しくて、48秒間考えてから彼に「今僕は自由な時間があるから、今日の午後から仕事に取り掛かるよ」と言いました。
監督:直感です。それに昔からミュージカル映画をやってみたかったのです。プロジェクトとして実現可能なタイミングで、自分がやりたかった“非常にブラックで非常に陽気な”映画をつくるチャンスが到来しました。絶望した男を見て、彼が服毒自殺をしようとする瞬間に、さようならの歌を歌ってあげるシーン、これは不気味に陽気です。音楽とアニメーションが一緒になって自由に表現でき、道徳的に正しくないことを作り出せる世界です。父親が7歳の息子にイラつき、たばこを吸うように勧める。この意図は将来、肺がんになることを希望してのことなのですが、実写映画で優秀な俳優を起用しても、このシーンを再現することは実際に許されるものではありません。アニメで再現できるのは実際の世界ではなく、全く違う世界だからです。
監督:不思議なのですが、原作を読んだ時は結末に違和感を覚えませんでした。しかし、映画への脚色を考えて原作を読むと、結末が非道すぎると感じました。筋が通っていない印象を受けました。作中、一貫して自殺反対を唱えている少年が、最後に全く反対のことをするのです。いくらアニメーション映画でも、ラストシーンに空中に飛んで命を絶つ少年を見せるのはどうかなと思いました。その時にポジティブな方向へ思いっきり変換したいと思いました。結局、楽観主義なキッチュとも言える結末にすることにしました。皮肉とも思えるほど幸福感でいっぱいにしようと、例えるなら陽気で悲惨なマシュマロのような結末です。
監督:映画作りという点においては(実写映画と)ほとんど変わりませんでした。台本を書いて、役者を選んで、チームを指揮して、カット割りをして、撮影位置を決めて、演出、装飾の選択、衣装、照明、編集や音声、ミキシングなど通常の映画と同じ進め方です。
ただひとつ“撮影しない”ということが違いました。予測できない天候、ケータリングの手配、疲労、役者のご機嫌取りや夜中の撮影などは避けることができます。最も大切なステージ、おそらくこれが最も大変な作業なのですが、それはアニマティックです。これは動きのある絵コンテと言えばいいでしょうか? 映画の下書きになるようなサンプル映像です。ここが映画での実写のショットと大きく異なる点です。撮影ではショットごとに撮影し、頭に浮かんだ通り順番にショットを撮っていきますが、アニマティックでは順序関係なくアイデアだけを映していきます。見ている映像の組み立て方、シーンの組み立て方を、発揮される効果を予測しながら構築しなくてはなりません。カットしたり付け加えたりするシーンを選択、推敲したり、スピードの調節をして、全体をより良い形にします。この段階では多くの人員はいりません。アニマティックに最終OKが出ると、アトリエで大チームによってサンプル映像から本製作が始まります。その間、自分の存在がなくなったように、修正され、淡々ときれいな映像が作られていきました。それは2年かかり、とても長く感じました。アニメーション製作は長い時間が必要です。幸運なことに、その間私は1本の映画を撮り、1本の芝居を書き、小説を1作品書きました。
監督:そうなんです。最初は何も知らなかったアニメーション映画の製作プロセスを初めて知ることに、強い熱意を持ちました。知らないことに挑戦する時に感じる新鮮さ、危なっかしさ、そして快活さがありました。「一度もやったことがないんだよ」と言いながらもプロジェクトを進め、最終的にはやり遂げてしまうなんて、素晴らしいことですよ。楽しい経験をさせてもらいましたし、またぜひ、近いうちにアニメーション映画を作りたいです。
監督:そんな風に言ってくれるとは嬉しいですね。私はこの映画を不正で破壊的、しかしとてもおかしな映画だと思います。ティム・バートンの影響を受けすぎていないといいのですが。いつか、この映画を彼に見てもらいたいですね。
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