『アイム・ソー・エキサイテッド!』ペドロ・アルモドバル監督インタビュー

原点回帰!? スペインの巨匠がブラックコメディに再挑戦

#ペドロ・アルモドバル

セックスやアルコール、そしてドラッグなど何でもアリだった80年代が原型

不祥事を働き逃亡中の銀行頭取、落ち目の元人気俳優、殺し屋、新婚旅行中の運び屋、伝説のSM女王に不吉な予言をするアラフォー処女……。曲者(くせもの)たちが乗り合わせた飛行機が、なんと着陸不能の状態に! 緊迫した状況のなかで場を和ませようとする3人のオネエ系客室乗務員と乗客たちのフライトの行方は──?

『オール・アバウト・マイ・マザー』(99年)、『トーク・トゥ・ハー』(02年)、『ボルベール <帰郷>』(06年)と、最近は感動の珠玉作を連発してきたスペインの巨匠、ペドロ・アルモドバル監督。その新作『アイム・ソー・エキサイテッド!』は、原点回帰したような毒々しいブラックコメディとなっている。

自ら「私の作品で最もゲイっぽい映画」と語る本作についてアルモドバル監督に語ってもらった。

──あなたの初期の作品『バチ当たり修道院の最期』(83年)、『神経衰弱ぎりぎりの女たち』(88年)などを彷彿とさせますが、本作を作ろうと思ったきっかけは?

監督:難しい質問だね。私は脚本を書き終わるまでその作品が気に入るかどうか分からないので、映画化を念頭に置いて脚本を書くことはないんだ。アイディアはずっと頭のなかにあって、脚本にするつもりではなく、数ページのアイディアノートのようなものを書き溜めて、そこから興味を持ったものを書き進め、クライマックスまで書いたときに自分自身に問いかけるようにしている。これから先もこの物語を描いて行きたいかどうかと。その答えがイエスなら、脚本にしていくんだ。

──では、この『アイム・ソー・エキサイテッド!』は、最後の答えが「イエス」だったわけですか?

監督:この作品については、最初に5ページくらいのものを書き連ねていて、それは脚本というより楽しんで書いていたに過ぎなかった。つらつらと、ストーリーラインやキャラクターについて書き連ねていたんだ。80年代のマドリードにあったアンダーグラウンドマガジンに短編を書いていた頃のようにね。とてもワイルドで、セックスやアルコール、そしてドラッグなど何でもアリだった時代のように。これが『アイム・ソー・エキサイテッド!』の原型になって、アイディアが膨らんで行った。自分自身でも気づかないうちに、あの自由だった時代へのノスタルジーがあったんだと思う。そして、スペインが現在置かれている状況について思いを馳せた。80年代にはある種の自由があり、それ以来スペイン国民はその自由を味わっていないような気がした。それがノスタルジーの元だったんだと思う。

過去の自分に戻ることは、リフレッシュメントだと思う
メイキング画像
(C) EL DESEO D.A.S.L.U

──曲者ぞろいのキャラクターがユニークですが、どうやってキャラクターを生み出したのですか?

監督:脚本の最初の10ページでは、コックピットとギャレーで起きることを描いた。3人のゲイの客室乗務員たちのとてもおもしろく、ナンセンスなシーンだ。そしてそのトーンを映画全体で共有したいと思っていた。3人の客室乗務員が映画のMCになるようなイメージだね。そして、もしこれを映画化するのだったら、乗客が必要だということになったんだけど、この乗客のキャラクターを生み出すのが最も難しいところだった。コックピットとギャレーと関わりを持ち、3人の愉快な客室乗務員とも関連づけなくてはいけないのだから。
 まず7、8人の乗客について書いてみたけれど、あまり気に入らなかった。そして一度、脚本を書き進めるのを諦めて傍らに置いておいたんだ。脚本を書くときには批評眼を持たなくてはならないからね。最初に書いた乗客のキャラクターは、あまりコメディにふさわしいものではなかった。弟や他の人たちに脚本を読ませたところとても評判が良かったんだけど、結局2年ほど棚に寝かせておくことになったんだ。そして2年後に改めて見直してみたときに、とてもフレッシュな視点で脚本を読むことができて、新しい乗客のイメージも沸いてきた。そして、映画にすることにしたんだ。2年前に脚本を書き終えないで棚にしまっておいたのが良かったのだろう。

──その2年は、どんな2年だったんですか?

監督:2年の間にスペインの状況は激変し、それも脚本を書き進めるために役立ったよ。例えば、この映画を撮影した空港はラ・マンチャのシウダ・レアル空港という実在した空港だが、地元銀行による資金と公的資金で作られたものの、不況の煽りを受けて現在は閉鎖中だ。乗客の上流階級のマダム・ノルマの役も、現在スペインで起きていることを反映させている。現在のスペインが置かれている危機的状況を現しているんだ。コックピットとギャレーのシーンは私の最初のひらめきによって書かれ、そのほかの乗客などは現在のスペインの状況を踏まえて書き加えて行った。

『アイム・ソー・エキサイテッド!』
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──原点回帰とも言うべき作品ですが、コメディにした理由は?

監督:私自身も、あの時代に戻りたかったのかもしれない。けれど、これは現在を描いた映画であって、ノスタルジーを描いたものではない。スペインの現在がメタファーになっているんだ。30年前、私はこういった短編小説をたくさん書いていた。だからこういう物語も私のキャラクターの一部なんだ。過去の自分に戻ることは、リフレッシュメントだと思う。だからといって、これから先もコメディばかり作るということではない。
『オール・アバウト・マイ・マザー』は私の映画のなかでも最もダークな作品だが、あの作品を作ったときも2本の脚本を同時に書いていた。全く違う種類の脚本を2本同時に書き進めるのは、とても健康的なエクササイズになっている。スペインでは今でも、私はコメディを多く作る映画監督として知られている。だがスペインの外での評価やレビューでは、『オール・アバウト・マイ・マザー』のようなダークなドラマを作る監督として認識されているという違いがあるんだ。

ペドロ・アルモドバル
ペドロ・アルモドバル
Pedro Almodovar

1951年9月24日生まれ、スペインのカスティーリャ=ラ・マンチャ州、シウダ・レアル県、カルサーダ・デ・カラトラーバ出身。一般企業につとめるかたわらで短編小説やマンガを書き続け、独学で映画作りを学ぶ。70年代に自主制作で短編映画を撮り始め、『Pepi, Luci, Bom y otras chicas del monton』(80年/未)で長編デビュー。『神経衰弱ぎりぎりの女たち』(88年)でヴェネチア国際映画祭脚本賞を受賞。『オール・アバウト・マイ・マザー』(99年)でアカデミー賞外国語映画賞を受賞し、『トーク・トゥ・ハー』(02年)でアカデミー賞脚本賞を受賞。主な監督作は『ライブ・フレッシュ』(97年)、『バッド・エデュケーション』(04年)、『ボルベール <帰郷>』(06年)『私が、生きる肌』(11年)など。

ペドロ・アルモドバル
アイム・ソー・エキサイテッド!
2014年1月25日より新宿ピカデリーほかにて全国公開
[監督・脚本]ペドロ・アルモドバル
[出演]カルロス・アレセス、ハビエル・カマラ、ラウル・アレバロ、ロラ・ドゥエニャス、セシリア・ロス、ブランカ・スアレス、アントニオ・バンデラス、ペネロペ・クルス
[英題]I’m So Excited!
[DATA]2013年/スペイン/ショウゲート/90分

(C) EL DESEO D.A.S.L.U