1980年12月19日生まれ、アメリカ・カリフォルニア州出身。映画監督の父、プロデューサー兼脚本家の下に生まれ、姉は女優のマギー・ギレンホールという芸能一家。11歳の時に『シティ・スリッカーズ』(91年)でキャリアをスタート。ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞したアン・リー監督の『ブロークバック・マウンテン』(05)で英国アカデミー賞助演男優賞を受賞し、アカデミー賞にもノミネート。『ナイトクローラー』(14年)、『ノクターナル・アニマルズ』(16)などでも高い評価を得ている。その他、『遠い空の向こうに』(99年)、『ムーンライト・マイル』(02)、『グッド・ガール』(02)、『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』(05)、『ゾディアック』(06)、『マイ・ブラザー』(09)、『サウスポー』(15)、『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』(15)、『ライフ』(17)などに出演。製作会社ナイン・ストーリーズを設立し、製作者としても活躍。
「もう1人の自分が居たら?」誰もが一度は考えたことのあるテーマを、若手演技派ジェイク・ギレンホール主演で映画化したのが『複製された男』だ。
ポルトガルでただ1人のノーベル賞作家・ジョゼ・サラマーゴの同名小説が原作で、何もかもが自分と瓜二つの人物が存在することを知ってしまった2人の男のアイデンティティの危機を緻密に描いた極上ミステリーだ。
本作で、2人の“自分”を“1人2役”で演じ分けたギレンホールに話を聞いた。
ギレンホール:まず始めに、僕がこの映画に参加したいと思ったのはドゥニ・ヴィルヌーヴが大変素晴らしい監督だからだ。そこで実際彼に会って映画の話をしたら、彼の思い描いていた世界は脚本を遥かに超越するものだった。脚本は彼がやりたかったことを的確に反映した青写真になっているけれど、それはドゥニ自身の手によるものだ。人は成長する過程で多くの妥協をし、自身の何かを手放すことを余儀なくされ、葛藤したりする。そして、ある一定の慣例に則した生き方や決められたルールに従わなければいけないと教わる。
以前、ブルース・スプリングスティーンの「闇に吠える街」というアルバムのメイキングドキュメンタリーを見たんだけど、そのなかで彼は大人になるとはどういうことかを表したかったと言ってるんだ。成長するために妥協は必要だけれど、自分を見失うほど妥協してはいけない。生きていくためには常にそのバランスが必要なんだ。人生を無駄にしないためにも、時には手放さなければいけないものもある、と。こういった葛藤や妥協は世界共通だと思うんだ。何かを欲することや、それに伴う葛藤、その過程で意識下では何が生じ、どのような決断を下すのか。その不可解で奇妙な道程にとても魅了されたんだよ。
ギレンホール:前にも言ったように、この映画は彼のヴィジョンなんだ。彼そのものだよ。“オトゥール”は全てをコントロールしたがり、全員に細かい指示を出し、言うことは絶対だと思いがちだけど、僕はそうは思わない。彼はオトゥールだけど、本当の意味でのコラボレーターだし、僕や撮影監督や皆の頭の一部分を借りて自分の考えとヴィジョンに影響を与えているんだ。共に仕事をした人間として言うけれど、彼と仕事をするのは最高だよ。
僕は彼をからかったりするけれど、彼はそれに対して一切怒らない。そして、何かに集中しているときには、ジョークとかは一切ナシだ。僕らにとって映画製作は真剣なことだし、撮影の場は神聖なものだからね。
そして、ジョークは一切ナシで真剣そのものでシーンを模索する日もあれば、互いを笑わせようとするときもある。例えばある日、ドゥニはとても思い悩んでいた。だから僕は彼に「ちょっと休もうか、これは映画なんだから」と言ったんだ。そしたら彼が「そう言ってくれて本当に助かる」と言った。僕らは映画制作が大好きで映画を作るために現場に集まっているけど、それが当たり前のことではなく、恵まれているんだと皆自覚しているよ。つまりオトゥールとは、自分の思い描くヴィジョンを明確に示すことのできる人間の呼び名だよ。そのために彼に賛同する優秀なスタッフを集めたんだ。幸いにも僕はその一部になれたけど、最終的にはこれは彼の映画であり、それ以外の何物でもない。僕は彼の美しい想像の世界のなかでダンスを踊っているだけなんだ。それは僕の特権であり、踊るには最高の場所だよ。
ギレンホール:僕らは白と黒や、陰と陽みたいに分かり易いストーリーには慣れているし、コンセプトも理解できる。この映画を不穏に感じるのはハッキリと明暗が分かれていないからだと思うよ。今までの対立の概念を破壊してしまうくらい、観客を困惑させることができたら面白いね。
ギレンホール:世の中で他の人がやっている仕事を考えると、僕の仕事は少しくだらないと思えるとこもあるから、なるべく「疲れた」なんて言いたくないんだけど、考えを整理する点からいうと、数分、時には数秒の間隔で心理状態を繰り返し切り替えないといけないとなると、さすがにちょっと疲れるよね。でも役者として、自分の演技を相手役の目線から見ることができるのは面白い経験だったよ。普通は自分の演技が相手にどのような影響を及ぼすか、自分では分からないからね。相手にどんな影響を与えるか考えることはあっても、それを実際に体験することはまずないからね。
ドゥニが編集した映像を見ているとき、同じ時間軸を生きる別々の人物ではなく、頭のなかで構成された過去の人物の残像か、もしくは逆に予知夢のようなものか、はたまた映像が僕の精神に何かしらの影響を及ぼしているのか、そんな感覚が常にあったんだ。その方向感覚の喪失みたいな感じを楽しんでいたよ。その体験も含めて、2人の役を演じることができて面白かったよ。
ギレンホール:映画では、2人の外見にはあまり差をつけず、態度や行動でそれとわかるように心掛けた。見ればわかるけれど、2人は別々の人間なんだ。でも“同じ動力源”で動いていると僕は理解しているよ。この映画は幾通りもの描き方があると思うんだけれど、最も困難で、かつ最も興味深い方法は2人をなるべく似せることだと思うんだ。1人には髭があり、もう一方にはなく、1人は訛っていてもう一方は普通の話し方……こういった違いそのものには何の効果もないし、この映画が描くべき観点から逸れてしまう。そういった肉体的な観点や、虚栄心を捨て去ることが大切で、できればこの映画の観客には、僕らが住む世界は、形而上学的なものなんだと伝えたい。悲観的なことを言うつもりはないけど、死を避けることはできなくても、僕らは生きなければいけないんだ。僕にとってこの2人のキャラクターはまさににそうで、同じ問題に対して違う悩み方をしているだけで、一方が生き残るためにはもう一方が全てを投げ出し諦めなければならない。その選択に対する答えを描いたのがこの映画なんだ。
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