1952年1月28日生まれ、山梨県出身。1974年『伊豆の踊子』で映画デビューし、第18回ブルーリボン賞新人賞を受賞。映画、TVドラマ、CMで幅広く活躍する。主な映画出演作は『台風クラブ』(85年)、『M/OTHER』(99年)、『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズ(05~12年)、『沈まぬ太陽』(09年)『アウトレイジ』(10年)、『RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ』(11年)、『アウトレイジ ビヨンド』(12年)など。近年は『64 -ロクヨン- 前編・後編』(16年)、『羊と鋼の森』(18年)、『風の電話』(20年)、『AI崩壊』(20年)、『グッバイ・クルエル・ワールド』(22年)、『線は、僕を描く』(22年)などに出演。
『救いたい』鈴木京香&三浦友和インタビュー
夫婦役として共演するは初めての2人が、東日本大震災後の被災地で今を生きる人々に寄り添う医師夫婦の姿を熱演
東日本大震災の爪跡が今なお残る被災地で暮らす人々が、悲しみと喪失感を抱えながらも前向きに生きようとする姿を、麻酔科の女医と被災地の地域医療に取り組む夫の視点で描いた映画『救いたい』が、11月22日から全国で公開される。
実際に仙台医療センターで麻酔科医長を務める川村隆枝氏のエッセイ「心配ご無用 手術室には守護神がいる」を原作に、名匠・神山征二郎監督が被災地の人々の思いを誠実に映し出した感動作だ。
本作で患者の痛みと向き合い、全力で命を守る医師夫婦を演じきった鈴木京香、三浦友和に話を聞いた。
鈴木:脚本を読みましたら、震災のことだけでなく医療現場に関わっている方々のことがていねいに描かれていたんです。仕事を持つ女性が前向きに未来に向かっていくお話だと感じたので、しっかりやらなければと思って取り組みました。
三浦:3・11以降の重い話ですからね。僕も、見て下さる方々に「こんなの嘘だよ」と言われるのは怖いな、という気持ちがありました。でも台本が素晴らしかったので、役作りもあまり気張りすぎないようにと思いました。
三浦:実は、撮影で顔を合わせるのは初めてなんですよ。『沈まぬ太陽』とか同じ作品には出ていますけど、別々のシーンだったので。
鈴木:念願かなって初めてご一緒できて、とても嬉しかったです。心のなかでは、すごく頼りきっていたところがありました。夫婦をイメージするのにも、三浦さんが旦那さんなんだからと、とにかく安心できました。周りの女性からも羨ましがられましたし。演技の道標として三浦さんをしっかり見て、現場で旦那さんとして慕っていれば大丈夫、ちゃんと出来るはずって思いました。
三浦:僕は、京香さんのおっしゃったことをそのまま逆にして返します(笑)。
鈴木:私は結婚生活の経験がないので、現実的には未知の世界ではありますが……。ベタベタしてないけれど、お互いを思いやって芯の部分でわかり合っていると感じました。私が自分自身を責めているシーンで、三浦さんの「たとえ女房でも、俺の大事な女房の悪口を言うやつは許さんぞ」というセリフがあって、素晴らしいと思いました。叱ってもくれるし、どれだけ大事に思っているかも言ってくれる、何て素敵な夫婦関係なんだろうって。
三浦:ああいうことを言えるといいですよね。やっぱり好いた惚れたで結婚してから10年20年と経ったときの、ベストな夫婦の形かな。深い所で結びついていて、本当に素晴らしい夫婦だと思いましたね。
三浦:そんなセリフのようなことは言いませんけど、演じた夫婦のような関係を築き上げているかなとは思っています。もう結婚して35年経ちました。手間味噌ですけどね。
鈴木:あの時は、日が暮れて灯りがなくなるからって、ものすごく慌ただしく撮影したんです。たしかクランクアップの日だったと思います。
三浦:そうですね。あまり余裕がなくて、ワンテイクで撮りました。台本のト書きには「意外と長い」って書いてあったんですよ。それってどんな長さなんだ? って思いましたけど。見た感じはちょっと長かったかなと(笑)。でも台本を読んだとき、あのシーンが浮いているとは思いませんでしたね。見る方にも、素直に感じていただけたら嬉しいです。
鈴木:たくさんありますけど、私は特にラストのお祭りのシーンで、復活したお神輿を地元の人たちと担いでいるときの三浦さんのハッピ姿が素敵だなと思いました。故郷が元に戻るのを願って、少しずつ前に進んでいる日本人の姿を表していて、とってもいいなと思って見ていました。
三浦:僕は、麻酔科医として働く医療現場のシーンですね。撮影はご一緒していないんですが。出来上がりを見て、こういう姿いいなって思いましたね。彼女の本来の職業の姿ですから、素晴らしいと思いました。
鈴木:はい。震災直後の避難所のシーンでは、私は居合わせなかったんですけど、知り合いの方がエキストラで参加してくれたと後で聞きました。そのとき私は本当に、自分の生まれ育った所でロケさせていただているんだなあと思って、嬉しくなりました。
三浦:皆さん、心よく協力して下さって、被災された方がほとんどでしたから。仮設住宅に実際に住んでらっしゃる方々にも出演していただいて、ご迷惑をかけたかなと思ってるんです。交流する時間があまりなくて、申し訳なかったと思っています。
鈴木:はい。私は若い麻酔医を指導するシーンが多かったんですけど、その場で(原作者の)川村先生に直々に教えていただきました。麻酔医って、こんなに細やかな段取りを踏んで手術台で外科医の人たちにバトンタッチされているんだなって、すごく意外でした。
三浦:麻酔医の存在を知らない人が多いですよね。
鈴木:そうなんですよ。私も実はよく知らなかったんです。やはり麻酔に関する意識や麻酔科医のことは、忘れられがちなんだって思いましたね。患者さんも外科医の方に気持ちが行ってしまうことが多いので、この映画を見て知っていただければと思います。
鈴木:防潮堤を築く工事も始まっていて、その場所で撮影させてもらったんですが、本当に美しい海だったので……。やはりすべて元通りになるのは難しいかもしれないけれど、少しでも早く以前の海の景色が戻ればいいなと思いました。
三浦:自然と防潮堤とのギャップも感じましたね。ああいうものを作らなければいけないんだということと、自然はこれで変わるんだという部分と。複雑な気持ちでしたね。
鈴木:川村先生はご主人が岩手、ご本人は宮城の病院勤務なので、離れ離れの暮らしのこととか、震災当時の気持ちとか、いろんなお話を聞かせて頂きました。実際は明るく華やかな方で、演じる隆子のイメージも女性として自分に素直に、楽しそうにしているのがいいかなと思いました。
三浦:いきなりちょっと劇画チックに(笑)。最初の脚本ではもっと極端だったので、監督と話し合って修正していただきました。この映画だからこそ、コミカルなシーンが生きているのかもしれませんね。
鈴木:出演させていただいて、私自身の郷土に対する思いが少し救われたような気がします。被災地で体を動かして撮影したことで、やっと私が役者として支援できることを実感したのかもしれません。この映画を見た方が被災地のボランティアや麻酔医のことにも興味を持っていただけば幸いですし、ほんの少しでも復興のお役に立つことができればいいなと思います。とにかく知りたい、忘れたくないという気持ちで、震災とこれからも向き合っていきたいと思います。
三浦:僕は震災後の宮城には初めて行ったのですが、衝撃でした。3年経っているのに……。そういう意味でもこの映画は、きちんと皆さんに見ていただかなければと思います。被災された方々は決して忘れることはないけれど、テレビや新聞で見ていた僕らは、そのときの思いを、どんどん忘れていってしまっているんですね。そんな自分を戒める意味でも、僕にとっては出演する意義と使命感があったと思います。この映画を見た皆さんが、忘れていた震災当時の思いを呼び起こしていただけたらと願っています。
(text 丸山けいこ)
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