1970年生まれ、千葉県出身。演劇・現代美術の世界で活動した後、1995年に"Sensational Kawaii"がコンセプトのショップ「6%DOKIDOKI」を原宿にオープン。以後、アートディレクター・アーティストとして、原宿Kawaii文化をコンテクストとした活動を行っている。09年より原宿文化を世界に発信するワールドツアー「Harajuku"Kawaii"Experience」を開催。11年きゃりーぱみゅぱみゅ「PONPONPON」MVの美術で世界的に注目され、13年には原宿のビル「CUTE CUBE」の屋上モニュメント「Colorful Rebellion -OCTOPUS-」製作、六本木ヒルズ「天空のクリスマス2013」のクリスマスツリー「Melty go round TREE」を手がける。14年に初の個展「Colorful Rebellion -Seventh Nightmare-」をニューヨークで開催した。
『くるみ割り人形』有村架純&増田セバスチャン監督インタビュー
原宿Kawaii文化を牽引する増田セバスチャン監督と、若手人気女優が初タッグ
サンリオが生み出した1979年の実写人形アニメーション映画『くるみ割り人形』に、追加撮影、CG&3D加工、および色彩処理などを大胆に施しリ・クリエイトした『くるみ割り人形』が11月29日より公開される。
メガホンをとったのは、きゃりーぱみゅぱみゅの美術演出をデビュー当時から担当し、世界を席巻している “Kawaiiカルチャー”の火付け役であり第一人者でもある増田セバスチャン。そして主人公の少女クララの声を担当したのは、『思い出のマーニー』に次ぐ声優参加となった女優の有村架純。
ハローキティ40周年を迎えた年に生み出された極彩色のミュージカル・ファンタジーを手がけた2人にアフレコ時の裏側について聞いた。
監督:実は『くるみ割り人形』の主人公をやってもらうにあたり、いろんな映像を見たり、CMの声を聞いたりして、有村さんの声を研究してみたんです。有村さんってどういう方かなと思ったので。そんななかで、ここのポイントをつかんだら、クララにぴったりはまって、なおかつ有村さんの良さも引き出せるだろうなというところがあったんです。アフレコ当日は、そういった確信を持って挑みました。
監督:有村さんって、年齢的には大人っぽい感じを出したい年頃だと思うんですが、この年ならではの甘えた感じというか。少女っぽくてピュアなところがあるなと感じたんです。それを伝えることができたら、おそらく有村さんが魅力的になるだろうなと。僕は監督として有村さんの魅力を引き出すという責任があるので。そこはどうしても引き出したかったんですね。
有村:わたしは、声優は2回目でしたが、(『思い出のマーニー』の)スタジオジブリとはまた違った難しさがありました。今回はその場で監督と一緒に役を作っていったという感じでした。自分のなかの引き出しから(役のイメージを)探したんですが、これで合っているのか、間違っているのか。それさえも分からなくて。もちろん監督がオッケーと言って下さってるので、オッケーなのだとは思うんですが……。でもずっとやっていくうちに、これで大丈夫なのかなと分からなくなってしまったんです。
監督:最初は僕が頭のなかで目指したポイントと、有村さんが目指したポイントが違っていた。最初は僕の考えるクララ像に有村さんをはめようと思っていたんです。
しかし、リハーサルを重ねるうちにその考えは間違いであると気付きました。自分が探していたクララ像は、有村さんそのものだったんだなと思いました。映画のなかでクララが成長していく過程が、有村さんが声優として成長していく過程と重なり合ったんです。それは予想もしなかったことですが、グッとくるポイントになりました。有村さんに出会って作品の質が変わったと思います。有村さんに出会えて本当によかったなと思いました。
有村:わたしはそこまで少女じゃないと思っていたんです。わりとナチュラルで、等身大な感じで演じれば大丈夫かなと思っていたんですが、実際は幼くて甘えた感じでとおっしゃられて。それが本当に当日だったので、「お、全然違う!」と思って(笑)。リハーサルでは何回もトライしました。
有村:まだ自分のキャラクターを客観的に見ることはできなかったんですけど、作品の世界観が遊園地にいるような感じで。気持ちが高揚していくような感じがしました。それとこの映画は3Dなので、より自分の世界に浸れるのがよかったですね。
有村:やはり口の動きが人形なので、そこが分かりづらくて難しかったのと、それとやはりキャラクターの演じ方もこれで合っているのかなという不安があったので、最初は苦戦しましたけど、だんだんこれでいいんだと思うようになって。クララがこの物語のなかで、少女から女性への旅をしたように、わたしもひとつの山を越えたような気持ちになりました。すごくいい経験させて頂きました。
監督:本当にアフレコを終えて、一緒にクララと旅したような感じがしたんです。自分も有村さんと一緒に成長できたような感じがしたんです。そのときは自分も有村さんも、何とかいいものが作れないかなとガチでやっていたので、何も考えられなかったですね。普通、アフレコというと、スタジオとミキサー室が分かれているものですが、僕は(ブースの)なかに入って一緒に録音しました。でも通常、そういうのは珍しいらしくて。そういうことさえも僕は分からなかったんですが、そこはいいように作用したのかなと思いましたね。
有村:そうですね。具体的に何が変わったかというのは分からないんですが、自然とクララの気持ちになっていったんです。クララと一緒に変化していくということは自分なりに感じていました。
監督:アフレコが終わった後、有村さんが晴れやかな表情をしていたんですよ。それまではずっと緊張していたんですけど、やっと心が通じ合った感じで。有村さんの大ファンになったので、今度はまた違った有村さんの姿が見てみたい。またいろんなことでご一緒できたらいいなと思っています。
有村:わたしもぜひご一緒させていただきたいです。
監督:今回は映画監督としての初チャレンジだったので、映画のセオリーがまったく分からなかった。しかし、自分は舞台とかステージとかを中心にやってきた人間なので、途中からは自分のやり方でいこうと思いました。
監督:僕は千葉県の松戸出身なんですが、松戸にはサンリオシアターという映画館があったんです。『くるみ割り人形』もそこで見ました。もちろん昔のことなので内容は覚えていなかったんですが、どこか心に引っかかりがあったんです。ですからこの話をいただいたときに、まさかこの『くるみ割り人形』をリ・クリエイトできる日が来るなんてと思いましたし、同時にプレッシャーも感じました。
監督:心に引っかかりがあったということは、これはきっとストーリーに強いメッセージがあるに違いないと思ったんです。そういう意味で1番苦労したのはビジュアルではなかった。僕はアートディレクターなので、ビジュアルがいいものを作る自信はありますから。では、どこが1番難しかったかというと、当時の先輩たちが残したメッセージを現代に置き換えることが難しかった。1番最初に脚本も書き換え、そして絵コンテも作り直しました。そういうものの編集と絵コンテで時間がかかりましたね。
有村:これはお仕事全体で言えることなんですが、仕事は自分ひとりだけでやっているわけではないんだなと思いました。今回も自分のなかでクララというキャラクターが飲み込めなくて、監督がいいと言ってくれているのに、「え、本当に?」と思ってしまうところがありました。でも、客観的にものごとを見ているのは監督だったり、プロデューサーだったりするので。監督がいいと言ってくれてるんだから、それは信じなきゃいけないなと。そういった仕事に対する気持ちを再確認しましたね。
有村:今回、『くるみ割り人形』に挑戦させてもらい、いい経験をさせてもらいました。これからもいろんな経験を積み重ねて、自分のなかでたくさんのものを見つけてからもう1回挑戦してみたら、違う楽しさがあるんだろうなと思います。
(text&photo 壬生智裕)
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