1963年8月15日生まれ、メキシコ出身。ラジオ番組の司会、CM製作などを経て、2000年に『アモーレス・ペロス』で長編映画監督デビュー。カンヌ国際映画祭批評家週間でグランプリを受賞。主な作品は『21グラム』(03年)、『バベル』(06年)など。
『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督インタビュー
シリアス路線から一転、笑いに挑戦しオスカー受賞に輝いた名匠
『21グラム』(03年)、『バベル』(06年)のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督がマイケル・キートンを主演に作り上げたブラックコメディ『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』。本年度アカデミー賞では作品賞、監督賞など最多4部門に輝いている。
スーパーヒーロー映画でスターになるも、その後の作品に恵まれず失意の日々を送っていた中年男が、舞台への出演で再起を試みる様子を描いていく。今まではシリアス一辺倒、本作で笑いという新境地を開拓したイニャリトゥ監督に、見どころなどを語ってもらった。
監督:人々に理解してもらえると嬉しい。ユーモアというのは難しいものだ。ユーモアはドラマほど通用しないと言うが、どうなるか様子を見るつもりだ。
監督:5年ぐらい前に、鏡に映る自分自身というか、エゴと苦闘する男の話を考えていた。それは、私が開発していた別のプロジェクトのためのちょっとしたキャラクターだった。だから、エゴを扱ったものという考えは、そこから生まれた。
監督:一時、舞台で、年配の役者の声をもう1人の自分として聞くというアイデアを検討していたが、どこか古めかしい感じがした。それからある日、私は突然、バードマンというスーパーヒーローの分身を思いついた。もうその時には、前述したアイデアでの台本が出来あがっていたが、スーパーヒーローを分身にするという考えにとてもワクワクした。なぜなら、ある意味、これは我々が生きている時代にふさわしいからだ。その声は今、我々が苦しんでいる現状の一部だ。現状とは、つまり、世界的な企業に管理されたエンターテインメント世界の状況だ。このスーパーヒーローと主人公の関係は、我々にとっても意味のあるすばらしいものだと思った。皆、とてもワクワクした。その瞬間、「よし、これだ!」と思った。そうやって、この声を少しだけ現代風にすることが重要だと分かったんだ。
監督:映画界の人から、役者の役作りの過程を描いたものと見られるかもしれないと心配していた。演技のプロセスなど、私は気にもしていないことだ。役者というのはエゴを表現するためには最も適した選択肢だが、人は誰でもエゴを持っていると思う。主に政治家や企業の重役、支配者たちだ。この世界は人間のエゴの犠牲になりつつある。それに誰でも、子供でも自分のエゴの犠牲になる可能性があると思う。エゴが危険なものであるという考えに人々が共感してくれるといいと思っている。エゴは人を後押しすることもあるが、一瞬でダメにすることもある。エゴをのさばらせてしまうと恐ろしいことになる。大変なことになりかねない。
監督:舞台はプロセスとして、演出に対しての勲章としてとても好きだ。私の最大の師は、(舞台監督の)ルドウィッグ・マーグリーズだったからね。(共同脚本の)アレクサンダー・ディネラリスはニューヨークでインディペンデント作品を上演したことがあるから、そういう世界に属している。私たちは皆、ある意味で、この世界を知っているし大好きだが、複雑なところも見ている。私にとっては、役者と映画の間の論争が問題だ。どういう意味か分かるかな? 人気俳優と人気のない演技派の役者はつねに争っている。「そんなテクニックはうまくいかない!」と言い合いながら。舞台は、人間のもろい性質を探求するために適切な背景になると思った。
監督:マイケルはこの役を、感情的にも表面的にも素っ裸で演じてくれた。彼はそういうもの全部を超越している。彼ほど虚栄心のない役者を私は知らない。彼は誰よりも自信にあふれている。彼は、人から何を言われようとまったく気にしない。誰にもとやかく言わせる気はないからだ。だからこそ、彼はこの役を演じることができた。彼はこの役を、離れたところから見て、笑い、感情的に巻き込まれることなく探求することができる。素晴らしいことだ。
彼はバットマンを演じていたけれど、ある時、「まさにぴったりだ」と思ったことがある。威厳のあるところや過去の経験があるからというだけでなく、彼はコメディからドラマへ即座に切り替えができる数少ない役者の1人だからだ。これは非常に難しい技だ。それに愛きょうを維持するのも楽なことではないよ! 主人公のようなイヤな奴でいながら、憎めない存在でいることはなかなか難しい。
監督:彼は飛びついたと思う。ためらいはなかった。嬉しかったよ。
監督:このアイデアを考え始めたごく初期の段階で、こういう撮影法にしたいと思った。キャラクターの視点で描くべきだと考えたからだ。人々には彼の立場から経験してほしいと思った。彼が自分の凡庸さに向き合うまでの、入り組んだ、閉所恐怖症的な、不可避の経験を見てほしかった。それを感じてもらう最良の撮り方は、カメラを究極の形で彼の視点にすることだった。それが理論であり考えだったが、実践に移すことは大変だった。どういうやり方をするかを検討するところから始めなければならなかった。こういう撮影法は一度も経験がなかったからだ。あれは恐ろしくて、無責任な実験だった。「これは実験的な映画だ」と思った。なぜなら、チャレンジとなるのは、今まで私がずっと取り組んできた時空間の断片化という映画本来の性質ではなかったからだ。これほど依存したものは今までなかった。それがないと、コンマやピリオドをつけずに文章を書くようなものだ。そういう道具で分断しないと、内在するリズムや調和、つながりを見つけにくくなる。だから、リハーサルや撮影をするうちにリアリティを形作り、見つけなければならなかった。すべてを事前に計画し、頭に入れた上で撮影した。
監督:撮影ができるように何もかも入念に準備し、用意できるように事前に検討した。つまり、あらゆる場、段階、スペース、必要な動きや調子を把握するということだ。それで撮影してみて、時には上手く行くし、時には上手く行かないこともあるからとても怖い。ペースとかタイミング、リズムというものは、上手く行くかどうか、時には魔法としか思えないこともある。ちょうど、生演奏をしているようなものだった。編集の余地はない。ライブの演奏だから、うまく行かなければ、どうにもできない。一つでもうまく行かないシーンがあれば、すべてがダメになる。
監督:間違いなくね。とても大変だったし、想像できないほど入念に気を配らなければならなかった。こういう撮影では、その場にいて、何もかも管理しなければならないため、心が浮き立つほど意識を研ぎ澄ます状況だった。普通は暗室で操作したり、修正したり、隠したりで半年を過ごすが、本作ではそれができない。普通なら半年かけて理性的な判断を下しているのに、その場で決定しなければならない。その代わりになるのは直感だ。どちらかと言えば、即興のジャズ演奏に似ている。本作にはジャズの要素があった。
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