1969年生まれ。高麗大学経済学科卒業後、コピーライターを経て、シナリオコンクールで大賞を受賞し映画の世界へ転身。以降、『マイ・ボス マイ・ヒーロー』(00年)、『セックス イズ ゼロ』(02年)、『1番街の奇跡』(07年) を演出した他、『シークレット』(09年)などプロデューサーとしても多くの作品を手がけた。『TSUNAMI−ツナミ−』(09年)では韓国映画歴代9位の動員を樹立、本作では動員1410万人を超え韓国歴代2位になり、韓国を代表するヒットメーカーとなった。
1950年代から80年代に渡る韓国の激動時代を舞台に、家族のために必死に生き抜いた父親の姿を描いた『国際市場で逢いましょう』。観客動員1410万人を超え、韓国歴代2位を記録した大ヒット作が、5月16日より日本でも公開される。
韓国を代表する演技派俳優ファン・ジョンミン主演で1人の男の波乱に満ちた生涯と家族の絆を描いたこの感動作について、そして本作で本格的映画デビューを飾った東方神起のユンホについて、ユン・ジェギュン監督に語ってもらった。
監督:10年前、私に最初の子どもが生まれ、大学1年生の時に亡くなった自分の父親を思い出したのがきっかけです。父は一生家族のためにサラリーマンとして働き、定年退職後にガンで他界しました。最期に「ありがとう」と言えなかったことがトラウマになっていたのですが、自分が親になり、父親のことをいつか映画にしてみたいと思うようになりました。でも当時私には韓国の歴史を描く作品を作れるほどの資金がありませんでした。そんななか『TSUNAMI』が興行に成功し、やっと資金のめどがついたため、本格的に『国際市場で逢いましょう』のシナリオを書いて準備を始めたのです。
監督:韓国の現代史は朝鮮戦争を省いて語ることはできません。当然私の父も朝鮮戦争を経験していますし、ストーリーに起承転結という4つの史実を盛り込むなかで、1950年代の朝鮮戦争を「起」に、「結」は朝鮮戦争のひとつの結末ともいえる80年代の離散家族再会にすることはすぐに決まりました。悩んだのは、60年代、70年代から何を選ぶかということです。結局、この映画は家族を養おうと努力する家長の物語であるため、外貨を稼ぎ国の経済発展の礎を築いたとされる60年代の西ドイツへの炭鉱労働者と看護師の派遣、そしてベトナム戦争を描くことにしました。
監督:リサーチには3〜4年程度かけました。本や映像資料を調査したほか、実際に西ドイツやベトナムに行った人たち50人以上に会い、インタビューを行いました。経験者の生の声からは意外な事実が明らかになってきます。例えば、炭鉱労働といえば、石炭を掘るのが大変だというイメージがありますが、実は「坑道が崩れないようにパイプを立てる作業がとてもつらかった」と言うのです。パイプは1メートル50センチぐらいあって、重さは80キロ。それを1日何本も運ぶのが肉体的にきつかった、と。映画には数多くの人たちの、さまざまなエピソードが描かれています。
監督:撮影で一番大変だったのが、時代を再現することでした。冒頭の興南撤収のシーンのロケ地候補として韓国の海岸をくまなく探したのですが、すべて現代的な建物があり、適した場所が見つかりませんでした。悩んだ末に避難民の姿は釜山の多大浦(タデポ)海水浴場で撮影し、陸地にカメラを向けるときは高さ3メートルほどのグリーンバックをコンテイナー4台に張りつけて撮りました。また、妹が海に落ちる場面は、4か所で撮ったものを一つのシーンに編集しました。さらに、炭鉱はチェコ、離散家族再会のスタジオは全羅道にある小さなホールと、当時の雰囲気を残すロケ地を求め、世界中を探し回りました。リアルな演出にこだわったのは、その時代を生きた人々が映画を見るのに、経験した空間と違えば失望すると思ったのです。だから、その方々のためにも、どうしても再現したい、と努力しました。
監督:あれには戸惑いましたね。イデオロギー論争が起きるとは、想像さえしていませんでした。なぜなら、論争を避けるため、あえて政治的な内容は省いていたからです。私は純粋に、家族の映画として作りたいと思っていました。祖父母や孫が一緒に見て、世代を超えて理解し合う作品にしたかったのです。
監督:彼が演じているナム・ジンは、いわば“70年代のユンホ”。今の東方神起のような韓国のトップアイドルです。ナム・ジン役のキャスティングには条件が3つありました。「トップ歌手で、カッコいいこと」「全羅道の方言を完璧にこなせること」「人間的に優しい人であること」。最初に挙がった候補がユンホさんでした。実は私はアイドルに偏見があり、傲慢で礼儀がなっていないのではと思っていたのですが、ユンホさんに会って変わりました。彼は性格がいい。スターとしての自意識も過剰でなく、現場でのニックネームは「アジュンマ(おばさん)」でした。よくしゃべるんですよね(笑)。考えも深く、目上の人や両親を尊敬しています。コンサートの合間を縫ってタイで撮影したので体力的にきつかったと思いますが、私がOKしても「もう一度お願いします」と一生懸命でした。いつも一番先に現場入りしていた姿が印象的です。それから、日本やタイのファンが300人ぐらい来ていて、ファンの力はスゴイなと思いました。
監督:1つは運が良かったのだと思います。2つめは、共感ではないでしょうか。お金や論争を起こすために作ったのであれば、これほど多くの人は見なかったことでしょう。真心を込めて作ったと共感し、認めてくれたから成功できたのだと、とてもありがたく思っています。
監督:私が『ALWAYS 三丁目の夕日』を見て共感したように、日本の方にも『国際市場で逢いましょう』に感情移入していただけると信じています。若い世代は親や祖父母の時代を思い出し、親の世代は自分たちが苦労した時代を思い出すのでは。親子で見て対話するきっかけになれば、と願っています。
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