1943年1月15日生まれ、東京都出身。1961年に文学座に入り、「悠木千帆」名義で女優活動を始める。1964年に森繁久彌主演のテレビドラマ『七人の孫』にレギュラー出演し、人気を博す。20代から老け役を演じ、テレビドラマ『寺内貫太郎一家』(74年)の貫太郎の母役は大反響を呼んだ。映画にも幅広いジャンルの作品に出演し、近年は『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(07年)、『わが母の記』(11年)で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、『悪人』(10年)で同最優秀助演女優賞を受賞。その他、『歩いても 歩いても』(08年)、『ツナグ』(12年)、『そして父になる』(13年)、『海街diary』(15年)、『海よりもまだ深く』(16年)、『あん』(15年)、『万引き家族』(18年)などに出演。
5月13日から始まった第68回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門のオープニング作品として上映された河瀬直美監督の『あん』。東京の住宅街にあるどら焼き屋に、求人募集を見た1人の老女・徳江がやって来る。彼女の作る粒あんの美味しさから店は繁盛するが、やがて徳江がハンセン病を患っていたことが噂になり……。丹誠込めて、あんを作る徳江を樹木希林が演じる。
作品について、雇われ店長・千太郎を演じた永瀬正敏や、店の常連の中学生・ワカナを演じた実孫の内田伽羅をはじめ共演者について、そして波瀾万丈だったこれまでの経験から得た死生観について語ってもらった。
樹木:それが不思議ですよね。私がよく知らないんですから、ドリアンさんをね(笑)。
樹木:それは順番で決めるから。お話が来て、「ああ、そうですか、それじゃあ、決めます。大体1年かかるんですか? でも、間はあるんでしょう」みたいな感じで。
樹木:ほとんど断る。でも、向こうが合わせてくるのよ。台本を向こうにやったり、こっちきたり、押したり引いたりっていうのは、あります。
樹木:いや、そんなに負担はないんです。今が一番忙しいんですけど、それは宣伝活動をしているから。いろんな人に会わなきゃならない今が一番忙しい(笑)。本来、私自身は作品の中での私でいたいわけです。「実はうちはね」なんて、そういう話は本当はしたくないんだけど、せざるを得ないことになっちゃう。だから、映画1本撮るだけならば、とても楽なスケジュールでいけるんです。
樹木:そりゃ忘れてますよ、撮影のない間は。だけど、河瀬さんという人が、忘れちゃいけないっていう圧力をかけるんです、優しい言葉で。優しい顔して、「そこに生きてたでしょう?」っていうような問いかけするからね。こっちもすっかり忘れてても、何か忘れてないような顔をして。
樹木:そうなんです。『朱花の月』で突然声かけていただいて、1日で済むということで、奈良に行きました。そのときに面白い人だな、と思いましたね。奈良という土地もあるんでしょうけど、ちょっと新鮮な感じがして。だから「今度、映画を撮りましょう」と話して、1年か2年くらい経ってから(本の)「あん」が送られてきて。「これは、あなたを想定しています」なんてドリアンさんが書いてきて、それで「へえ?」となって、河瀬さんも、「もうそろそろ入りますか?」と言ってきて。
樹木:徳江さんには、難病ものにありがちな必死な感じっていうのはなかったですね。とても普通の人。
樹木:実際にモデルになったような人たちに会うと、いろいろ過酷なはずなのに、むしろ向こうが元気良くて、「あんた、頑張んなよ」って励まされるの。それは、全て背負いながら日々生活してたら、苦しくて、とんでもなくなっちゃうから。それぞれ、自分なりの“抜け方”を手にして生活をしているんだと思います。実際に会うと、職員に文句言ったり、いい人じゃない部分を平気で出してるし、だから、(普通の人と)全く同じだなと思いました。。
樹木:治ってるかどうか、分からないの。全身がんっていう病名だから。でもね、それを追いかけていったら、くたびれちゃうから、追いかけない。そういう生活なのね。年中、病院行って血液検査して、腫瘍マーカーが出たとか何とか。そんなことはしてられないと私は思うからね。私の病気との対峙の仕方です(笑)。
樹木:そう、そうしなきゃ生きられないのよ。
樹木:私の場合、相談したら、された方が困るのが分かるから。別に言わなくてもいいか、っていう感覚です。それが徳江さんみたいなのかもしれない。すっと分かるんですよ。分かるというか、私なりの徳江さんのつかみ方。普通に皮肉も言うし、ちょっと意地悪をするような感覚(笑)。病気を持った人の人生を感じることはできないけども、ただ、寄り添うことくらいはできるかな、と思うの。過酷なものを背負ってる人の思いを私自身が引き受けてあげることはできない。絶対できない。でも、そばに寄り添うことはできる。そんなふうにして、演じてきましたね。
樹木:それは監督の腕です、編集の腕です。
樹木:それは多分ね、病を背負って囲われた中から出ることもできずにこの歳まで生きたその過酷さを、(見る人が)自分の生活に重ねて見てるんだと思うのね。みんな自由じゃないですか。にもかかわらず、自分の中で生きにくさを持ってしまっていくのが人間なんですよね。若くても、歳を取っても。
樹木:でも、選ぶことのできる人生でもあるのに、結局はどこかの枠の中に入ってしまうことと、背中合わせだと思うんですよね。自由であるはずの千太郎(どら焼き屋の店長)も、14歳のワカナ(店の常連客)までも、将来のかげりみたいなものを見ながら、これから生きていかなきゃならない。不自由さを強いられた徳江とは背中合わせだと思ってるんですね。
樹木:河瀬さんという人はね、ぐっと押し出す強さを持ってて、何者が来ても引き受けるみたいな女の人なのに、作家としては慎み深さがあると思う。
実際にハンセン病の人たちが集まって、三々五々しゃべってるシーンがありますけども、そういうときもさりげない。日差しの中でね。そこに河瀬さんの美意識、あるいは優しさみたいなものを感じます。だから、私はこの時期に河瀬さんと出会って良かった。もう、ちょっと遅いけどね。これからの役者さんには、河瀬さんとの仕事があったら、どんな役でもいいから、どうぞって言うの。過酷な現場を見ることをできるから。
樹木:自分の役を生きてくれって言われる厳しさなんです。怒鳴ったりもしないし、どこからスタートなんだか分からいような、優しい雰囲気の撮影現場です。通りがかりの人が「どら焼き売のお店できたの?」「買えるんですか?」なんて、芝居している最中に声かけてくるくらい自然に、記録映画のように撮っていくから。いい物を作らないといけない。数少ないチャンスを生かさないといけないなと思います。
樹木:台本ではワカナ役の子が、徳江の14歳のときも演じることになっていたんです。それじゃあ、オーディション行ってみなよって。家族はちょっと二の足踏んだんだけど、河瀬さんに会うだけでもって、その程度の軽い気持ちで行って。過酷な思いをこの子が一番したと思うんですけど。住んでいるイギリスから東京に来たら、トランクを持って電車でまっすぐアパートに入って。現場には自転車で通ってました。休憩時間も遠くに座ってる。河瀬さんに「あの人はおばあちゃんじゃない、役の人なんだから、その意識のまま、いてください。」って言われるわけ。あの子も素人だから「そういうものか」と思ってたみたいです。寒い日に裸足で水を被るような雨のシーンがあって、頑張ってやれて、14歳なりに達成感があったんじゃない? 出来上がったら全部カットだったという挫折も味わって。1年の間にずいぶん得るものはあったんじゃないかと思う。やってるときは、ちょっとかわいそうなことをしたなというのが、私の中にありました。でも、生きるということはいろんな出会いをするわけだから、それも一つの経験として。
樹木:全部、もう大胆にカットですよ。それは、(徳江の友人・佳子役の)市原悦子さんも、人によっては出演したのに全面カットもありますからね。だから、出てただけでも良かったじゃないって(笑)。だけど、カットされた間からこぼれるものは、やっぱり長いこと、いろんな人生を生きてきた人の持っている存在感だと思いましてね、すごく安心でしたね。たくさんの監督と出会って、たくさんの役を生きてきて、この歳になって、ああいう監督に出会わせてもらって、役者の原点に戻していただいたっていう、そこは一致しましたね、市原さんと。
樹木:私も、そう思う。今回顔を見てて、ああ、いい男だな、と思えるのね。いろんな体験もして、華やかなものも、苦しみも体験したことがすごく素直に出ている。一番永瀬さんが心の中で文句言わなかったんじゃないかしら。私は表には言わないけど、心の中でいろいろ言ってました。「またやるの?」「そんなに朝早く?」とかね(笑)。でも、永瀬さんは本当に謙虚。見ていて、役者はそうあるべきだなって。72になっても自分中心で、みんな悪いのはそっちっていうような生き方してると、反省しましたね。
樹木:というよりも、私たちの代表よね。一般世間の代表。無理解ということを含めての。
樹木:それを憎々しいような雰囲気のおばさんが出てきてやるんだったら、ごく当たり前なんだけど、河瀬さんはああいうキャスティングをする。面白いと思いましたね。
樹木:それは、やっぱり人間の先が見えてくると、そうなるのよ。たとえばこの映画はカンヌ国際映画祭で上映されるけど、そこには世界のバイヤーが来るんですよ。それで採算が取れるといいな、と思う。うまくいかなくて、作る元気なくなっちゃうのは気の毒だなと思う。そういう程度の恩の返し方。言ってみれば、普通の人よりは、生き死に関して、あんまり境がない。普通に畳の上で死ねる状態ならば、という気持ちになるのね。私は60になって目が見えなくなったり、肺炎起こしたり、がんになったり、いろんなものが重なってくると、ああ、そういうもんだなって。だから、元気でぱたっと死ぬのは、ちょっとかわいそうな気がする。だんだん弱って、いろいろ不自由になって、あれもできなくなる、これもできなくなる。そうするうちに、だんだんあきらめがついてくるのね、自分の生というものに。そうすると、楽よ。生きるということも、死ぬことも面白がって、それもそれっていうふうにいると、案外気楽。いろんな人に出会って、いろんな喧嘩もして、裁判もしたり、いろいろあったけど、今はそういう節目節目のいろんな出来事が、みんな面白かったね、となるから、面白いわね。
(text:冨永由紀/photo:小川拓洋)
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