1987年1月1日、ロサンゼルス生まれ。ハリウッド映画界の重鎮フランシス・フォード・コッポラの孫にあたる。父ジャン=カルロ・コッポラは1986年に事故でわずか22歳にしてこの世を去っており、父を知らずして生まれた彼女は 母に育てられる。子ども時代をナパヴァレーで過ごしたあと、再びロサンゼルに移り住む。バード大学にて写真を学び、2009年に卒業。友人たちと共にコーマーシャル・ムービーを制作し始め、レン、オープニングセレモニー、Built by Wendy などのブランドのコマーシャルを次々に手がける。初長編監督デビュー作となった『パロアルト・ストーリー』は、ヴェニス国際映画祭やトロント国際映画祭で上映され、高く評価された。
フランシス・F・コッポラの孫でソフィア・コッポラの姪というエンターテインメント界のサラブレット、ジア・コッポラの監督デビュー作『パロアルト・ストーリー』は、青春時代の繊細な感情を見事に映像化した作品だ。
原作は、『スパイダーマン』シリーズなどで知られる人気俳優ジェームズ・フランコ。自身の生まれ故郷でもあるカリフォルニア州サンフランシスコ・ベイエリアの街を舞台に、夢や理想を追いながらも挫折に苦しむ若者たちの物語が交差する。
CM監督として活躍してきたジア・コッポラ監督に、デビュー作について、そしてジェームズ・フランコとの交流について語ってもらった。
──ジェームズ・フランコとは以前から交流があったんですよね。小説は2010年に出版され話題となっていて、新しい世代の才能に映画化してもらいたいと思っていたジェームズから監督をオファーされたそうですが、引き受けた理由は?
監督:ここまで若者がリアルに描かれていて、私自身が気に入った小説には出逢ったことがなかった。さまざまな登場人物の1人1人がとてもリアルで胸に迫ってきて、若さ特有の繊細さ、脱力感、会話の軽妙さ、意味のない衝突や、愚かな間違いがとても見事に描かれていたの。
監督:とてもデリケートで好奇心旺盛だった時期を振り返るいいチャンスだと思ったから。若さ故の心の痛みや、自分の居場所を探し始める時の動揺、大人の世界には入り込めないのに、子どもとしては大人すぎるアンバランスさ、誰もが体験したことだと思う。
監督:『ラストショー』、『アメリカングラフィティ』、『アウトサイダー』などを参考にした。主人公たちの人生や悩みにすごく共感できる作品だった。それに作品のスローなペースも気に入ったの。若さの象徴のような時間の流れね。特に『ラストショー』にはとても感動した。映像だけでなく、役者たちも輝いていたし、感情溢れる演技が素晴らしかった。それにあの虚無感ね。まったく何もない場所で、ただ色々やってみる以外には、何もすることがないあの虚無感がすごかった。
監督:したわ。でも最近よくあるテレビドラマや映画の「ティーンもの」は、25歳ぐらいの俳優達がきれいにカッコ良く着飾って演じたものばかりで、リアルではないと感じていたの。だからこそ今回の企画では、本当に17歳前後の俳優を使って、まるで友人から借りてきたような普段着を着てもらって自然なリアルを求めた。モダンでかつ普遍性のある作品に仕上げたかった。
監督:オーディションでは、個性のない若い俳優たちばかりでフラストレーションを感じたわ。たくさんのキッズに出逢ったけれど、誰も本当にティーンではないような気がしたの。彼らはすっかりオーディション慣れした俳優だった。(ヴァル・キルマーの息子でモデルをしていた)ジャック・キルマーは同じ学校の同窓生で、年下だけど家族ぐるみの付き合いをしていた。彼はサーフィンもできるし、絵を描くのが好きなの。すごくリアルな人だと思ってた。だから(主人公に惹かれる内向的な少年)テディにもぴったりだった。有名な役者よりも遥かに面白い素材だと感じたの。それにハンサムだし、人を惹き付ける魅力が彼にはあるわ。
監督:彼女も知り合いだった。エマはすでに10代を経験済みで背伸びをする必要がない。年齢よりも大人びた態度をとる普通のティーンとは少し違う経験をした彼女なら、エイプリルのキャラクターにぴったりだと思ったの。
監督:映画作りはまるで謎解きのようなもので、初監督として現場に立つのは、まるでティーンのような気分だった。居心地が悪くて、焦って頭もまわらない。でも結果としてはジェームスが映画化を任せてくれて本当にラッキーだった。初監督の私を色々助けてくれただけでなく、自由に解釈して映画化することに理解を示してくれたから。
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