1964年2月6日、ロシア、ノヴォシビルスク生まれ。地元の演劇学校卒業後、ノヴォシビルスクの劇場で働く。86年、モスクワに移り、ルナチャルスキー記念演劇大学の演技コースを90年に卒業。舞台やテレビ、映画の端役やエキストラをつとめた後、広告業界に入り、テレビCMをはじめ、テレビドラマの演出を手掛ける。03年に『父、帰る』で劇場長編監督デビューし、ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞。07年、第2作『ヴェラの祈り』は主演のコンスタンチン・ラヴロネンコがカンヌ国際映画祭の主演男優賞を受賞。11年、第3作『エレナの惑い』はカンヌ国際映画祭ある視点部門審査員特別賞を受賞したほか、モスクワ国際映画祭監督賞、ロシアのアカデミー賞であるニカ賞で主演女優賞・助演女優賞のダブル受賞を果たした。『裁かれるは善人のみ』はゴールデングローブ賞外国語映画賞、カンヌ国際映画祭脚本賞を受賞、アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされたほか、数多くの映画祭で賞を獲得している。
つつましく暮らす小市民が、権力者により住む家を奪われそうになり立ち向かう。ロシア映画『裁かれるは善人のみ』は、アメリカで実際に起きた土地の再開発をめぐる悲劇的な事件をベースにした社会派ドラマだ。
ロシアでは、主人公が教会と結託した権力と闘うという内容から、公開時に上映禁止運動がおこるなど大きな議論を呼んだ問題作でもある。
世界のあちこちで散見するような善人の苦難を見事な映像にまとめあげたのは、鬼才アンドレイ・ズビャギンツェフ監督。『ヴェラの祈り』『エレナの惑い』と2作連続カンヌ国際映画祭で賞を受賞し、本作でも第72 回ゴールデングローブ賞外国語映画賞など多数の映画賞を受賞したズビャギンツェフ監督に聞いた。
監督:2008年にアメリカで撮影をしたときに、通訳をしてくれた人からマービン・ヒーメイヤーというアメリカ人が起こした事件(通称・キルドーザー事件)のことを聞きました。溶接工だったヒーメイヤーは素朴な52歳の男で、ガレージを所有していました。隣に倒産した工場があり、アメリカの巨大企業が再開発のためにその土地を買い取ったのです。彼はその再開発に反対しましたが、この企業だけでなく、市役所、警察、権力、コロラド州との彼の戦いは功を奏しませんでした。絶望した彼は、ある日ブルドーザーを装甲車に改造して、市役所などの建物を次々と打ち壊したのです。
この話に私は強く心打たれ、そこにとてつもない反逆者を見たのです。それを共同でシナリオを書いているオレグ・ネギンに話しました。『エレナの惑い』を撮る前のことです。「これはすごい映画になる」と思いました。
次にハインリッヒ・フォン・クライストの小説「ミヒャエル・コールハースの運命」を読んで、このアイディアを更に掘り下げようと思いました。この小説の出だしはヒーメイヤーの話とそっくりです。馬商人のコールハースが馬を売りに出かけると、以前は自由に通行できた道に、通行税を取る柵ができていました。ヒーメイヤーの土地の周りにも柵が作られ、それを乗り越えないと外に出られなくなっていたそうです。信じられないくらい似ています。通行税が払えなかったコールハースは通行税の代わりに馬を奪われます。しかしその通行税は嘘で彼は騙されていたのです。コールハースはその馬に酷い仕打ちをした貴族に抗議します。「代償に金も、別の馬もいらない。自然が私に与えてくれた権利として私が要求するのは、私の馬を返してくれることだ」と言います。多くの人が彼に味方し、軍隊となってライプツィヒの街を焼き払うのです。オレグと私は、この話をロシアに置き換えることにしました。
監督:ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフなどの作品は好きです。ロシアで創作をするすべての人に影響を与えていると思います。ロシア文化には欠かせない、とても重要な作品群です。芸術に身を捧げようと思う人は、彼らの影響を受けずにはいられません。人間性の深みに触れ、私たちが発見した人の性質を表現したり、再現したりできればいいと思います。戦略的な方法としてドストエフスキーを念頭に置いて脚本を書いているわけではなく、私たちの中にあるものなのです。共同脚本家のオレグ・ネギンとは同じ言語を使い、長い間一緒に仕事をしてきて、それは私たちの血肉となっています。空気の中、心の中、魂の中にあるのです。私にとってドストエフスキーは始まりであり、終わりでもあります。
監督:文化省大臣ウラジーミル・メディンスキーが映画を観て「映画の終わり方が非常に悲劇的で厭世的だ。希望も光もない」とコメントしました。作品を評価してくれたとみなすこともできますが、個人的な意見に過ぎないように思います。
メディンスキーは「すべての花に咲いてもらおう。ただし、我々は気に入ったものにしか水をやらない」と発言しています。解職されるべきです。これは憲法の直接的な侵害であり、人間の表現を直接に侵害しています。芸術にルールを強要してはいけません。誰もが平等であるべきです。特定の芸術作品が役に立とうと立つまいと、政府による補助は、すべての参加者に等しく行われるべきなのです。
彼は真のロシアの姿を知りません。人々の生活をありのままに表現した映画内の“都合の悪い”部分を取り除けば、人生はよりよきものになると心から信じているのです。人民が酩酊していること、国家から盗むこと、賄賂など、彼の中では、ロシアに存在していないものなのです。
監督:初めは舞台俳優になりたかったので、シベリアにある演劇学校に通いましたが、将来の展望は見えませんでした。それから、アル・パチーノ主演の『ボビー・デアフィールド』と『ジャスティス』に夢中になり、モスクワに移って実験的な舞台に立っていました。それでも成功には程遠く、ビルや街路を清掃する仕事などをしていました。絶望よりももっとひどい、どう表現していいかわからない状態でした。負け犬で、ゼロで、無だったのです。
仕事を転々とする中で、家具店のCMを制作することになり、そこで映像制作を学びました。『情事』(ミケランジェロ・アントニオーニ)を見て衝撃を受け、映画監督を志しました。『若者のすべて』やエリック・ロメール監督作品など、60年代の映画をむさぼるように吸収しました。その後も舞台には立ち続けていましたが、探偵ものの連続ドラマを撮影する機会に恵まれ、プロデューサーの目に留まり、2001年に映画を作らないかと声をかけられました。それが、『父、帰る』に結実しました。
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