1968年4月20日生まれ、熊本県出身。15歳のときに単身で渡米、マサチューセッツ州にある全米有数のアートスクールでデザイン・音楽・絵画・写真などを学び、パーソンズ美術大学に進学して建築を学ぶ。NY在住の26歳のときに音楽雑誌『VIBE』の写真を手がけ、写真家として活動を開始。その後、CM、広告、雑誌のアートディレクションなど幅広く活躍。最近では、三代目 J Soul Brothers のPVが話題に。2004年、TVアニメ『新造人間キャシャーン』を実写映画化した『CASSHERN』で映画監督デビューを果たし、2009年には新感覚時代劇『GOEMON』を監督した。
『CASSHERN』『GOEMON』を監督し、興行的に成功したもの、酷評を受けてしまった紀里谷和明監督。その後の不遇の期間を経て、ついに新作『ラスト・ナイツ』が公開になる。満を持してハリウッド・デビューを果たした紀里谷監督が、新作について、映画について、芸術について、人間について……熱く語ってくれた。
『ラスト・ナイツ』は、クライヴ・オーウェン、モーガン・フリーマンといったハリウッドスター出演により描かれる、「忠臣蔵」を題材とした忠誠心溢れる騎士たちのドラマだ。舞台設定は時代も場所も架空であり、中世のヨーロッパ風ではあるが、剣というよりは刀というイメージの武器や衣装など、アジアンテイストも感じさせる。それにストーリーは意外なほど「忠臣蔵」に即しており、奸計により命を落とした主君のために、家臣たちが仇を果たそうと敵陣に討ち入りするというもの。
吉良上野介にあたる悪役、浅野内匠頭にあたるモーガン・フリーマン扮する主君、大石内蔵助にあたるクライヴ・オーウェン扮する家臣のリーダーの登場はもちろん、大石主税を彷彿とさせる少年の面影を残す最年少剣士の成長も描かれ、「忠臣蔵」の萌えツボまでしっかりと押さえられている。「忠臣蔵」の精神が根底に流れるハリウッド映画は、やはり日本人の監督にしか作り得なかったのかもしれない。
紀里谷監督は15歳で渡米しているが、その時すでにハリウッドを目標にしていたのだろうか?
「ハリウッドに憧れがあったわけではなく、できるだけ制限のないところで物を作りたいと思っていました。そもそも僕は、洋画・邦画というジャンル分けも意味がないんじゃないかと思っています。ハリウッドでは、言うなれば、今まで12色しかなかった絵の具が120色になり、筆もいろんな筆があって……と制作のツールも増え、また、完成した作品を観てくださる人数も桁違いに増える、というように可能性が広がっていきます。でも、それを得るためには、ステップを踏んで行かなきゃいけない。クリエイターを目指す皆さんに伝えたいのは、諦めずに自分の家で作る自主制作からコツコツと始めていってほしい、ということです」
しかしながら、個人的な制作からどうやってハリウッドにつないでいけばいいのか、凡人にはなかなか難しく、想像すらできないものがある。
「僕の場合は写真から始めましたが、最初はカメラの使い方もわかりませんでした。ただ何かを作りたい、という思いで試行錯誤していたんです。自分が撮りたいものにどうやったら最短距離で行けるか、ということを常に考えながら。当時、デジタルカメラもフォトショップ(写真加工ソフト)もまだ出始めだったけど、どのツールを使えば距離が縮まるか、いろいろと試しました。そうやっていたのが、アートディレクションを手がけるようになり、やがてPVを作るようになり、その積み重ねのうちに『CASSHERN』を撮らせてもらえるようになって、そこで世界の扉が開いたという感じですね。そして、ハリウッドで映画作りの勉強をさせてもらえるようになりました。でも、やっぱり最初は自分が家で撮った拙い1枚の写真から始まっていて、今回の『ラスト・ナイツ』まで、僕の中では地続きでつながっています」
その地続きのなかで、監督として一番辛かったのは『GOEMON』から『ラスト・ナイツ』のまでの苦節の期間なのだろうか?
「いえ、その間だけでなく、生まれてからいままでずっと苦節です。僕は15歳で渡米して、それから道を見失ったり、やってもやってもできないこともありました。それでも僕はやり続け、そしてここに来た。ここというのはハリウッドってことだけではなく、自分が思い描いているものにずいぶん近づいてきたということです。と言っても、例えば『地獄の黙示録』や『2001年宇宙の旅』のような壮大で凄まじい映画には及びません。『地獄の黙示録』のマーロン・ブランドの最期なんて、どうやったらこんなシーンが撮れるの?って未だにわからないです」
紀里谷監督が思い描いているものに近づいてきたということは、つまり作り手として“達成感”も得られるようになったのだろうか?
「“達成感”という“形”があるものではなく、もっと“形”にならない、なんていうのかな、自分がなくなってしまう感覚なんです。良いものに触れて訳もわからず涙を流している瞬間、その人は自分をなくしていて、そこには美しさと得体の知れない幸福感がある。誰もが経験あるけど言葉では説明できない、そういう感覚にしか真実がないと僕は思っています。ある人はスポーツで、映画で、音楽でそれを感じることができる。その感覚が一種の印象のようなものとしてこの世に存在するというのは、素敵なことだと思います。神に通じるような……僕は宗教家ではないけど(笑)。でも、僕が監督をやっている理由はそこじゃないかな」
確かに、監督の話を聞いているうちに人智を超えた領域に及ぶ感覚を思い浮かべた。そんな神の境地に通じるような感覚を、監督自身が得たいから監督をしているということなのだろうか? それとも観客に与えたいから?
「観客のことを意識し始めると結局、そこに作為が入ってしまい、純粋なものではなくなりますよね。もちろんコマーシャルアートでお金を頂いている以上、お客さんのことを考えないわけにはいかない。ただ、人との会話もそうであるように、こちらが自分の壁をとっぱらわないことには、相手と繋がれない。壁をとっぱらうのは勇気が要るから怖くもあるけど、自分が垣根なく、本当の意味でちゃんと作ったと思える作品は、自ずと観客の皆さんと繋がれると僕は信じています」
ちなみに筆者は学生時代に自主制作の映画作りをしており、自分の作りたいものを目指すと、どうしても人に無理を強いたり、周りに迷惑をかけているように感じたものだった。そして、自分の作りたいものはそれほど価値があるものなのか?と自問自答するに至ったが、監督がそういった葛藤を感じたことはあるだろうか?
「それって“自分の作るものに価値があるか?”ということでなく、“自分に価値があるか?”という話なんですよね。だとすれば、この世に存在する人間すべてに価値があるから、その悩みは解消されると僕は思います。いつも思っていますが、自分が作った映画がヒットすればすごく嬉しい、でも、ヒットしなくても自分の価値は変わらない。なぜなら、そもそも価値があるからです」
ところで、これまでの紀里谷監督の作品はCGを駆使したビジュアルの強さが前面に感じられるものだった。しかし、『ラスト・ナイツ』では、様式美が感じられるロングショットの城内やモブシーンにCGが使用されていると思われるが、見せるためのCGではなく、あくまで演出の手段として黒子的な使い方のCGだった。そこには、ビジュアルよりもドラマを重視して作風を変え、“CG好きな紀里谷監督”というイメージを払拭しようという意図があったのだろうか?
「人間は多面的なものです。たまたま僕が映画を作らせてもらっているなかで、いろんなことが起こるということ。前2作は限られた予算のなかではCGを使わないと表現できなかったけど、今回はもっと違うツールで違う表現が可能になったということです。次回作はアクションがないものの予定ですし、今後はアニメや子ども向けのものも手がけるかもしれない。もしかすると映画ではないものになる可能性もあります。形となるものがなんであれ、重要なのは何を感じて何をやりたいか、ということです」
感じること、やりたいこととして、作り手は作品の中にテーマを描いていく。この『ラスト・ナイツ』で、「忠臣蔵」がベースとなった物語の中で語られるテーマは忠誠心だ。主君亡き後も、命を捧げてでも忠義を尽くす家臣たちの姿が感動的に写し出される。
「人間が自分と対峙してこの世に存在するときに、どうやって生き残るか、または生き残らないか、という選択を迫られます。多くの人は生き残るという選択をせざるを得ない。でも、生き残らなくてもいいから正義を選ぶ、そうすることで世の中が幸せになるんじゃないか、という人たちもいます。いわゆる偉人と言われる人たち、キリスト、釈迦、キング牧師などがそうで、多くの人びとに愛されています。でも、たいていの人はその選択を選べない。選べていたらこんな殺戮と暴力の世界にはなっていないはずです。それを否定するつもりはありません。ただ、稀有な選択をできる人たちの1つの例として『ラスト・ナイツ』を提案しました。多くの芸術はそこに向かっていて、僕はみんなで担いでいる神輿の一端を担がせてもらっていると思っています」
では、紀里谷監督にとって映画とはどういう存在なのだろうか、最後に尋ねてみた。
「映画は100数十年前にできた産物で歴史は浅いものです。ですが、音楽や小説、さまざまな芸術のなかで、いま最も世界中の人たちとつながることのできる媒体だと思っています。共有できる人数の規模が全然違いますし、見る側を信じられない感覚に導いてくれる。音楽や小説もそうと言えるかもしれませんが、次元が違う何かがあると思っています。そんな映画が、ただただ素晴らしいと言いたいわけではないです、僕はそんなロマンチストではないので(笑)。でも、映画を作らせてもらえる立ち位置に、たまたま僕が立たせてもらっていることには感謝しかありません」
(text&photo:入江奈々)
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