1962年、米国マサチューセッツ州出身。ウェズリアン大学で文化人類学を専攻。ノンフィクション・ライターを志し、93年にボスニア紛争に赴き初めて戦地を体験する。97年、出版社に企画を持ち込んだ「パーフェクト・ストーム」(91年に北米大西洋を襲った大嵐で犠牲になった米漁船の実話を基にしたノンフィクション)がベストセラーとなり、ウォルフガング・ペーターゼン監督、ジョージ・クルーニー主演で00年に映画化もされた。99年にはコソボでの戦争犯罪を取材したヴァニティ・フェア誌の記事で、アメリカ雑誌編集者協会のナショナル・マガジン・アワードを受賞。
『レストレポ前哨基地』パート1・パート2 ティム・ヘザリントン監督&セバスチャン・ユンガー監督インタビュー
2人のジャーナリストが語る「対テロ戦争」の現実
“治安維持”という名の「対テロ戦争」の現実を捉えたドキュメンタリー映画、『レストレポ前哨基地』パート1とパート2。2007年にアフガン東部コレンガル渓谷に派兵された米軍小隊を1年間追った作品で、タイトルにある「レストレポ」は、配置早々に命を落とした20歳の兵士の名前だ。
監督は、英国人戦場カメラマンのティム・ヘザリントンと、米国人戦場記者のセバスチャン・ユンガー。ヘザリントン監督は、2011年にリビア内戦を取材中に落命し、ユンガー監督はパート1の未使用シーンからパート2を1人で完成させた。
ユンガー監督と生前のヘザリントン監督に、映画への思いを語ってもらった。
ヘザリントン:小隊を1年間追いかけるというのは、セバスチャン(・ユンガー)から出たアイデアです。
ユンガー:僕は1996年からアフガニスタンの戦地リポートを一般人の目線から届けてきました。(2001年の同時多発テロ事件を契機に)アメリカ主導による長期の戦争が始まってから、(米陸軍第173空挺旅団戦闘団の第503空挺歩兵第2大隊の)2005年にバトル中隊に従軍したんですが、その取材で兵士たちに強く感銘を受けました。従軍したのはそれが初めての経験でしたが、もし再びアフガンにいくことがあれば、一つの小隊に派遣期間中ずっと付いて、本を書いてドキュメンタリーを作りたいと思っていました。本の出版は経験があるから知っているけれど、ドキュメンタリーについてはどうすればいいか、全くわかりませんでした。幸運にも、ヴァニティ・フェア誌とABCニュースの仕事で、ティム(・ヘザリントン)と組むことになったんですが、彼のおかげで十分な映像が撮れて、2009年の冬から編集を始められたんです。
ヘザリントン:僕もセバスチャンも昔からヴァニティ・フェア誌のコントリビューターでしたが、2人揃ったのはこれが初めてです。
ユンガー:ティムはスチール写真を任されていて、当初、ヴァニティ・フェア側には僕がこういうことを考えているとは伝えていませんでした。でも、アフガンに向かう飛行機の中でティムにその話をしたら、とてものってくれたんです。
ユンガー:広がりというより、彼らの体験をもっと深く掘り下げたつもりです。戦争についての政治的な判断とか、モラルについて話してもらってはいません。兵士たちが戦場で経験した情動や感情についてのインタビューであって、さらに深いレベルで彼らを理解するためのものです。
ヘザリントン:戦争のより広い側面を求める人々にとっては、このドキュメンタリーは何かが欠落していると感じるでしょう。明確な答えを提示する内容ではありませんから。この映画を作っていて思ったのは、現実の兵士とその家族が、世間で伝えられている姿から、大きく乖離していることです。大抵の場合、戦争についての議論では、兵士たちとその家族は蚊帳の外に置かれています。この映画では、いったん政治的な部分は置いておいて、兵士たちの経験を、戦場経験のない人々が知り理解することで、包括的な論議をしてもらいたいと思ったんです。
ユンガー:2007年6月にヘリコプターから降り立ったとき、渓谷のあまりの険しさに驚きました。そして、その美しさにも。戦闘は最小限で済むと思っていたので、予想は完全に外れました。
へザリントン:行動の制限は、一切なかったです。負傷した兵士の撮影はしない、しても後で本人に了解を取る、という口約束はありましたが。死体の撮影は慎重に行なうというのは当たり前です。軍にはセキュリティやプライバシー上、ラフカットを見せるのですが、特に問題になったシーンはありませんでした。。
へザリントン:いいえ。2人で一緒の時と、単独で行った時もあわせて、僕もセバスチャンもそれぞれ5回ほど行きました。1回につき1ヵ月ほど滞在しました。
へザリントン:小隊を監視する人が誰もいなかったので、兵士たちとは非常に親しくなりました。彼らのバックグラウンドはさまざまで、入隊理由もバラバラです。親元を離れたくて入隊したとか、通過儀礼としての体験や新しい人生を求めて入隊したとか。多かったのは、あまり選択肢がない中で軍隊が条件的に一番良かったという兵士です。アメリカ全土から集まって来ていましたが、テキサス州やカリフォルニア州出身が多かったです。グアムのような遠方出身者もいました。
ユンガー:滞在を重ねるごとに、よりリラックスできて居心地がよくなりました。兵士たちに、政治的なドキュメンタリーを撮ろうとしていないことが徐々に伝わったからでしょう。われわれが兵士たちと同じように危険な目に遭い、苛酷な環境に耐えているのも、彼らは見ていますし。ティムは戦闘中に足を骨折し、僕はアキレス腱を切り、銃撃戦で吹き飛ばされたこともあります。それでも、コレンガルに戻り続けましたから。
ユンガー:僕らは2人とも長年、戦地を取材してきていますから、銃撃されるのは初めての経験ではありません。戦場は興奮と恐怖を味わう反面、合間に生じる長い退屈との闘いでもあります。戦場では、物事はとてもシンプルで、殺されるか生き延びるかのどちらかです。日常生活のゴタゴタなど、どうでもよくなる。それに加えて、アドレナリンが大量に分泌されるので、普通に戻ることが非常に困難になる。これを兵士たちは経験したのだし、彼らほどではないにしろ僕らも経験しました。
へザリントン:従軍レポートでは、実際のバンバン撃ち合う戦闘を強調することが求められます。そして多くの記者は、そういう“アクション”を入れないと仕事をした気になれないものです。僕らも同じです。でも、コレンガル渓谷では銃撃戦が果てしなくあったから、そういうシーンだけ撮っていてはつまらない。それよりも戦争を知る上で、はるかに興味深く啓発的なのは、兵士たちのふるまいです。戦場体験がない人たちは、ニュース映像やハリウッド映画を通して理解するしかない。でも、それらの描写は往々にして限界があり、戦地で体験するある種の滑稽さや退屈や混乱を伝えてはいません。われわれは、そういったものを伝えることが大事だと思ったんです。
へザリントン:泣く泣くカットしたシーンは山ほどあります。“シューラ” (長老たちとの会合)では、かなり笑える場面もあったし、怒号が飛び交い緊張が走る場面もありました。地元の人たちが米軍の味方になってタリバン側の情報を伝える場面もあったし、逆に明らかに米兵を嫌悪してアフガンから出て行くことを望む場面もありました。いずれも、こういった類の戦争の複雑さを示唆しているわけですが、残念ながらすべてを映画に入れることはできませんでした。
へザリントン:編集には二段階あります。僕はもともとスチールカメラマンなので、現地でカメラを構えている時点である程度、編集の意識を持っています。そして、ラッキーなことに非常に優秀な編集者が作業してくれました。マイケル(・レヴィーン)は、僕たちが思いもつかないシーンをつないでくれて、明らかに作品の質を高めてくれたと思います。もちろん、戦闘の最中でも、僕は「あの煙草から出ている煙は(映像に)使いたいな」とか考えていたわけです。カメラを手にそういう思考に集中していなければ、とても怖くて戦闘の場にいられなかったでしょうね。
へザリントン:ええ、鎧(よろい)のようなものです。
ユンガー:武器を持つことで恐怖を免れるのと同じで、恐さから逃避するためのカメラです。
へザリントン:兵士たちは、僕らが武器なしでいるのが理解できないようでした。「銃を持たずに、どうやって撮影していられるのか?」と訊かれました。彼らはカメラを携えた経験がないので。
ユンガー:「自分の仕事が戦場で映像を取ることだと仮定して、カメラを持ってみて」と実際に体験してもらったら、多分「なるほど」と思ったでしょう。
ユンガー:それは考えていませんでした。どんな結果が待っているか、誰が死んで誰が死なないのか分からないわけですから。物語的な展開も可能だったかもしれないですが、それではドキュメンタリーとしては行き過ぎたものになったでしょう。
へザリントン:アフガンに通い出してしばらくして一つ分かったのは、戦闘よりも兵士たちの強い絆の方が、よほど興味深いということです。普通、“戦闘マシーン”と言えば、爆弾や機関銃、リコプターなどを想像しますね。なぜならメディアがそう伝えるからです。しかし、本当の戦闘マシーンは人間です。少人数のグループの兵士たちを一緒に訓練させて、そして極限の状況へと送り込み、仲間のために命を捨てて敵と戦わせるのです。その事実に、兵士たちと一緒にいるうちに気づき、それこそがこの映画で描いていることです。
ユンガー:われわれが伝えたかったのは、戦争の政治的な側面ではなく、兵士たちの体験だったので、それ以上のことを描かないよう制限しました。例えば、司令官に「なぜコレンガル渓谷に展開することにしたのか?」とは質問しませんでした。戦う兵士たちには選択の余地がないことだからです。実際にコレンガルで戦っている人間だけを映すことを信条にしていたので、もちろんティムと僕も出てきませんし、外部のナレーターも使いませんでした。
へザリントン:僕らはジャーナリストであり、世論を“誘導”すべきではないと思っています。それはメディアの世界において確かにありますが、ジャーナリストとしてわれわれがやりたいことではないのです。
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