1980年8月19日、福島県出まれ。2004年に香港でモデルの活動をスタートさせ、映画『八月の物語』(05年)の主演に抜擢されて俳優デビューする。2006年に台北へ拠点を移し、ドラマ・映画・TVCFに出演。2009年に音楽制作の拠点をジャカルタに置き、2011年に日本での活動も開始。映画『I am ICHIHASHI 逮捕されるまで』で監督・主演・主題歌を務める。2015年以降は東京を拠点に、NHK連続テレビ小説『あさが来た』(15年)、『モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-』(18年/CX)、『シャーロック アントールドストーリーズ』(19年/CX)、大河ドラマ『青天を衝け』(21/NHK)などのドラマ、映画では主演作『海を駆ける』(18年)、『空飛ぶタイヤ』(18年)、『記憶にございません!』(19年)、『エンジェルサイン』(19年)などに出演。アジアの縦軸で活躍を続け、2021年12月に3rdアルバム「Transmute」をリリースし、ライブツアーも行った。
日本で生まれ、香港でモデルとしてキャリアをスタート、台湾の映画やドラマで活躍し、ついに日本凱旋した国際派俳優DEAN FUJIOKA(ディーン・フジオカ)。
1860年代のカンザスを舞台に、アメリカ最古の探偵社「ピンカートン社」の創設期を描いたミステリーアクションドラマで、FUJIOKAはピンカートン探偵社に犯人探しを依頼する日本人ケンジ・ハラダ役で出演。ミステリアスな日本人がしだいに探偵社のメンバーに馴染んでいく様子を華麗なアクションを織り交ぜながら、クールかつコミカルに演じている。
そんな彼に、北米ドラマの進出の裏話や日本で注目を集めている今の心境について話を聞いた。
FUJIOKA:僕の過去の出演作や資料をプロデューサーに送り、面接までこぎつけ、2時間くらい話をして、後日、決定の知らせを受けました。テストされているというよりは、相手を知るためにコミュニケーションをとっていた感じで、すごくリラックスして話をしていたと思います。
FUJIOKA:2014年の9、10月から2015 年の1、2月くらいまで、カナダのマニトバ州のウィニペグという町で撮影しました。サミュエル・L・ジャクソンの映画もその辺りで撮っていた、とドライバーに聞きましたが、ピンカートンズ(THE PINKERTONS/原題)の撮影も始まって、町おこしみたいな感じでしたね。昔のアメリカの西部劇や60〜70年代のニューヨークのイメージを撮るときには、ウィニペグのダウンタウンを撮ることが多いみたいですよ。
FUJIOKA:作品の時代背景は、日本は明治になる前で国交もなく、アメリカには奴隷制がまだ残っていた頃だと思います。今では考えられないことですが、当時のアメリカ社会では人間として扱われていたのは白人だけという状況の中に、有色人種が飛び込んでいったわけです。ケンジは自分の目的を達成するためにサバイブしていったり、ピンカートンズの仲間たちと出会ってアメリカナイズされてファンキーな感じになっていきますが、僕自身も学生時代に北米に住んでいたことはあるもののこの地で仕事をするのは初めてだったので、ケンジが周囲に溶け込んでいく過程とシンクロする部分がありましたね。
FUJIOKA:当初は本当に3話くらいということでしたが、第4話が完成したタイミングですごく肯定的なコメントをもらえました。クルーのみんなが、僕が力を発揮できる場面をつくってくれたおかげで、出演回数が増えて、ケンジというキャラクターがディベロップされていった感じですね。
FUJIOKA:まだ放送はされていなかったので視聴者の反響ではなかったのですが、エグゼクティブプロデューサーや配給会社の方々、まぁ、偉い人たちが(笑)、これならもう少しシーンを増やしてもいいんじゃないか、と思ってくださったようで、ありがたいことに準レギュラーとして出演させていただきました。
FUJIOKA:撮影が休みだった日曜日にダウンタウンのカフェで、監督と役柄に対する意見交換をしました。そのときに、監督が黒澤監督のファンであり、僕が中華圏で剣術などのアクションをしてきたのを見てくださっていたので、それをうまく活かしていきたい、という話がありました。ケンジは武家の出身で、父親のためなら密航しようが脱藩しようがどこまでも追いかけていく、という目的意識を持った男なので、日本の侍であればどういう風にふるまうかを教えてほしい、と言われました。僕はちょうどその前に『NINJA THE MONSTER』という作品に出演して、日本の殺陣を教えてもらう機会があったので、京都の太秦で習ったことをピンカートンズの監督にもお伝えして、そこからアイディアがどんどん盛り込まれていった感じですね。
FUJIOKA:アジア人がそんなにいない町なので、「何してんの?」と言われますよね(笑)。「ジャカルタから来たけど、日本人だ」と(笑)。ピンカートンズは政府もプッシュするくらいの作品で、その町ではよく知られていたので、すごく応援してもらったり、「サインくれ」とか言われたり。ありがたかったですね。
FUJIOKA:僕がずっと1人でそこ(ウィニペグ)にいて、そこにセイラがくることになって初めて会いました。彼女はカナダの国籍を持っているから、家に帰ってきたみたいな感覚だったと思いますが、いろいろ新しい経験もあったようで、彼女のピュアでフレッシュな視点からくる疑問や質問に僕も考えさせられることもありました。セイラはとても明るい子で、あんなに寒くてもテンションが落ちないので、僕も元気をもらいましたね(笑)。
FUJIOKA:僕は寒いのは苦手なんですが、セイラはお酒があれば元気なので(笑)。
FUJIOKA:それは嬉しいですよ。声かけてもらえたりするのも嬉しいし、自分のおばあちゃんが、僕が日本語で演技しているのを日本のテレビで見ることができる、ということをすごく喜んでくれているので、ようやくおばあちゃん孝行できました。NHKに関しては、海外でも見られるじゃないですか。だから、これまで応援してきてくれた香港の仲間やファンの人たち、台湾、中華圏、東南アジア、北米の人たちに自分が何をしているのかを伝えることができる、もちろんソーシャルネットワークもありますが、こうしてつながっていられるというのが素晴らしいことですよね。
FUJIOKA:あんまり変わってないかも(笑)。ばったり会ったファンの方から何かリクエストがあれば、そこでできる範囲で応えていきたいとは思いますが、お店に入れば1人の客ですから、周囲に迷惑かからない程度にやっていきたいですね。
──国際的に活躍されるようになると、例えば台湾の仲間やファンはもう戻ってこないのではないかと寂しがるかもしれませんね。台湾、香港、アメリカ、日本、インドネシアもありますが、今後はどのような配分で仕事をしていこうとお考えですか?
FUJIOKA:わからないですね。タイミング次第だったり、いろいろなお話をいただくと選ばなければいけないので、本当にありがたい話なんですが、こればっかりはタイミングと縁ですね。日本にいると、「台湾に帰りたいな」と思うこともありますし、「家族がいるジャカルタに早く帰らないと」とか「子どもと会いたいな」とか。いつかお礼参りができるようにツアーしたいですね(笑)
FUJIOKA:「成功」の定義が人によって違ってきますが、僕にとっては今がやっとスタートできた、という感じです。まだまだこれからだな、どんどんハードルが上がっていくだろうな、ということに対して背筋がシャキッとする思いが強いですね。プライベートでは、家族とどれだけ一緒に過ごせるか、ということが本当に今後の自分の仕事にも影響してくると思うので、こういう移動を繰り返す生活もどこかで区切りをつけないといけないのかな、とも思ったり。でも、自分の場合は、一つの国だけで仕事をするということはないと思います。現在もいくつか悩みというか課題があるので、“ヤッター”という感じにはなかなかなれなくて。ただ、やっぱり昔の自分では想像できなかった状況になって、多分そういう面に共感してもらえる方々がいるということだけでも幸せだと思うんですね。今後も挑戦は続けていきたいな、とは思いますし、具体的に何かというとわからないのですが、ここまで来たからにはもっと行くところまで行かないといけないな、という漠然とした思いは、男として、父親としてありますね。
(text&photo:秋山恵子)
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