1957年9月21日生まれ。兄のジョエルと友に映画制作を行っている。ジョエルと同様、マサチューセッツ州のバード大学サイモンズロック校を卒業。その後、プリンストン大学で哲学を学んだ後、サム・ライミ監督の『死霊のはらわた』(81年)で編集助手を担当。その後、兄ジョエルと友に『ブラッド・シンプル』(84年)を制作し注目を浴びる。『バートン・フィンク』(91年)でカンヌ国際映画祭最高賞パルム・ドール、監督賞、男優賞(ジョン・タートゥーロ)を受賞し、史上初の3冠に輝く。また『バーバー』(01年)では同映画祭で監督賞を受賞。『ファーゴ』(96年)でアカデミー賞脚本賞、『ノーカントリー』(07年)で同賞の作品賞・監督賞・脚色賞を受賞。その他の作品は『ビッグ・リボウスキ』(98年)、『オー・ブラザー!』(00年)、『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』(13年)など。
『ヘイル、シーザー!』ジョエル&イーサン・コーエン兄弟監督インタビュー
ジョージ・クルーニーの熱意に動かされ映画を製作!
4度のアカデミー賞に輝くジョエル&イーサン・コーエン兄弟が監督し、ジョシュ・ブローリン、ジョージ・クルーニー、レイフ・ファインズ、スカーレット・ヨハンソンをはじめとしたトップスターが豪華共演する夢のエンターテインメント『ヘイル、シーザー!』が5月13日から日本公開される。
50年代、ハリウッドの黄金時代を舞台に、世界的大スターの誘拐から始まる騒動を描いた愉快で華やかな本作について、コーエン兄弟監督に話を聞いた。
ジョエル:15年前、ジョージ・クルーニーと一緒に仕事を始めたころ、僕らには『ヘイル、シーザー!』のアイディアがあって、それを彼に話したんだ。その頃は、まぬけな二枚目俳優が『ヘイル、シーザー!』という宗教大作を撮っているという程度の話でしかなかったんだけど、彼がすごく気に入ってね。
それで、彼が、この作品が僕らが一緒に作る次回作になるって触れ回りはじめたんだ。その頃の僕らは、本当に映画にするつもりはなかったんだけど。思考実験みたいなものだったんだ。でも、数年後、腰を据えて書いてみようってことになったんだ。
ジョエル:映画の中の映画のためのシーンを撮影するのは、ロジスティック的にはとても大きな挑戦だったね。毎週違う映画を撮影するようなものだからね。
普通、アート部門や衣装部門、特殊効果部門は皆、ひとつの映画の撮影で、ひとつのことをするために準備するんだ。ウェスタンだったら、カウボーイと馬を用意し、スタッフと制作部門はそういう映画を撮る際に必要な問題を解決するために準備するわけだ。しかし、これだけいろいろなことをやろうとすると、ある週はウェスタン、翌週は違うジャンルになるから、カウボーイはもういらないけれど、タンクとシンクロの水泳選手を探して、どうやって照明を当てるかを考えなければならない。
イーサン:そう、(笑)これを撮影しなければならなくなった。
ジョエル:それがいつも問題なんだ(笑)。脚本を書いて、それで「なんてこった、これを撮るなんて!」。──うそだよ、そんなことないよ。
イーサン:ジョージ(・クルーニー)の役はそうだ。(主演で何でも屋の)ジョシュ(・ブローリン)は、過去に2作品一緒にやっているけれど、特に彼のために書いたわけではなかったんだ。でも書き終わって、あの役をよく考えてみたら、「OK、ジョシュならこの役ができるな」ってことになったんだ。
ジョエル:(しつこい記者役を演じた)ティルダ(・スウィントン)に関しては、あのキャラクターに対するアイディアがあって、「OK、ティルダならこの役を演じられるな」って感じで、「ティルダのためにどんな役を書こうか?」というのは違うんだ。
(お色気満点の若手女優役)スカーレット(・ヨハンソン)に関しては、ノーだ。でも、彼女のことは知っていた。スイミングに関することをやろうというアイディアを思いついたときに、スカーレットにぜひやってほしいと思ったんだ。だって、彼女にやってもらったら、とても面白くなると思ったからね。(映画監督役の)レイフ(・ファインズ)も同じだ。(演技がどヘタなアクション俳優役の)アルデン(・エーレンライク)は、映画では本当に素晴らしいけれど、オーディションで初めて会ったんだ。彼が(オーディションに)やって来て、あのシーンを読んだんだ。。
ジョエル:チャニングが踊れるのは知っていた。タップダンスはしたことがなかったけれど、ダンスはたくさんしていた。いいダンサーだよ。彼ならタップもできるようになるって、自信があったね。
ジョエル:もちろん、そうだ。『ヘイル、シーザー!』は、昔の映画に対する愛から生まれたんだ。この話を映画化する魅力のひとつは、過去のジャンルから少しずつサンプルを取ることができることだったんだ。この映画を撮る楽しみのひとつだったね。
イーサン:そうだね、そうともいえる。いろいろなことに対するきちんと整理されていないアイディアをごった煮にしたって感じだね(笑)。
政治的な部分というのは、共産主義そのものに対する興味というほどではないんだ。僕らはこういう前提を作ったんだ。映画スターが身代金目当てでセットから誘拐された。映画に大金を出資していたビッグスタジオは、身代金も払わなければならない。そこで、このクレイジーなスタジオの世界でまっとうな男、つまりジョシュ・ブローリンが演じている何でも屋が出てきて、「OK、悪いやつは誰だ? 誘拐したのは誰だ?」と。当然、この良識ある、カトリックの、資本主義者とは相反するイデオロギーをもった人々になるわけだ。1951年なら、それは共産主義者となるわけで、だから、政治的または思想的にそうなったわけではなくて、ストーリーとしてそうならざるを得なかったわけだよ。
ジョエル:エディ・マニックスみたいな何でも屋はないね。
イーサン:あんなに興味深いキャラはいないね。スキャンダラスなことはないよ。
──当時のスタジオシステムには明らかに欠点がありました。特に、契約中の役者には大変だったでしょう。でも、映画製作者たちにとっては大きな利点がありました。そんな時代に監督をしていた、例えばビリー・ワイルダーと入れ替わってみたいと思いますか?
イーサン:最近はもっと洗練された技術がある。もっともわかりやすいのが、コンピューターを使って、制作の問題を解決するんだ。でも、彼らにはスタジオのシステムがあった。本当に優秀な技術者や職人の集団がいて、たいていの映画では、普通に集めることはできないような人たちだよ。
ジョエル:そういう技術的な部分もあるけれど、その他には、こういうシステムの中で成功しただろうか?ってことだよ。僕らは自分たちが育ってきた時代の産物だから、実際に、どうだったかと考えるのは不可能だし、実際に自分が存在しなかった時代に成功できたかどうかを考えるのは、実際にはわからないけれど、魅力的に映る部分もある。
ご存じのように、映画を撮るための美しい機械みたいなものがあった。そして、当時映画監督をしていた人たちは、キャリアの中で40から50本もの映画を撮っていたんだ。今やそんなことはできない。
ひとつ撮ったら、次へ、そして次へと撮っていくから、仕事量はいつも違うだろうし、刺激的だったと思うよ。でも、一方で、当時は、スタジオのコントロールという意味で、今とは大分異なっていただろうし、我々が慣れているものとは違うだろうね。
イーサン:僕らはもうその一部分であり、一方で、そうではない。僕らはスタジオで脚本を開発しないし、基本的には、何についても、彼らからのインプットに従わなければならないというわけではない。僕らはできあがった脚本、予算、キャストをスタジオに提示し、資金調達をお願いするんだよ。僕らの作品の資金調達は、たいていスタジオがやってくれるけれど、そんなに特別なことではないよ。多くの人が、スタジオとそういう風に仕事をしている。それに、スタジオの外で資金調達することもあるしね。
イーサン:自分たちで意識しているものはないよ。つまり、もし繰り返しているものがあるのだとわかっていたら、他のことをやろうとするだろうね。だから、僕らの映画に共通しているものがあるのだとしたら、それは我々の努力が足りないということかな。
ジョエル:自分たちが生きていた時代ではないからノスタルジックになることはできないけれど、この作品は、意図的に1950年代のハリウッドを美化して描いたものなんだ。でも、愛情と称賛という要素はあるね、恐らく。現代的な感覚では、ああいう状況に自分たちの身を置くというのは不可能だ。でも、もちろん、ああいう映画製作に対して愛おしさを感じさせるものにはなっているね。我々がそういう風にやっているわけではないけれど、とても愛おしさを感じる描き方にはなっている。
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