『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』ブライアン・クランストン インタビュー

権力に屈しなかった男の物語が大ヒット!

#ブライアン・クランストン

大きなメッセージを秘めた、映画史に残る作品

オードリー・ヘプバーンをスターダムにのし上げた『ローマの休日』をはじめ、『スパルタカス』『ジョニーは戦場へ行った』『パピヨン』といった不朽の名作を次々と世に送り出した脚本家、ダルトン・トランボ。信念を貫き、40年代から50年代にかけてハリウッドを覆った「赤狩り」の嵐の中で映画界から追放された男の半生を描いた『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』が大ヒット中だ。

不遇のなかでも腐ることなく前進し続けたトランボを、ブライアン・クランストン。が時に感動的に、時にユーモラスに演じ、心を揺さぶる。人気ドラマ『ブレイキング・バッド』のウォルター・ホワイト役でも絶賛されたクランストンに、映画について聞いた。

──赤狩りのために投獄されハリウッドから干されるも偽名を使って脚本を書き続け、『ローマの休日』が高く評価されても自分でオスカー像を抱くことができなかったトランボを演じましたが、本作の魅力はどこにあると思いますか?

『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』
(C)2015 Trumbo Productions, LLC. ALL RIGHTS

クランストン:撮影自体も楽しかったし、映画史にも残る作品だと思う。大作ではないけれど、大きなメッセージを秘めているんだ。権利のために闘うことの大切さを教えてくれる作品で、憲法修正第一条の意義についてもだ。言論の自由は常に守られねばならないものだからね。どんな法律も、言論の自由を侵すものであってはならない。政府の行いについても同じだ。これがトランボの主張だよ。

──権力に屈せず、偽名を使い分けながら猛烈に働き脚本を量産していくトランボは、かなり個性的な人物です。演じた感想は?

クランストン:トランボは闘う男で、何であれ書くことが大好きだった。電気会社や電話会社に、「料金を吹っ掛けすぎだ」と手紙で文句を言ったこともある。教育委員会にも意見した。いつだってケンカ腰だったんだ。だから赤狩りが始まった時も、受けて立った。だがそのせいで、家族や友人まで傷を負った。その傷はあまりに深く、映画の終盤に彼は言うんだ。「英雄も敗者もいなかった。いたのは被害者だけ」ってね。

キング兄弟の揺るぎなさが、反撃の出発点となった
バスタブで執筆したダルトン・トランボ本人

──トランボは議会での証言を拒んだという理由で投獄され、ハリウッドでの仕事の道を断たれてしまいます。彼が受けた“罰”についてどう思いますか?

クランストン:屈辱的だったと思う。彼は文字どおり何もかもはぎ取られてしまった。つまり、丸裸にされただけではなく尊厳や自由まで奪われた。刑務所を出たら、今度は家族への責任を果たせない。稼ぐ手段を奪われたからだ。あまりにも懲罰的で、アメリカらしくない間違ったやり方だった。“非米活動委員会”の名が泣くというものだ。彼らは投獄すると脅すことで質問に答えさせた。所属する組織はどこか、信仰する宗教は何で、投票先はどこか。他人に無関係の個人的な事柄だ。

──ハリウッドを追われたトランボに仕事の場を与えたB級映画の製作者、キング兄弟の姿が印象的です。

『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』
(C)2015 Trumbo Productions, LLC. ALL RIGHTS

クランストン:トランボは、出所後は実名で作品を書けなかった。まともな者は彼を雇わなかったが、低予算映画を作るキング兄弟は違った。何を言われても揺るがない。トランボを雇うなと圧力をかけられたが、「口出しするな。俺は気にしない」と答えた。兄弟はトランボを雇い、偽名で書かせて報酬を払う。それがトランボの反撃の出発点となったんだ。彼は仲間に仕事を回して脚本を書き続けさせた。うまくいけば、愚かしい現状を変えることができる、書き続けていれば追放は無意味だと証明できると考えたんだ。

ブライアン・クランストン
ブライアン・クランストン
Bryan Cranston

1956年3月7日生まれ。カリフォルニア州出身。舞台俳優としてキャリアをスタートさせ、テレビドラマで活躍。テレビシリーズ『マルコム in the Middle』(00年-06年)で注目され、『ブレイキング・バッド』(08年-13年)に主演し人気を得る。映画では『アルゴ』(12年)、『GODZILLA ゴジラ』(14年)などに出演。