1973年、フランス、シャンビニー=シュル=マルヌ生まれ。パリ郊外の団地で育つ。父親はモロッコ系ユダヤ人で鍵職人、母親は美容師。15歳の時に学校を辞め、芸術の世界で身を立てることを決意。21歳の頃より短編映画の監督・脚本を手掛けながら、戯曲の執筆・演出、舞台俳優としてキャリアをスタート。『歌え!ジョニス★ジョプリンのように』(03年)で長編監督デビュー。97年に結婚したマリー・トランティニャンの最後の夫であり、彼女との間にもうけた息子ジュール・ベンシェトリが本作に出演している。
車いす生活を送る中年男と物憂げな美人看護師。「母親は死んだ」と嘯く鍵っ子の高校生と落ち目の女優。突然不時着したNASAのアメリカ人宇宙飛行士とアルジェリア系移民の女性…。不思議な組み合わせの6人が、静かな感動を呼び覚ます……。
日本ではちょっとした“団地ブーム”が起きているが、今度はフランスから“団地”を舞台にした、ちょっとほろ苦く心温まるユーモラスな作品が届いた。その映画は『アスファルト』。フランス映画界が誇る名女優イザベル・ユペールをはじめ、ハリウッド俳優のマイケル・ピットにヴァレリア・ブルーニ・テデスキなどそうそうたるキャストが揃った注目作だ。
監督したのは、自身も団地育ちというサミュエル・ベンシェトリ。現在好評公開中の本作について、ベンシェトリ監督に語ってもらった。
監督:この作品は私が2005年に書いた、おんぼろ団地が舞台の『Asphalt Chronicles(英題)』の中の2つの短編に、その団地に引っ越してきたばかりの女優の話を加えたものだ。『アスファルト』で私は、この手の題材を描く時に普通はお目にかからないような登場人物たちを通して、ある種風変わりなストーリーを作りたいと思っていた。一言で言うならば“落ちてくる”3つの物語、と言えるだろう。空から、車椅子から、栄光の座から人はどんな風に“落ち”、どのように再び上がっていくのか。『アスファルト』制作中、この疑問がいつも頭にあった。なぜなら団地に住む人々は皆、“上る”ことに関してはエキスパートだから。子ども時代を団地で過ごした私にとって、そこでの生活で感じていたあれ程までに強い団結力に他では出会ったことがない。たとえ月日がたち至る所に孤独と孤立が少しずつ広がって行こうとも。
監督:脚本はかなり前に出来ていたけれど、資金集めには苦労した。最初に出会った2人のプロデューサーは、私の名前だけで500万ユーロ集められると言ってくれたが、私は無茶だろうと彼らに言い続けていて、実際その通りになった。それで結局『Un voyage(原題)』という別の作品を自費で製作したんだ。このある意味辛い、ある意味救いとなった経験の直後、私は幸運にも新たに3人のプロデューサー、ジュリアン・マドン、マリー・サヴァレ、イヴァン・タイエブに出会った。『アスファルト』は、スタートの段階からこの企画を信じ、何か問題が起こった時もいつも正しい方向へ導いてくれたこの3人の力に負うところが大きい。
監督:マイケルはとても素晴らしい俳優だ。現場で彼は常に新しいアイディアを模索し提案してきてくれる。彼は仕事中毒の俳優で、彼が演じると役に信じられないほどの力強い存在感が加わる。この宇宙飛行士役に、彼以上の役者は考えられなかった。そして切り札になったのが、私の作品『J’ai toujours reve d’ etre un gangster(原題)』がサンダンス映画祭で賞を獲ったという実績。これが私にとって新たな扉を開くきっかけとなった。3人の俳優に脚本を送ったところ、最初にイエスと返事をくれたのがマイケルだったんだ。
監督:イザベルと仕事をすることは私の長年の夢だった。彼女がイエスと言ってくれたことが、この冒険のターニングポイントだった。初めて言葉を交わしてから今日まで、彼女と共に過ごした日々は本当に素晴らしいものだった。イザベルは、自分のしたいことがはっきりと分かっていて、それを実現させるため全力で仕事にあたるというプロ中のプロだ。監督の視点から見ると、彼女と一緒だと洗練された仕事ができる。自分自身と距離を持つことができ、どのテイクもそれ以上ないものにしてしまうし、どの台詞も尊いものにできる人だ。
監督:製作の初期段階からプロデューサーが皆「ジュールを起用しよう」と言っていたのだが、私にしてみたらありえない話だった。だから、少なくない数の他のティーンの役者に会ってみたのだが、プロデューサーが「どうしてもジュールで」と言うので、とうとう折れてスクリーンテストをしてみたんだ。その時に、彼らが正しかったと認めざるを得なかった。客観的に見て、ジュールは最初から、自分の役柄を、他のどの役者より理解しており、誰よりもあの役に相応しいと言わざるを得なかった。それで少しも躊躇することなく息子を起用した。だからと言って、まったく心配していない、というわけではなかった。実際、彼は最初のシーンで、イザベルの前で下着姿でエレベーターを蹴らなければならなかったからね。(笑)実生活でのジュールはとても控えめな子なんだが、スクリーンで演じるのは、暴力的で無遠慮な青年だ。でもこの役には彼の実生活を反映しているところもあった。特に不在の母親との関係はね。撮影中、私は時々、ジュールにそんな状況を演じさせるなんてどうかしてるのではないか、と自問自答していたが、それは間違いだった。現場を支配していた気品のようなものが、我々の間に漂う口に出せない不安もすべて受け入れてくれていたからだ。ジュールは、イザベルから多くのことを学んだと思う。すべてのシーンに対し、現場の喧騒を介すことなく、自分自身の世界を作り上げる。ジュールも同じ方法をとった。生まれた時からよく知っているスタッフが周囲にいても彼の気が散るということは決してなかった。実際、ジュールとイザベルのシーンは撮り直しがほとんどなかった。最初のテイクから、私の望む画がここにあったからだ。
監督:もし雰囲気が似ているのだとしたらそれは、私の作品に浮世離れしたところがあるからだろう。私は実際に廃墟となっている団地で撮影がしたかった。実際に人が生活している団地で撮影するのは不可能だと分かっていたからね。そして、アルザス地方で、あの建物を見つけたんだ。アルザスはこの作品の資金援助にも参加してくれた。似た建物はマルセイユにもあったのだが、もしマルセイユで撮影していたら、この作品はロベール・ゲディギャン監督が作るような、まったく雰囲気の違う作品になっていただろうね。つまり、『アスファルト』で、私が特に参考にしたものはなかったということだ。彩度を落としたスクリーンのような真っ白なところからアイディアが湧き出たようなものだ。
監督:その通り。これまでの私の作品の中では一番台詞は少ない。私はこの作品で、沈黙と眼差しの交換を通して、人と人との絆が育っていく様を視覚的に描きたかった。登場人物は皆、真に孤独であり、それぞれの事情から他人に話しかける理由を持たない人々だ。スタンコヴィッチは母親を亡くしたから、マダム・ハミダは息子が服役したから。そして母親がずっと不在のシャルリ。彼らがそれぞれ出会う、道に迷っている人々も同様だ。明らかに悩みを抱えている看護師、数週間世界と離れていた宇宙飛行士、そして落ちぶれた女優。それからこの作品ではカメラが物語を伝える役割を果たしている。様々な状況を様々な奥行きで見せることで控えめで皮肉の利いた非現実感を作り出してくれている。『アスファルト』では、テンポの早い会話の応酬は最小限におさえている。長回しのワンテイクの中に沈黙が満ちている。またおそらくだが、自分の経験上、私は自分の言いたいことをできるだけ言葉を使わずに伝えることは可能だと思っている。
メイン写真:(C)Jean-Baptiste Mondino
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