1956年7月9日生まれ、アメリカ、カリフォルニア州出身。俳優として数々の受賞歴を持つだけでなく、プロデューサー、監督としても活躍。ジョナサン・デミ監督の『フィラデルフィア』(93年)、ロバート・ゼメキス監督の『フォレスト・ガンプ/一期一会』(94年)で2年連続アカデミー賞を受賞し、ペニー・マーシャル監督の『ビッグ』(88年)、スティーヴン・スピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』(98年)、ゼメキス監督の『キャスト・アウェイ』(00年)で同賞にノミネートされる。
ベストセラー作家・デイヴ・エガーズの小説を映画化し、2度のオスカーに輝く名優トム・ハンクスが主演した『王様のためのホログラム』が公開中だ。
大手自転車メーカーの取締役が、業績悪化の責任をとらされ解任された上、車も家も家族も失ってしまう……。転職後、アラビアの国王に最先端の映像装置“3Dホログラム”を売りに行くこととなった主人公が、無理なミッションとハプニングの嵐に翻弄されるなかで幸せの意味を再発見していく様子に温かな感動がこみ上げる。
デイヴ・エガーズ作品への出演を熱望していたというハンクスに、映画の見どころなどを聞いた。
ハンクス:おかしなことなんだけど、トム(・ティクヴァ監督)のことを今でも「『ラン・ローラ・ラン』を手がけた監督」として見ているんだ。あれは構成がすばらしいね。過去に2つの作品で一緒に仕事をしたんだけど、作品のあらゆるところで構成のルーツを『ラン・ローラ・ラン』に見て取れるんだ。もちろん『王様のためのホログラム』と『クラウド アトラス』は違った種類の作品だけど。『クラウド アトラス』ではトムと一緒に仕事をする時間が少なく、どちらかというと、ラナとアンディ(・ウォシャウスキー)と仕事をする時間が多かった。でもトムと一緒の時に、「ああ、なるほど。『ラン・ローラ・ラン』の疑問が解消されたよ」って言ったんだ。彼の仕事の進め方がわかった。それはこういうやり方なんだ。まず、みんなで集まって時間の許す限り、本来ならば撮影すべきなんだろうけど、とことん話し合う。例えば今日集まったとしたら、ヘアメイクやら衣装やらあらゆることをね。どういった作品を撮るのか、作品の意味や撮影のしかたを1時間半くらいかけて話し合う。そうすると、そのシーンの撮影は20分くらいで終わっちゃうんだ(笑)。
よくあることだけど、現場に到着すると、1時間半の撮影を開始するまでに7分くらいかかる。撮影しながら、僕たちは色々な方法を試さないといけない。トムのやり方は違うんだ。トムの場合は、そのシーンの詳細まで話し合ってから撮影に移る。この実験的なやり方には、一切お金はかからない。時間はかかるけどね。トムはきっと作品ごとに一喜一憂する製作者だと思う。
多くの監督は脚本家としてこの業界に入り、それから映画製作に進んでいるから、苦い経験をしてきている。映画製作者の多くは、過去に編集をやっていたりするから、映画の細々としたことに詳しいし、カメラマンだった者は、映画を映像のとても細かな区切りで扱って、ひとつの映画として仕上げている。トムは以前、映写技師をしていた。ベルリンにある映画館の映写技師だった。彼が上映する映画は好評で、客が長蛇の列を作るくらいだったんだ。立ち見限定で、深夜2時から上映される無名の映画のチケットが売り切れるくらいだったらしいよ。トムがまだ駆け出しだった頃は、映画に活気があったんだ。だから、彼の映画製作の道は決して苦い思い出ではなかった。誰かがしくじった脚本を書き直すわけじゃないから怒ることもない。彼は映画にまつわる全てをひとつのものとして捉え、その大部分を愛している。嫌いな部分は少ししかない。トムは映画館で働く映写技師だったがゆえに、自分の大好きな、すばらしい作品しか見ていないからね。決まった作品の映画フィルムの容器がいつも手元にあったって言ってたよ(笑)。リールが身近にあるから、客が帰って、朝4時頃になると、『2001年宇宙の旅』やラオール・ウォルシュの映画なんかを上映して、友人たちとビールを飲みピザを食べながら日が昇るまで見ていたそうだ。
だからトムは映画の全体像を見る映画製作者なんだ。細かな部分に気を配るタイプじゃない。僕は彼と作品について話したり、リハーサルしたり、脚本をリライトしたり、それに撮影をしている時も、いつでも彼が頭の中に映画の全体像を描いているという信頼感を持っている。「頼むから、この15分をがんばって耐えてくれ。そうすれば終わりだ」なんてタイプとは正反対だよ。
僕たちは年も近い。僕の方がちょっと年上だけどね。作品に対するアプローチが似ているんだ。「この作品をやれるなんて最高じゃないか」、「作品について話し合うのって楽しいよな」、「ゼロから作った作品が最後にはおいしいご馳走になるんだ」って感じでね。
ハンクス:トムは新しい顔ぶれと仕事をしない。彼の撮影監督も昔、町の映画館で映写技師をしていたんだ。何か意味があるんだろうね。僕が思うに、ベルリンと映画業界はトムの人生の一部で、永遠に卒業できない大学院過程みたいなものなんじゃないかな(笑)。だって、みんな年を取っていってるのに、あいも変わらず映画を作り続けている。彼らの映画の作り方には無駄がない。無駄な労力は使わないんだ。たくさんの作品をばら撒かないしね。例えば今回の『王様のためのホログラム』だって、多大な撮影術が必要に見えるけど、小規模なグループで作られているんだ。
彼らはまるでちょっとした家族みたいなものだよ。いつもドイツ語で話しているから何を言っているのか分からないんだけど。だから質問はしないんだ。長年一緒に組んできたスタッフたちは何でもやる。監督にベストショットを届けるためならどこにだって行くよ。一方でトムも、仲間たちは自分を失望させることがない、と信頼している。
ハンクス::そうだな、アラン・クレイっていう人物は……いいかい、アメリカにはアランみたいな状態の人が800万人もいるんだ。彼は時代遅れの業界で営業マンとして働いている。自転車業界で営業として長く働いてきたんだけど、アメリカが自転車業界に見切りをつけて中国に仕事を取られてしまう。アラン・クレイはどこにでもいるような人物だ。標準的な、その日にできるだけの量の仕事をソツなくこなす男だ。結果的に、彼がいた業界はなくなってしまう。何でも安く済ませられる場所に移行してしまい、専門知識を持つ彼も左遷されてしまう。今は、何でもかんでも営業だろ。僕が売ってみたいと思ってる核兵器だったり(笑)、オレンジジュース(笑)、ラスベガスにあるタイム・シェア式のコンドミニアムもそう。敏腕な営業マンになって、こういったモノを売って成功しなければいけない。アラン・クレイは自分がそんな営業マンだと自負している。今回、彼は3Dのホログラムシステムを売るという使命があり、それがサウジアラビアの国王に売れればとてつもなく大きな契約になる。いいかい、営業で重要なことは商品だ。営業マンはその商品がすばらしいと信じなければいけない。そこから始まる。そして、そのお客がサウジアラビア政府なんだ。
もうひとつ彼が認識しておかなきゃいけないのは競合だ。競合他社よりも安い価格で、良質な商品を売り込まなければいけない。そこで彼は自転車業を奪った因縁の相手と張り合う。その相手が中国さ。アラン・クレイは中年のアメリカ人で、離婚したばかり。子どもが1人いるが、家族との関係は良好だ。彼の仕事、そして人生で危機にさらされているものとは何か? そうだ、未来だけなんだ(笑)。未来のあらゆる瞬間が危機にさらされている。子どもを大学に入れてやりたい。でも中年のアメリカ人ビジネスマンとして、彼が何より必要としているのは目的意識なんだ。そして、自分自身より大きなものを買い求めている。いろんな意味で、営業マンの一般的な物語は『セールスマンの死』に凝縮されている。この話に出てくる男たちは、売上をこなさなきゃ存在価値がないと思われている。でも、アラン・グレイは『アラビアのロレンス』のように、1人の男がある目的を持って旅をしたところ、結局生きるための他の目的を見出してしまうんだ。アラン・クレイには三重の困難が降りかかっている。彼は「ホログラムを売る」という目的を持ってサウジアラビアの地に降りたつ。そこで過ごすうちに、何が正しくて価値があるのか、人生について、考え方が変わるんだ。そして、最終的に最も大事なことに気付いてその地を離れる。それが人とのつながりだ。愛なんだ。将来、人がたどりつくものは何だ? ビジネスじゃない。愛に尽きる。微笑ましくないかい?
ハンクス:アメリカ人が自国とは異なる文化を持つ国を訪れて異文化を理解しようとする時、何を基礎にしているだろう? 映画だよね。映画とテレビだ。それにアメリカは、少なくともスコットランドやナミビアよりは異文化に対する理解があると思う。ロシアに行ったとしたら最初は違いを感じるかもしれないけど、その日の終盤にはロシアも同じ時間軸で動いていて、アメリカのビジネスと同じシステムで稼働していることに気付く。サウジアラビアは王国だ。違う惑星にいるように感じるかもしれない。アメリカの日常的な感覚とは違う。時間の感覚も同じではない。人々は彼らが来そうな時間にしか現れない。遺産と宗教に基づいた異なる文化が存在しているし、「市民」とは反対の「所有物」という感覚を持たせる法律がベースになっている。現地に行ったアメリカ人が、「よし、1時の商談で僕たちの商品を話し合おう」と思っていても、その日の1時は何の意味も持たない商談になってしまうことだってある。時間が止まっているような気になるんだ。まるで真っ黒な穴に何時間も何日も取り残されたみたいにね。12時間のフライトの末に完全な時差ボケ状態でたどり着いた状況に置かれたってことには何らかの意味がある。さらに理解できない言葉で自分のことを話している人たちがいる(笑)。そこに2人のサウジアラビア人がいたとしたら、彼らは知らない素振りや言葉で自分のことを話しているんだ。さらに理解できない社会的ルールもある。ある意味では好奇心をそそられるんだけど。彼らはイスじゃなくてクッションに座る。どこかに行くにはラクダを追い越して運転しなければいけない。労働組合みたいなのもない。給仕をしているのは大体フィリピン人だ。行ってはいけない場所がある。その場所への心構えや知識をなしにはね。アラン・クレイには、サウジアラビアという国を理解することが当面できない。例えば、彼はホテルでビールを飲めると思っていたが、ホテルのスタッフからはアルコール飲料はサウジアラビア国内では禁止されていると言われる。それを聞いた彼は、「どうしたらいい? 誰もビールを飲まないのか? ここにいる間はビールなし?」でもその後何人かの現地の人に会うと、彼らはこう言う。「何を飲んでるんだ? ビール飲むか? 1杯おごってやるよ」ってね。「おいおい、どういうことだ? あれは法律じゃなかったのか? 表向きの社会があって、僕はいるのは裏の社会なのか?」と彼は思う。そうやって、アランは内情に通じている人たちの個別のルールを知っていくんだ。火星にいると感じているような男なんだ。だって何もかもワケが分からないんだから。でもしばらくすると彼もいくつかのルールを理解し始める(笑)。毎日のように現地人がルールを破っていくのを目にしてだんだん慣れてくるんだ。
ハンクス:そうだね。アランの背中にできた脂肪腫はまさに年齢を象徴しているよね(笑)彼は自分がボロボロな状態だと確信していて、進行を遅らせる術がないことも分かってる。彼は背中にできたこの病気で死んでしまうかもしれない。それでようやく病院へ行き、1人の女医と劇的な出会いをする。サウジアラビアに女医がいるとはね。サウジアラビアでは珍しくないことらしい。アランは象徴ともいえる脂肪種を理解してくれる人物と恋愛関係に落ちることになる。彼女も同じ気持ちを知っているからだ。この作品で最もすばらしい点の1つがハケム医師とアラン・クレイの医者対患者とは違うつながりだと思うんだ(笑)。2人の会話はこの1つに凝縮されている気がする。「切除すべきよ」「分かった。そうするよ」「これ以外にも何か持病は?」「僕はボロボロだし、前と違ってなす術がないんだ」すると、彼女はこう言う。「まあ、その気持ちは理解できるわ。私も同じように感じているから」これこそ、文化を越えた絆じゃないかな。このシーンがこの作品が魅せる最高の魔法だと思うよ。こういうことが起こるんだ。現実の世界では宿命とかセレンディピティって言うんだね。愛を求めて探し回った最後の地で初めてそれを見つけることがあるんだ。この作品の場合、はっきりさせたいんだけど、サウジアラビアにある医者のオフィスが、その後のアランの人生に大きな変化をもたらす人物に出会う場所だ。2人には共通点がたくさんあったからね。ちょっと待てよ。こんな風になるはずじゃなかったんだけど、ってね。
ハンクス:これこそ僕たちが得たことだ。デイヴの小説はトムの映画作品より少し暗いイメージがあるけど、DNAは確かに残っていると思う。ハケム医師がこう言うシーンがある。「私たちは花糸から離れてしまったの」。決して破ってはいけない大きな違いがあるが、1日の終わりに人間は何を欲しがるかな? みんなリラックスして隣にいる人に理解してもらいたいんじゃないかな。その人物はどこにいるだろう? その人を見つけるために地球の裏側に行ってみないといけない時もあるだろう。そして、タイミングよくその場にいないといけない。18歳の自分には起こらない状況かもしれない。でも48歳だったら、宝くじに当たるかもしれない。異国のど真ん中で望んでいたすべてを手に入れるかもしれないんだ。この映画が終わりを迎えても、アラン・クレイには、仕事の面では何も目新しいことは起きないんだ(笑)。彼は仕事を得るけど、業績を伸ばせない。中国人の手に渡ってしまうんだ。目を見張るようなテクノロジーがあったのに、実現することはなかった。人生はどういうわけか、何とかなるっていう謎の1つだよ。勝ち取ることはできないけど、失わずに勝ち取るか、失って勝ち取るか。アランはすべてを失ったけど、禅の境地みたいなものに達して、自分の世界でのポジションを理解するようになる。そして彼の離婚も最終局面を迎え、家も売れる。いいニュースは娘が大学に進学するとこだ。父親が人生を再スタートさせるのと同じタイミングで、娘も人生をスタートさせる。アランはしばらくサウジアラビアに残ることにする。なぜなら、そこですばらしい出来事があって、ポジティブな考えを持つようになったからだ。アランはこれまでずっと、自分にネガティブだと思っていた世界に対してようやくポジティブな気持ちになれたんだ。
ハンクス:今の映画に必要なことは、お客さんを驚かせることだと思う。お客さんに、予想外のものを提供すること。人は、何かしらの期待を抱いて映画館に足を運ぶものだ。そうでもなければ、映画のチケットなんか買おうとは思わないからね。僕が実際にお客さんだとすれば、映画館の席に座りながら「まさかこうなるとは、全く驚きだ」と思いたい。そういった要素をデイヴの小説の中にも、トムの映画の中にも感じられる。アラン・クレイが体験する旅は、余りにも巡回的だからね。勿論、いくつかのことは予想できるし、実際そうなったりもするけれど、観客は、最終的にどうなるかという予想をして、それら全てをつなぎ合わせたとしても、最後にはこう思うだろう。「ある男がサウジアラビアに行って、すべてが上手く行く映画を見るとは思ってもみなかった」ってね。だって、サウジアラビアに行ってすべてが上手くいく人なんて実際にいないからね。T・E・ロレンスだって上手くいかなかったんだ。ボブ・ホープやビング・クロスビーとかならあり得るかもしれないけれど、アメリカ的な映画では上手くいくんだ。陸に上がってきた魚のような人間が、同志に出会い、しかも、その彼女が結果的に運命の相手だった、だなんてね。こういった展開は、アラン・クレイのような巡回的な旅では予想されない。こういうことは、最初から定義づけられるべきものなのに、そうではない。こんな風に、あらゆる要素が混在し、なるようになっていく映画を僕は今まで見たことも読んだこともないよ。
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