1972年、オーストリア・ウィーン生まれ。94年に自身の制作会社ニコラウス・ゲイハルター・ フィルム・プロダクションを設立、作家性の強いテレビや映画のドキュメンタリーを中心に製作。国際的な映画祭な どでの受賞歴も多く、『いのちの食べかた』(07年)が各国で話題を呼びドキュメンタリー監督としての確固たる地位を得た。12年にはチェルノブイリ原発事故で被害を受けた小さな村 の12年後を追った『プリピャチ』(99年)が日本公開され話題となった。
湖底に沈んだ町、ハリケーンによって壊滅した海上遊園地のローラーコースター、廃棄された教会……。次々と映し出される“風景”は圧倒的に美しく、黙示録のようにも思える。
日本でも10万人が見た『いのちの食べかた』で、現代の食糧事情の空虚さを映し出したニコラウス・ゲイハルター監督が、最新作で取り上げたのは廃墟。現在、全国順次公開中で話題となっている本作について、ゲイハルター監督に語ってもらった。
監督:私は本作を、ドキュメンタリー映画であるとは思っていません。あくまで普通の映画だと思ってい ます。映画祭などがカテゴリーを必要としているからドキュメンタリー映画にカテゴライズされているだけです。確かに本作は、どちらかといえばフィクションよりドキュメンタリーに近いので、一般的にはドキュメンタリーと受け取られています。でも私にとっては、かなり演出をし変化を加えたという意味で、むしろフィクションに近いと思っています。私にとっては、木々も建物も、風さえも俳優のように思えたのです。そもそも私はドキュメンタリー的に現実を切り取るつもりはありませんでした。 私が思い描いていたビジョンは、とてもフィクションに近いものでした。この映画のドキュメンタリー的な要素を挙げるなら、本作に登場する建物が取り壊され、その風景が失われるまでは、人々が実際にそれを見ることができるということぐらいです。
──『いのちの食べかた』では、産業機械が労働者を閉め出し労働現場を牛耳っている様子を描きました。この『人類遺産』では、人間も機械も消滅してしまった廃墟を描いていますね。廃墟の何があなたを惹きつけたのでしょうか?
監督:本作を「人間も機械も消滅してしまった世界を描いている」と見ることは、あくまでも一つの解釈でしかないと思います。私は本作を、文明が消滅するというシナリオだけで読み解きたくないのです。 なぜなら、起こりうるであろう人類の未来を描きながらも、パワフルに「現在」を描いていると考えるからです。人間が不在であるからこそ人間の存在が感じられる。この映画には人間は登場しませんが、 それでも人間についての物語であると言えるでしょう。
監督:映画とは、そもそも観客に解釈を委ねられているべきだと思っています。
監督:長い間、仮題として「Sometime」(いつか/やがて)というタイトルを使ってきましたが、もっと良いタイトルを見つけなければと思っていました。なぜなら、この仮題では人々が存在しなくなる未来というのがあまりにも分り易くなってしまうからです。作品をどう見るべきかを暗示しないで、 作品に対する解釈をオープンにしたいと考えていました。ちょうどその頃、私にとって人間に対する興味が段々と深まってきていました。
なぜ私たちは存在するのか? 何を私たちは残せるのか?という 疑問が自分の中でどんどん湧いてきていました。私たち人間は、自らをとりまく環境に対して責任を持っています。ですから、本作のタイトルに「人間」という要素を入れることがとても大切に思えてき ました。しかしタイトルに相応しい言葉を見つけるのに苦心しました。そんな時ふと、「ホモ・サピ エンス」という学名に基づいたタイトルは良いと思いました。そんなタイトルがついた映画にまさか人間が登場しないとは思いませんし、考古学的で歴史的な意味合いも含まれていますから。
監督:どういったロケーションで撮影するかということは、段階的に絞られてきました。最初は単純に捨 てられて廃墟となった場所を探していました。そのような場所は簡単に見つかりましたが、あまり意味がないことが分ってきました。私たちが必要としているのは、かつてどのような場所であったかが分る場所、物語がある場所だということが分ってきたのです。無人になった工場、廃墟となった家自体はそんなに面白くありませんでした。共感ができなくても、その場所に「物語」があることが重要で した。そして私たちは、説明をしなくても歴史が感じられる場所、広大な場所、あるいは自然にかなり浸食された場所などを探すようになりました。そして編集をしている間、この映画は別の次元に行かないといけないと気づいたのです。そして最終的には「人類の歴史を批判的に振り返る」というテーマに 合う場所を見つけるという事が重要になりました。
監督:人間が作ったシステムに基づいて建設された建物や作られた空間、つまりパブリックなものであるということが重要でしたので、そういう場所を選び、意図的に私的な場所は見せないようにしました。 これらがかつてどういった場所であったか認識し易いのは、私たちが意図的にそういう場所を選んだからです。そのような認識が難しい場所もたくさんありました。シークエンスによっては、違う場所で撮影したものを編集でつないだところもありますが、地理的にさまざまな形で破壊された場所を見せるという目的を考えれば、撮影した場所が違うということは、あまり重要ではありません。別々に撮った場所が後に、群島のように関係性のある特殊な場所だと分かるということもありました。
監督:主にヨーロッパやアメリカで多くを撮影しました。アルゼンチンでは塩水の湖に呑みこまれ てしまった町を見つけたのですが、水が引いて、かつての町全体が真っ白な塩に覆われていました。私たちはそこに良いタイミングで辿り着き、足跡を残すこともなく、晴天の下、撮影することができました。また日本でも、無人島や福島など、たくさん撮影しました。映画はブルガリアのバズルツァモニュ メントにあるモザイクから始まり、福島に移動します。福島第一原発から4キロのところで撮影したのですが、荒廃がまだ進んでいないので、なぜここが廃墟なのか、ここで何が起こっているか、見ている人にはしばらく分からないと思います。
監督:ペーター・クーティンでなければ、この仕事はできなかったと思います。なぜなら、彼ほど音と生き ている人を私は知らないからです。彼は私の作品の音響デザインをたくさん手掛けてきました。本作は、音響デザインの観点では何でも可能という、とても極端な次元の作品でした。いくつかのロケーシ ョン以外は、すべて編集室の環境音ぐらいしかついていないサイレント映画に近い状態でしたからね。
風に揺れる一枚の紙、鉄のキーキーする音、鳥の声、それぞれに聞こえる音を細かく分析していきました。それはまるでサイレント映画に音楽をつけている作業のようで、何年もかかりましたが、とても面白い作業でした。
監督:4年かかりました。ずっとこれだけをやってきたのではないのですが、随時、作業を続けてきまし た。その中でどんどん状況が変わっていきました。私たちが撮影をする前に建物がなくなったので撮影 が中止になったり、また新たに別の場所が追加されたり、撮影に行っても、すでに何もない空き地にな っていたということが何度もありました。すごいスピードで建物がなくなっていくのです。映画の中に登場するレーダーディッシュは、撮影の翌日には無くなっていました。屠殺場で撮影している時に、その建物の反対側はすでに壊されている途中だった時もあります。インターネットで撮影したい場所を見つけても、そこはすでになくなっていた時も沢山ありました。
一方、炭鉱があった日本の無人島は、保全命令が出ていたので守られていました。それがなければ、朽ちてしまって、もう無くなっていたかも しれません。都市にある空家や無人の建物が残らなかったり、そのままに放置されているのは、その土地の所有権に問題がある場所だったりしました。私たちはそのような建物の背景に関するリサーチを続けていたので、現場では常に何かが起こっていました。映画の撮影にとって、完璧な「終わり」という ものは存在しません。時間さえあれば、ずっと撮り続けることも可能なのです。
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