『散歩する侵略者』黒沢清監督インタビュー

世界の終わりか愛か? 黒沢清監督が語る新たな挑戦!

#黒沢清

新たな挑戦の中で何よりのチャレンジは、これが演劇の映画化ということ

大切にしているものの“概念”を奪うことで世界を侵略する−−。“世界の黒沢”が、劇作家・前川知大率いる劇団「イキウメ」の人気舞台を映画化した『散歩する侵略者』が、9月9日より公開される。

「俺さ、本当は宇宙人なんだ」。不仲だった夫の突然の変化に戸惑う妻に告げられる思いもしない告白。そして日常が“異変”も巻き込まれ、世界の混乱が始まっていく……。

カンヌ国際映画祭「ある視点」部門にも出品され国内外の注目を集めた本作について、黒沢清監督に話を聞いた。

──本作を監督することになったきっかけ、本作を映画化したいと思った理由を教えて下さい。

『散歩する侵略者』
(C)2017『散歩する侵略者』製作委員会

監督:何年も前になりますけど、前川知大さんの書かれた原作の小説を読みまして、とても興味深く、映画にしたい、とまず思いました。それからすぐ、その時は知らなかったのですが、初めて前川さんのやっていらっしゃるイキウメの舞台を拝見しまして、深く感銘を受けてこの舞台の映画化に僕が携わることができたらこんな光栄なことはないと思いまして、より、この原作の映画化を望むようになりました。
 まず演劇の土台になった戯曲があったわけですけれども、タイトルも「散歩する侵略者」ですから、映画としては「宇宙人侵略もの」という、アメリカ映画には一つのテーマとなっているスタイルがあります。ただ、その定番のスタイルをこの映画の中でどこまでやるのか、それから外すのか、っていうバランスを見つけるのに結構苦労して何度も脚本を書きなおしました。

──本作は、サスペンス、ラブストーリー、アクション、コメディなどあらゆる要素があり、黒沢監督の過去の作品の中でもあまり例がないように思いますが、新たな挑戦としてこだわられたことはありますか?

監督:どれも新たな挑戦ばかりなんですけれども、何よりやはり一番の自分にとってのチャレンジだったのは、これが演劇の映画化だということです。ですから、僕のこれまでの作品に比べると格段にセリフの量が多いと思います。映画的な場面転換だけでなく、あるシーンの中での俳優同士のセリフの掛け合いとかですね、そういったものをこの作品では重視しました。それは果たして映画としてどれだけ見応えのあるものになるのかっていうのは初めての経験でしたので、結構気を遣いながら。でも、その挑戦が楽しく、新鮮な気分で撮影現場を乗り切りました。
 前川さんの書かれた原作に忠実にやろうとすると、ある種の軽さと重さが同居してるんですね。それはすごく大切にしようと思いましたから、結果としては、それが幅のある表現になっていき、いろんな映画のジャンルを複合させたようなものになっていきました。

『散歩する侵略者』
(C)2017『散歩する侵略者』製作委員会

──鳴海と真治の夫婦の物語と桜井と天野たちの物語、タイプの違う二つのストーリーが一つに重なるという構成、それぞれのパートを描くにあたり意識されたことはありますか?

監督:鳴海と真治は基本的には自分の家にいて日常の中でだんだん異変が現実のものになっていく、という流れです。一方、桜井たちはどこかに定住するということではなく転々と場所を変えて、車で放浪しながら、しかし、次第に異変が、これも同じように、現実のものになっていくという。最初に脚本を書いている時から、狭い日本の小さな都市の中ではありますが、定住している者と放浪している者という違いをうまく画面の中で表現できたらなあと思いました。ただ、人間の側が最初は冗談としか思えない「侵略者=宇宙人」という存在にだんだん確信を持っていき、彼らのことを怖がりながら、最終的には共鳴していくという、その流れはどちらのパートも同じでしたので。ぜんぜん違うシチュエーションを描きながら、心理的なドラマとしては実は同じような経過を辿っているというバランスは、特に意識したところですね。

──本作のキーワードとなる「概念を奪う」という考え方はとても興味深いです。

監督:考えていくと、もともとの人間の本質に関わる、すごく興味深く、自由に表現できるアイデアだと思いますね。映画を見ていただくとわかるのですが、必ずしもそのようにして、侵略者に「概念」を奪われて人が悲惨なことになっているかというと、あながちそうでもない、というような流れにしてあります。

 この物語の中で主に奪われる「概念」というのは、家族だったり、仕事だったりと、現代の人間がすごく重要だと思い込んで、逆にそれに縛られてしまっているもの。そういった現代性を帯びた「概念」に限り、この侵略者たちは奪っていくという。ですから、そこから解放されるというのは、ひとつの現代的な様々な苦悩から解放されることでもある、ということですね。それは、前川さんの狙いでもあると思います。

『散歩する侵略者』
(C)2017『散歩する侵略者』製作委員会

──「人間の概念を奪う」という形での「侵略」を描いたわけですが、演出面で工夫されたことは?

監督:演出的にはあえて「特に何もしない」ということを心がけました。アメリカの本格侵略作品ですと、侵略している瞬間が最大の見せ場、特殊効果も振るわして人類が襲われる様が描かれていますが、それとはぜんぜん違うやり方で、侵略の瞬間を描こうと思いました。違うというのはどういうことかと言いますと「何もしない」ということだと。割と最初から、脚本を書いている時から決めていました。

黒沢清
黒沢清
くろさわ・きよし

1955年7月19日生まれ、兵庫県出身。大学時代から8ミリ映画を撮り始める。長谷川和彦、相米慎二らに師事した後、1983年『神田川淫乱戦争』で商業映画監督デビュー。『ドレミファ娘の血は騒ぐ』(85年)を経て、1988年『スウィートホーム 』で初めて一般商業映画を手がける。その後『CUREキュア』(97年)で世界的な注目を集め、『回路』(00年)で第54回カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞を受賞。2008年には『トウキョウソナタ』が第61回カンヌ国際映画祭ある視点部門審査員賞、第3回アジア・フィルム・アワード作品賞を受賞。11年、WOWOW連続ドラマW『贖罪』を手がける。13年、『Seventh Codeセブンス・コード』で第8回ローマ映画祭最優秀監督賞を受賞。14年、『岸辺の旅』で第68回カンヌ国際映画祭ある視点部門監督賞を受賞。16年にはフランス・ベルギー・日本合作『ダゲレオタイプの女』で全編フランスロケを敢行。昨年は、ウズベキスタンで長期ロケを行った『旅のおわり世界のはじまり』が公開された。