1980年1月30日生まれ。コートジボワール出身。5歳で両親とフランスに帰国し、パリで映画製作と哲学を学んだ後、2004年にセバスチャン・バリーとブリーヴ・ヨーロッパ中編映画祭を創設。05年に初の短編映画『A bras le Corps(原題)』をカンヌ国際映画祭監督週間に出品、07年にセザール賞候補となる。2010年、初の長編映画『聖少女アンナ』もカンヌ国際映画祭監督週間に出品され、ジャン・ヴィゴ賞受賞。2作目『スザンヌ』(13)はカンヌ国際映画祭国際批評家週間のオープニング作品に選ばれ、セザール賞5部門にノミネート、最優秀助演女優賞(アデル・エンル)受賞した。
恋人や友達、家族と幸せな日々を送っていた青年が交通事故に巻き込まれ、脳死と判定される。健康な彼の心臓は移植を待つ患者のために提供されることに。
青年が仲間たちとサーフィンに出かける夜明けから移植手術が行われるまでの24時間を、家族、恋人、医師たちそれぞれの葛藤を通して描く『あさがくるまえに』。来日したフランスの気鋭、カテル・キレヴェレ監督に話を聞いた。
監督:原作を脚色しようと考えた時に、登場人物をリレーのようにつないでいく形にはしないと決めました。主人公なしで100分以上を保たせるという構成は大胆でエキサイティングだと思ったんです。ストーリーテリングの上でも挑戦だと思いました。それがモチベーションでもありました。
監督:私が興味を持っているのはメタファーです。つまり、あらゆる面で“心”を描くということ。心臓は血を送り出すポンプ、筋肉です。それを摘出し、氷漬けにして移送し、別の肉体に移植する。それは私たちの魂、感情を移すという隠喩でもあるんです。
ドナーの青年とレシピエントの女性の間にはポエティックな感情のリレーが生まれます。彼女が恋する心を受け継ぎ、誰かを愛するようになる。感傷的かもしれませんが、それも私が伝えたかったものです。
監督:そうです。脚色の段階でこのキャラクターを大きくふくらませました。映画には原作小説よりも強い希望の光を持たせたいと思ったんです。例えば読書する時は、自分の気分次第で一時的に本を置き、また後で読むこともできますが、映画館で映画を見る場合はそうはいきません。原作では、移植手術の場面は書かれていますが、移植される女性については、小説において非常に象徴的なキャラクターであるにも関わらず、あまり描かれていなかった。そこで私は、死よりも生の側の物語を重視することを選びました。
監督:実は選んだのは私ではなく、配給会社なんですが(笑)。彼らの狙いは若さと生命のエネルギーを表現することでした。これは夜明けの風景ですが、夜が終わり、朝が訪れるこの時間は、死と生をつなぐ道のようなイメージがあります。青年のシルエットには、生き生きとした雰囲気と同時に幽霊のような佇まいもあります。この映画がいわゆる医療ものではなく、もっと詩的な作品であることが伝わるかと思います。
監督:単純に原作が気に入ったからです。私が伝えたかったものがたくさん詰まっている小説です。読み始めてすぐ、この物語に夢中になりました。最終的にはオリジナル脚本と同じくらいパーソナルなものになりました。実際、映画の歴史は文学の脚色の歴史であると言ってもいいかも。小説の映画化をしなかった監督はほとんどいないと思います。
監督:日本で難しいというのは、なぜですか?
監督:フランスでも似たような状況になりつつあります。確かに映画界にとっても、監督自身にとっても、ある意味では安全策なのかもしれません。それにフランス映画の歴史を振り返ってみると、ヌーヴェルヴァーグの監督たち……トリュフォーやゴダール、シャブロルの作品も3分の2は脚色作品ですからね。
大切なのはオリジナル脚本か否かではなく、映画として何を作るのかということですから。他人が書いた物語をどのように監督個人のものにしていくかということです。ベストセラーからだけしか映画を作れないような状況になったら危険ですが、もともと文学と映画は相思相愛の関係だと私は思っています。
監督:私の少女時代、母が重病を患っていたことがあったんです。生死の境をさまようような状態で、私もつきっきりで看病しました。その経験もあって、本作はとてもパーソナルな作品です。幸い、母は一命を取り留めました。その実体験が、この物語と強く結びついているんです。
(text:冨永由紀)
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