『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』ジャック・ドワイヨン監督インタビュー

日本へのオマージュも! 仏人名匠が語る天才芸術家の二面性

#ジャック・ドワイヨン

最初はロダンのドキュメンタリーを作るはずだった

“考える人”で有名な彫刻家オーギュスト・ロダン。没後100年を迎えるこの天才芸術家の愛と苦悩を描いた映画『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』が本日より公開された。

フランスの名匠ジャック・ドワイヨンが監督、パリ・ロダン美術館の全面協力で製作された本作について、ドワイヨン監督に語ってもらった。

──本作を手がけた経緯を教えてください。

監督:ロダンについてのドキュメンタリー映画を撮らないかという話をもらい、ちょうど新作の予定もなかったので引き受けました。ところが、なにを思ったのか、すぐ台詞を書き出していました。ひとつのシーンを書き上げると、すぐに次々とシーンが書き上がり、20、30とシーンが出来上がっていったのです。それらはもちろん劇映画のもので、依頼とはまったく異なった方向へと転がり出していました。結局、ドキュメンタリー映画をつくるという依頼は辞退し、そのままシナリオを書き続けていったというわけです。

『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』
(C)Les Films du Lendemain / Shanna Besson
──その際、どういった準備をされたのでしょう?

監督:実は、ロダンはその作品ほどにその人となりについて知られていません。ロダンについての資料を読めば読むほど、よく分からなくなってくるのです。
 ロダンにはふたつの側面、ふたりのロダンがいたということではないかと思います。なにか自分の意見を言わなければいけないようなとき、困ってしまったような仕草をしたというようなことが書かれている資料が存在する一方、晩年、ムドンに家を構えるようになると、パリ中の人々がロダンのもとに招かれ、出かけました。その際には温かいもてなしとおしゃべりで人々を楽しませたと言われています。つまり、一方のロダンは、自分の領域、つまり彫刻や絵画についてにしか興味がなく、それについてしか話さない人物。もうひとりは社交的な人物としてロダンです。こうした資料上の不確かさもあり、私はロダンについて自由に書き、描くことができました。なかでも、バルザック像をつくる際に妊娠した女性をモデルにするシーンがありますが、なにかの本で読み、そのように描いたものです。ロダン美術館の学芸員は、そんなことはあり得ないと言ってきました。けれども、映画作家として、妊娠7ヵ月の女性をバルザック像のモデルにするというのは完璧だと思いました。

『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』
(C)Les Films du Lendemain / Shanna Besson

──フランスきっての演技派ヴァンサン・ランドンがロダン役を演じていますね。彼は8ヵ月、彫刻とデッサンに没頭したそうで、迫真の演技を見せてくれます。また、その他のキャスティングはどのように進めていったのでしょうか?

監督:ロダンを演じたヴァンサン・ランドンの迫真の演技に加え、カミーユ・クローデルを演じるイジア・イジュランが素晴らしい存在感を披露してくれています。
 ロダン役には脚本段階からヴァンサンを想定して書いていました。“彼しかいない”と思っていたので、もし断られたらどうしようか……と。彼は“言葉”ではなく“沈黙”で語ることができる数少ない役者です。理由は、彼が役者だから。アトリエ以外では生きられないロダンを演じるには、口数少なく演じることができる俳優であることが必要であり、ヴァンサンが最もふさわしい存在だと思ったのです。
 脚本を読んだ彼はいたく感銘を受け、私自身に代わって自らプロデューサーや配給を探してくれました。彼なしに本作が日の目を見ることはなかったでしょう。
 一方、イジアですが、カミーユがロダンと別れたのは30歳よりも前だという史実を受け、(ロダンとカミーユの関係を描きベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞した『カミーユ・クローデル』出演時の)イザベル・アジャーニよりも若い女優を探していました。彼女の父親である(俳優兼音楽家の)ジャックには、以前、出演してもらったこともあり、縁のようなものを感じています。彼の才能を受け継ぐイジアもまた歌う姿が素晴らしいとの評判を聞いていました。劇中、カミーユが神経症を患っていることを打ち出しすぎないようにしたかったので、言葉にあふれ、快活で、素直な人柄、生命力あふれるカミーユのイメージにぴったりだと感じたのです。

『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』
(C)Les Films du Lendemain / Shanna Besson
──本作では“バルザック像”と“地獄の門”の制作過程が大きな骨格を形成しています。このふたつの過程を中心に据えられたのはどういう理由からだったのでしょう?

監督:“地獄の門”は1890年頃に完成した作品ですが、小さな人物像がたくさんちりばめられており、それらの人物像はのちに拡大され、それぞれが独立した一個の作品となってゆきます。バルザック像以外のロダンの作品のほとんどすべてがこの“地獄の門”のなかにモティーフとして入っていると言っても過言ではありません。バルザック像はもう少し後年の作品で、1890年に取りかかり、完成したのは1897年のことでした。私にとって重要だったのは、ロダンが常に進化し続ける芸術家だったということです。だからこそ、ロダンに興味を引かれたのでした。
 この同じ時期にロダンは大量の官能的なデッサンを描き残しており、ロダン美術館には1万点以上のデッサンが保存されています。これらのデッサンは、バルザック像と同じくらいに重要です。彼の彫刻のなかに見られる生命、躍動、そして人間の肉体というよりも肉そのもの。そうしたものに私は興味を引かれました。そしてまた、最終的なあのバルザック像にいたるまでの変化のプロセスにも。最初につくられたバルザック像はたんなるポートレートにすぎないものでしたが、どんどん進化し、深みを増していく過程に心を奪われたのです。彼はバルザックという人物がもっていた巨大なエネルギーそのものを彫刻のなかに封じ込め、表そうとしたのです。巨大な人間喜劇を書いたバルザック、2500人もの登場人物を描き分けた人物の魂を、具象的に表現したもの、それがあのバルザック像なのです。

──私たち日本人にとって気になるのは、モデルとして登場する花子と、箱根の彫刻の森美術館のシーンです。こうしたロダンと日本との関係についてどうお考えになっているのでしょうか?

監督:私自身、日本のことがとても好きで、これらのシーンを入れたのも日本へのオマージュからです。さらに、19世紀末、ヨーロッパ、とりわけフランスではジャポニスムのブームがあり、人々は日本へと目を向けていました。芸術家たちも日本美術に大きな関心を抱き、日本美術について多くのことが語られていたのです。ロダンにとっても同じでした。また、彼のもとには日本からも注文が入ってきていました。こうしたつながりが、ロダンの彫刻にも影響を与えていったのではないかと思います。自然に対するまなざし、散歩しているときにも自然を観察し、その摂理を考える。というのは、日本人の考え方では、自然と人間を隔てて考えるのではなく、内面と外面とを同じものとしてとらえます。そうした物事の見方に、ロダンは鋭く感じ入っていたと思います。

ジャック・ドワイヨン
ジャック・ドワイヨン
Jacques Doillon

1944年3月15日生まれ、フランスのパリ出身。初長編作『頭の中に指』(74年)でF・トリュフォーから賛辞を受け、『あばずれ女』(79年)でカンヌ国際映画祭ヤング・シネマ賞受賞。81年の監督作『放蕩娘』に主演したJ・バーキンとの間にルーとローラの2児がいる。『ポネット』(96年)に主演したヴィクトワール・ティヴィソルが5歳でヴェネツィア国際映画祭主演女優賞を受賞したことが話題に。その他、『小さな赤いビー玉』(75年)、『ラ・ピラート』(84年)、『ピストルと少年』(90年)、『ラブバトル』(13年)などの監督作がある。