1979年10月29日生まれ、フランスのパリ出身。父であるアレハンドロ・ホドロフスキー監督の『サンタ・サングレ 聖なる血』(89年)で、兄アクセル(クリストバル)が演じた主人公の少年時代を演じて映画デビュー。その後、10代からミュージシャンとして活躍、『リアリティのダンス』(13年)や『エンドレス・ポエトリー』のオリジナル・サウンドトラックを作曲。俳優として、ジュリー・デルピー監督・主演の『パリ、恋人たちの2日間』(07年)などに出演する一方、兄クリストバルとアーシア・アルジェントが出演する『The Voice Thief(原題)』(12年)など短編映画を数多く監督している。
『エンドレス・ポエトリー』アダン・ホドロフスキー インタビュー
視聴者300万人の前で父をビンタ! 伝説のカルト監督の末息子が語る親子の絆
『エル・トポ』、『ホーリー・マウンテン』といったカルト・ムービーで知られるアレハンドロ・ホドロフスキー監督。今年88歳になる彼の新作『エンドレス・ポエトリー』が公開になる。
1990年以来、長編映画を手がけていなかったが、2013年、84歳にして23年ぶりの新作『リアリティのダンス』を発表。ロシアからチリに移民した両親の元で育った少年時代を描いた同作の続編『エンドレス・ポエトリー』は、監督の末息子でミュージシャンとして活躍するアダン・ホドロフスキーが主演。父親の青年期を演じ、東京国際映画祭での上映で来日した彼に話を聞いた。
ホドロフスキー:本当にみなさんが気に入ってくれたなら、うれしいです。ただ、撮影現では監督が一体何を求めているのか、何をしようとしているのかわからないこともありました。理解できず、諦めてしまうスタッフもいたほどです。でも完成した映画を見た時、現場でやっていたこと全てに意味があったことがわかった。誰のやり方とも違う映画の作り方、それは唯一の才能だと思いました。
ホドロフスキー:ある日、アレハンドロから電話がかかってきて、夕食に誘われました。パリのイタリア料理店でパスタを食べている時に「続編をやろうと思うんだけれども、自分が若い頃の役をおまえはやってくれるか?」と聞かれました。デザートのティラミスを食べ終えるまで考えて(笑)、それで「イエス」と返事しました。
ホドロフスキー:本当に今までにない挑戦でした。主役も初めてだし、うまくいかなければ、父のこれまでのキャリア自体も壊してしまうかもしれないと思って、心理的、感情的なプレッシャーがすごくありました。
ホドロフスキー:全く予測する暇もなかったです。当初、『リアリティのダンス』の次は『Los hijos del Topo(エル・トポの息子たち)』という作品を計画していたので。父が急に脚本を書き始めて、1ヵ月で完成させ、その4ヵ月後にはもう『エンドレス・ポエトリー』の撮影に入っていました。
ホドロフスキー:良いところというと、恨みつらみも含めて、家族だから一番よくわかっている、だから自由があるということだと思います。他人同士のように探らなくていいところがある。難しいと点は、全てが3倍になるところ。感情、特に怒りかな。家族だと遠慮がないぶん、3倍増しになってしまう。
最も大切なのは、家族ということを切り離すことだと思いました。要するに、父親ではなく監督だと思うことで、ようやくうまくいくような気がしました。
ホドロフスキー:そう。歌舞伎もですが、サーカスもそうですね。父は実際サーカスにいたこともあったし、もう一つ加えるとしたら、ユダヤ系の家族ということもあると思います。みんなで家業を一緒にするのが当たり前、という感覚もあると思います。
ホドロフスキー:日によっても、シーンによっても違いましたが、動きの指示は細かいけれど、演技は自由にと言われることが多かったです。常にコミュニケーションを取っていたので、父が望むものはわかっていました。ただ演技に関しては、父親は演劇的でちょっと大げさなものを好むんですが、私はもっと自然でリアルな演技がしたい。なので、そこは影響されないようにしました。
ホドロフスキー:私のためでもあったと思います。映画には過去7本出演していますが、今回は久しぶりで、主演も初めてでした。自信がない中でいろいろ探りながら、という状況が、徐々に自信を見出していくという点も含めて、ちょうど当時の父親と重なりました。
──ところで、劇中のアレハンドロと親友のエンリケ・リンの関係性が、あなたとエンリケ役のレアンドロ・ターブの実人生と重なると聞きました。アレハンドロはエンリケの恋人と関係を持ちますが、レアンドロさんはあなたの奥様の元恋人で、奥様は彼を振って、あなたと一緒になった。監督は知っていて、敢えてキャスティングしたのでしょうか?
ホドロフスキー:完璧に偶然です。レアンドロは哲学者ですが、アレハンドロは彼と知り合って話すうちに、エンリケにぴったりだと思って抜擢したんです。私のパートナーの昔の恋人だとは全く知らなかったです。
父にそのことを話したら、「だからどうしろって言うんだ?」と言われました。「忘れろ」と。それが自分にとっても彼にとっても良かったのは、お互いに現実の世界であることを忘れようとして、いい緊張感が生まれたことです。
ホドロフスキー:そうですね、正反対でした。アレハンドロは、ハイメが息子である彼にしたことと正反対のことをしてくれました。アレハンドロは玩具も与えられなかったし、映画を見ることも許されなかったけど、私は好きなことができたし、完全に自由でした。
ホドロフスキー:16歳の頃は反抗期でしたね。その時は父親の考えを聞くのも嫌で、自分は自分の考えでやりたいと思っていました。自分の頭で考えたいから、ほっといてくれと思っていましたが、数年で終わりました。
ホドロフスキー:父は8歳の私に「やるか?」と聞いてくれました。「やる」と答えたんですが、すると今度は「ちゃんとできるのか。やるからには本当にやらなきゃいけないんだぞ」と言われて、いきなり平手打ちされた。びっくりして私は泣いてしまいました。厳しさを教えるためだったのですが。それから20年後ぐらいに、スペインで視聴者300万人ぐらいの番組に出演した時、アレハンドロが「1988年、私の人生でただ一度、君の頬を叩いた。だから、今度は君が叩き返せ」と。それで300万の視聴者の前で父を叩きました。
ホドロフスキー:同じでした。今度は自分から頬を差し出して、演技する感じでした(笑)。『サンタ・サングレ』で私は(第17回サターン賞若手俳優賞を)受賞したので、賞をもらうために、毎回頬を叩いてもらわなければと思います(笑)。
ホドロフスキー:兄たちは全員、私が生まれるのを見てるわけです。なので、生まれたときから団結の中にいた感覚があります。年齢は離れてますが、すごく仲は良くて、次兄のクリストバルは自分が撮った短編の『The Voice Thief(原題)』に出演してくれたし、ブロンティスは私の曲に詩を書いてくれました。全員がアーティストで、みんなが自らの才能を集めて一つの映画を作る。こんな素晴らしいことができる家族はそうないかなと思います。アレハンドロ・ホドロフスキーの作品は、結局その後ろに家族がいることを誰もが知っている。それが重要ではないかと思います。
ホドロフスキー:たくさんありますが、まずは自分が初めて長編監督をしようと思って、脚本を書いています。昨日1ページ書いたので61ページまで行きました。そして、父の演劇のためにシンフォニーを作曲します。それから、もう完成して来年2月に発売予定のCD『Essencia Solar』があり、その後はツアーに出ます。
ホドロフスキー:はい。製作には資金が必要なので、億万長者の方がいたら、ぜひ父に電話してあげてください。
(text:冨永由紀/photo:荒牧耕司)
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