1952年1月17日生まれ、東京都出身。78年『千のナイフ』でソロデビュー。同年『YMO』を結成。散開後も多方面で活躍。『戦場のメリークリスマス』で英国アカデミー賞を、『ラストエンペラー』の音楽ではアカデミーオリジナル音楽作曲賞、グラミー賞他を受賞。13年には山口情報芸術センター(YCAM) 10周年事業のアーティスティック・ディレクター、14年には札幌国際芸術祭2014のゲストディレクターとしてアート界への越境も積極的に行っている。14年7月、中咽頭癌の罹患を発表したが、1年に渡る治療と療養を経て15年、山田洋次監督作品『母と暮せば』、アレハンドロ・G・イニャリトゥ監督作品『レヴェナント:蘇えりし者』の音楽制作で復帰を果たし、16年には李相日監督作品『怒り』の音楽を担当した。17年春には8年ぶりとなるソロアルバム「async」を発表。環境や平和問題への言及も多く、脱原発を表明している。
抗戦か、降伏か。12万の敵兵に包囲されるなかで、天命を背負った男たちの葛藤を描いた『天命の城』。『トガニ 幼き瞳の告白』のファン・ドンヒョクが監督し、イ・ビョンホン、キム・ユンソク、パク・ヘイルらが競演する本作で音楽を手がけたのは坂本龍一。韓国の伝統音楽を取り入れた重厚なサウンドを作り上げた坂本が、本作の魅力などを語った。
坂本:僕のウェブサイトの問い合わせフォームから連絡があったんです。映画音楽の仕事を受けるエージェントは別にいるんですが、そこからではなく、直接連絡が来た。どんな作品かと思ったら、イ・ビョンホン主演の作品だという。この何年か、韓国映画や中国映画に個人的にとても注目していて、よく見てるんです。それで、ちょうど「アジア映画のオファーはないかな?」と思っていたところでもあったので、ポジティブな返事をしました。
坂本:もともと台湾のエドワード・ヤン監督が大好きだったんです。亡くなってしまいましたが。彼の盟友でもあった侯孝賢、中国ではチェン・カイコー、また彼の撮影監督だったチャン・イーモウ、今では大御所になってますけど、そのあたりの監督たちの作品は追っていたんです。韓国の映画も80年代、90年代はそれほど関心を引かれなかったんですけど、近年はどんどん面白くなってきてます。香港映画も、タイ映画も、フィリピン映画も、アジアの映画はどこも良くなってきてますね。
坂本:エンターテインメント作品、アート作品、どちらも好きです。アクションが中心のエンターテインメント作品であっても、政治の腐敗であったり、社会問題であったりが必ず織り込まれていて、韓国の社会をよりよく知るという意味でも興味を引かれますね。
坂本:もちろん日本映画も好きです。ただ、やはり日本映画の黄金期というのは50年代、60年代で、溝口、小津、黒澤、そして大島渚をはじめとする松竹ヌーヴェルヴァーグの監督たちが素晴らしい作品を作ってきた。その後も面白い作品はたくさんあるわけですが、“現在の”という意味では、残念ながら力は弱ってしまったと思います。佳作はたくさんありますが、一つ一つの作品の粒が小さいと言いますか。逆に近年の韓国映画は、非常に暴力的だったりして、問題のある作品も多いかもしれませんが、一つ一つの作品に力がある。映画は社会の鏡だと思うので、それは単純に良い悪いということではなく、北朝鮮や中国との緊張関係も含めて、そこには韓国という国が置かれてきた難しい状況が反映されている。でもそういうことは、少なくとも創作においてはいい影響を及ぼすことが多いんですよね。社会の置かれている緊張が、作品の緊張感を生む。逆に言えば、日本の社会にはそういう切実なものが長いことなかったんだと思います。ただ、日本国内でもこれだけ経済格差が広がっている今、もしかしたらこの先、日本でも社会状況を反映した力のある作品がまた生まれてくるかもしれません。
坂本:そうですね。朝鮮の歴史については、今回の『天命の城』での仕事を通して知ったことも多かったです。この作品で描かれている歴史的事件の前には、豊臣秀吉による朝鮮出兵があった。最終的に朝鮮はそれを撃退しましたが、その直後にこの事件が起こったわけです。朝鮮の歴史というのは、常に隣国である中国の政変に影響を受けてきた。そして、それは直接的にも間接的にも日本に影響を及ぼしてきた。朝鮮の歴史を知るということは、東アジア全体の歴史を知ることでもある。そういう意味でも、とても興味深い題材でしたね。それと、もう一つ面白いのは、これは清が始まったばかりの頃の話であること。そして、清の最後の皇帝を描いた作品が『ラスト・エンペラー』だった。これで清の始まりの頃と終わりの頃、それぞれを題材にした映画に関わったことになったわけで、それについては感慨深いものがあります。
坂本:あくまでも僕の見方なので、実際は違うのかもしれませんが、隣に中国のような大国があって、その強い影響下にある時に、韓国のような比較的小さな国がどうやってそれを乗り越えていくのか。それは、どの時代においても変わらないテーマだと思うんです。今も朝鮮半島の横には中国があって、もう一方にはアメリカという巨大な国がある。そう考えると、この作品が描いているのはとても現代的なテーマなんだと思います。『天命の城』に出てくる仁祖という王は、韓国の歴史の中で最も人気のない王だと聞きました。韓国の人にとっては、屈辱的な歴史を象徴する王であり、実際にその体制下において人的被害もあった。「そんな時代の王様なんてわざわざ映画で見たくない」という人も少なくないそうです。でも、ファン・ドンヒョク監督はそれをわかった上で、敢えてこの題材を選んだと言ってました。それは、プロデューサーやこの作品に投資した人も含めて、すごく勇気のあることだと思います。現在のような非常に暴力的な時代、力対力でいろんな物事を解決しようとしている時代に、このように屈辱に耐えながら和平を選んだ王様を描いた映画を作ったわけですからね。
坂本:生物の世界も含めて、弱いものが負けるとは限らないんですよ。弱いものには弱いものなりの戦いのやり方があって。どんな世界にも、強いものがいれば弱いものがいて、生きていく上ではいろんな戦略がある。それは動物だけでなく、植物でさえもそうですね。だから、日本人にとってだけでなく、世界全体が武力と経済力の競争をしているような時代に、こういう映画があるということはとても意味があることだと思います。『天命の城』は、歴史的な大きな事件を描いていながら、あまり戦闘シーンが多くない。アクション描写は韓国映画が得意とするところでもありますが、この作品はそうではない。あくまでもイ・ビョンホン演じる吏曹大臣の葛藤を中心に描いている。そこにこの作品の意義があるんでしょうね。
坂本:これでも音楽が多いくらいだと思います(笑)。
確かに最近の通常の映画に比べたら、音楽が使われている箇所は限られているのかもしれないですが、音量の大きさも含めて、このくらいがちょうどいいんじゃないかなって思います。音楽で引っぱっていったり、何かを押し付けたりする映画が、僕は本当に嫌なので。映画の中で風のように音楽が存在しているのがいいですね。まあ、風だったら風の音が聞こえてくればそれでいいんですが(笑)。
坂本:『レヴェナント』でも、音楽が少ないと思った人は多かったみたいですよ。実際にあの作品では、2時間36分の作品で、2時間分くらいの音楽を書いてるんです。でも、その大半はそれこそ風のような音楽や、“ザーーーー”っていう音だったりして、いわゆる旋律のある音楽ではなかったんで、それを音楽だと思ってない人が多いということは面白いなって思いましたね。そういう意味では、今回の『天命の城』の方が音楽的と言えますね。
今回、監督とのやりとりで面白かったのは、最初はもっとセンチメンタルな、ちょっと韓国的なメロディも含んだ音楽を作っていたんです。そうしたら、監督から「もっとモダンなものにしてください」って言われて。それで取り下げた曲もあります。監督はできるだけ韓国的じゃないものを望んでいたんです。だから、韓国の伝統音楽と現在の音楽の融合というのが僕のテーマではあったんですけど、それもあまり前面に押し出してもいません。時代劇だからといって韓国の伝統音楽に寄せるのは違うということで、そこでのバランスは慎重に考えましたね
坂本:いや、あまり監督に預けるということはしません。0.1秒単位までオーダー通りに曲を仕上げていくのが通常の僕のやり方です。監督と意見が合わなければ、それは映画では監督が決めることなんで、その意見に沿うように直します。素材として監督に預けるというのもたまにはありますが、少ないですね。
坂本:完全に好き嫌いですね(笑)。ジャンルや内容や監督の名声などではなくて。
ただ、題材が興味深いものであっても、映像の力が弱い作品はやりたくないですね。原作も面白い、脚本も面白い、キャスティングも撮影監督もいい、監督の過去の作品もなかなかいい。それで仕事を受けて失敗したことが、正直何回かあります。そういう経験を経て、その単体の作品としての映像の力というのが判断基準になってきました。別にそれは、壮大なスペクタクルだけではなくて、コメディでもなんでもいいんですけど、「これはいい」と思える画の力があって、初めて映画音楽というのは生きるんだと思います。
坂本:以前、「スコラ 第十巻 映画音楽」という本で映画音楽を取り上げた時、自分も勉強し直しましたけど、1970年くらいを境に映画音楽って変わっていくんですよ。ロックバンドが映画音楽を手がけるようになったのは、もうその頃から始まっていて。それまでは長いことクラシックのオーケストラが中心で、映画会社がオーケストラを持っていて、そこでミュージシャンたちを雇っている。映画会社は大きなスタジオも持っていて、そこで作曲家や編曲家も雇っている。それがどんどんアウトソーシングされていくことで雇用が切られていくんです。それでも、まだ音楽的にはオーケストラが中心だったわけですけど、1960年代の頭くらいから、そこにまずジャズが入ってくる。そして70年代にはロックが入ってくる。それらは少人数の編成ですから、時間とコストの大きな節約になるわけです。それで、1977年にジョン・ウィリアムズが『スター・ウォーズ』の映画音楽を大きなオーケストラを率いて手がけるまで、どんどんロックやR&Bが映画音楽の大勢になっていくんです。
坂本:そうです。それで映画音楽におけるオーケストラの音楽というのは少しは延命をするわけですけど、オーケストラからバンド、バンドからシンセへと、大きな流れとしては変わらなかった。今はもう、コンピューターで一人でもできますから。譜面が書けなくても映画音楽が作れるようになった。ジョニー・グリーンウッドは譜面を書けると思いますけど、今度のルカ・グァダニーノの新作(『サスペリア』)を手がけるトム・ヨークはコード進行くらいしか書けないんじゃないかな(笑)。でも、コンピューターがあれば一人でできるし、そうじゃなくてもさらに少人数で作れるようになった。だから、映画音楽の変化というのは、観客の好みが変化したというよりも、むしろテクノロジーの進化と密接に関わっているんですよね。技術的な限界というのがなくなっていったことで、たくさんのミュージシャンに開かれていった。
坂本:まったくありません。そこにはテクノロジーの変化だけでなく、もちろん制作サイドが求める音楽の変化というものもありますから。特にこの10年くらい、映画音楽ではあまり強いメロディは求められていなくて、より記号的になってきています。その背景には、いろんな音源のライブラリーが存在していて、それをコピペして、キーを変えたり、速さを変えたりっていうことが簡単にできるようになっているということもあって。だから、いい感覚さえ持っていれば、比較的容易く映画音楽が作れるようになった。そこにはいい面もあると思ってます。僕はそういう既成の音源みたいなものは一切使ってないですが(笑)。ただ、使っても使わなくても、聴いてる人にはよくわからないところまできています。
坂本:いや、僕自身の映画と音楽との関係に対する見方が以前とは変わってきたんです。メロディがある種のシグニチュアとしてその映画のために有効に働く場合もまだもちろんありますけど、それよりも邪魔だと思うことが多くなった。メロディのような、はっきりとした音楽的な構造を持ったものは映画にとって余計なものだという感覚を、映画音楽全体のトレンドとは別に、僕自身も覚えるようになってきたんです。映画音楽に限らず、僕が自分のために作っている音楽も、そういうアンビエント的なものを求める傾向が強まっているので、自分としてはその中で映画音楽もそうなっていったという実感の方が強いです。
それに、はっきりしたメロディがないから映画音楽として弱いということはないんです。例えば、『怪談』の武満(徹)さんの音楽は、メロディはまったくなく、単音が1分くらい続くシーンがありますけれど、それはとても強い音楽なんです。ただ、その音だけを取り出して、単体の音楽としてそれが強い音楽かと言われるとわからない。映画の中にあった時に、映像の邪魔をすることなく、それでも強く響くものであれば、それは映画音楽として強いものなんです。それは1足す1が2ではなく3になっている素晴らしい例なわけですけど、そういうものが理想ですね。
坂本:『レヴェナント』があったから『async』があって、『async』があったから『天命の城』がある。そういうふうになってきているとは思います。昔は、シンセで作る自身の作品がメインで、映画音楽ではシンフォニックなものを作るといったように、わりとはっきり分かれてましたけれど。自分にとって最初の映画音楽は『戦場のメリークリスマス』で、あれはほぼ100%近くシンセで作った作品なんですが、あのままヴァンゲリスみたいにずっとシンセで映画音楽を作り続けていくこともできたかもしれません。その方が普段やってることと同じでやりやすいし、弾いちゃった方が早いし、譜面を書くのも本当は嫌いです。実は『ラスト・エンペラー』の時も、ベルトルッチの前にシンセとサンプラーを並べて『こんな感じでどうですか?』って実演したんですよ。そうしたら、『演奏者の衣ずれの音がしない』『演奏者の椅子のギシギシという音もしない』って言われて、『これは困ったな……』って(笑)。それでしょうがないから渋々生でやったわけですけど、それによって、そのやり方が定着しちゃった面も大きいんですよね。
坂本:そうですね。
坂本:軽い驚きでしたね。あまりメディアや評論家の評価は気にしないですけど、かなり唯我独尊で、アバンギャルドなことをやっているのに、そういうところから支持を得られるというのはまったく予想してなかったし、素直に嬉しく思いました。そこで思ったのは、むしろ今の時代って、わがままに、勝手気ままに音楽をやった方が、世界中の若い連中は耳を傾けてくれるのかなということです。マーケティングとかセールスとか、そういう余計なことを考えて作った音楽は全部見透かされてしまうんでしょうね。
坂本:最近は音楽家として、18歳から20歳くらいの頃に考えていたこと、やりたかったことに戻ってきたような感覚があって。逆に言うと「その間の40数年間は何だったんだ?」って話になるんですけど(笑)。当時まだ60年代だったわけですけど、それこそフルクサスだとか、当時アヴァンギャルドだったものが最近になって再評価されてきている機運もありますし。その頃は自分も理知的な興味、知的好奇心からそういう新しいものを上っ面で取り込もうとしていたんですけど、それが約半世紀を経て、気がつけば本質的な、根源的な創作上の必要性として取り込もうとしている。そして、そうした興味を、例えばOPNのダニエル・ロパティンみたいな若いミュージシャンとも自然にシェアできている。それはとても勇気づけられることだし、ちょっと不思議な気持ちになりますね。
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