『ヴァンサンへの手紙』レティシア・カートン監督インタビュー

130年間禁止されてきた手話を通じ、ろう者の今を伝える

#レティシア・カートン

完成までには10年かかった一番の理由は、資金調達

10年前に命を絶った友人のヴァンサン──フランス人のレティシア・カートン監督が、ろう者だったヴァンサンと、ろう者の苦悩をもっと世間に知ってもらうためにドキュメンタリー映画を作ろうと約束し、完成したのがこの『ヴァンサンへの手紙』だ。

1880年の「第2回国際ろう教育国際会議」で禁止されて以来、長く蔑まれ続けてきた手話。その禁が取り消されたのはなんと2010年だという。理不尽な苦しみを強いられてきたろう者の今を伝える監督に話を聞いた。

──日本とフランスの観客の反応に違いはありましたか?

監督:フランスと日本の聴者、ろう者それぞれの反応は全く同じですね。私自身が驚いたほどです。フランスも日本も、ろう学校の授業は口話教育が主流だった共通項があり、その点では日仏はまるで双子のよう。ただ、この映画で描いたろう者の置かれている環境は、フランスと日本に限らず世界中で共通していると思います。

──本作は、すでにこの世を去った友人ヴァンサンに便りを送る形で、ろう者の今を伝えるドキュメンタリーです。冒頭で、レティシア監督とヴァンサンの出会いが語られます。手話を習いたかったそうですが、そのきっかけは?

監督:幼い頃からの友だちにろう者がいるのです(映画にも登場するサンドリーヌ)。当時の彼女は手話を学んでいなかったので、十分にコミュニケーションをとれないフラストレーションを常に感じていました。
 実際に私が手話を学び始めたのは、美術学校の生徒だった1990年代後半、25歳になってからです。学校の向かいに語学の学校があり、そこで手話クラスが開講される案内を見て、授業を受けることにしました。
 とはいえ上達するには、手話を話す人との会話が必要になります。そこでろう者のクラブに行き、友だち募集の広告を出しました。返事をくれたのが、ヴァンサンだったんです。

──手話は“三次元の言語”とも言われますね。身振りや表情も言葉の要素であり、聴者にとっては手話自体が一つの美しい表現に感じられます。監督は美術畑からドキュメンタリー映画製作に進んだそうですが、手話に視覚的な魅力を見出していましたか?

<監督:確かに手話は、とても映画的な言語だと感じています。手話にはクローズアップ、ロングショット、場面の切り替えがあり、1人で複数の人物を表現する役割の変更も行いますから。
 ところが手話を話す人を撮影する場合は、まさにその映画的表現が制約になります。手話で話す人の表情だけをクローズアップで撮るわけにはいかないからです。動作も含めた手話全体を撮らなくてはいけないし、話を聞いている人にカメラを振り向けることも難しい。そういう枷が生じることは、作りながらの発見でしたね。

──映画の中で、レベント・ベシュカルデシュによる手話劇が紹介されます。とても美しく、思索的な劇ですが、ヴァンサンと生前からの交際があった人なのですか?

『ヴァンサンへの手紙』
(C)Kaleo Films

監督:ヴァンサンとレベントには、直接の交際はありません。でもヴァンサンにとってレベントは、ろうの表現者としての先輩、憧れのスターでした。レベントは優れた俳優であり、フランスのろう者なら誰でも知っている存在です。ニコラ・フィリベール監督の『音のない世界で』(92年)に出演していて、私はこの映画で初めて彼を知りました。私とレベントが知り合ったのは、ヴァンサンが亡くなってすぐのことです。
 ちなみに、ラジオ番組収録の場面で登場するエマニュエル・ラボリはレベントの演劇仲間。やはりとても有名なろうの女優です。『ヴァンサンへの手紙』は、私とヴァンサンがある舞台を見た帰り道、ろう者の映画を一緒に作ろうと話し合った日から始まりました。実はその舞台が、エマニュエルの主演作だったんです。

──終盤、(『レミーの美味しいレストラン』主題歌を担当した)聴者である歌手のカミーユが、ろう者と集まって歌うシークエンスがあります。監督からの提案だったのですか?

監督:カミーユからです。音楽を担当してほしいと初めて相談したとき、彼女がすぐに「手話と一緒に歌いたい!」とアイデアを出してくれたんです。ろう者は手話で、聴者はフランス語でそれぞれ歌いながら調和していくコーラスにしたいと。すでにある曲の歌詞の一部をヴァンサンの人生に合わせて書き換え、それをレベントが手話言語に翻訳してくれました。

──日の当たる部屋のなかで、朝を待つ夜の歌。その対比が印象的でした。

監督:そう見えましたか? 実はあの場面の光は、全てライティングです。地階にあるダンススタジオで撮影したんですよ!

──すっかり騙されました!

監督:それが映画の魔法というものです(笑)。あの歌の夜には厳しく暗い冬や争いといった意味があり、やがて訪れる朝には、新しい生命の誕生と再生の意味が歌い込まれています。

──フランスは、映画のカメラが撮影対象に積極的に関わるシネマ・ヴェリテの手法を生んだ国であり、ドキュメンタリー製作の土壌が豊かです。美術を学んでいたときから、ドキュメンタリー映画の監督になることを考えていたのですか?

『ヴァンサンへの手紙』
(C)Kaleo Films

監督:全く考えていませんでした。10代の頃の将来の志望は、フィクションの映画監督なんですよ。美術学校に通ったのは、国立の映画大学を受験する前に何か学んでおいたほうがいいと考えたからです。
 ところが、そこでアートの制作が本格的に好きになってしまい、学校に5年間通うことに(笑)。卒業後も造形作家として活動しながら、ポストディプロム(博士課程)の資格でアートの勉強を続けました。その過程で出会ったのがドキュメンタリーなんです。大きく道が変わったようで、学んでいくうちに映画に戻ったわけですね。いつかはまた、フィクションへの意欲が生まれるかもしれません。
 ドキュメンタリー製作を学んだとき、フィクションよりも自分に近いな、と感じました。形式面での自由の幅がフィクションよりも広くて、新しい表現や手法を発明できる余地があるぞと。ドキュメンタリーではナレーションを加えることによって、実際の映像から飛躍した物語を作ることも可能ですからね。
 その上で今は、ドキュメンタリーが現実に基づく映画である点に強く魅かれています。私の目下の興味は現実を撮影することと、それを通じて人々と関係を構築することにあります。
 映画の構想があってから人々の中に入っていく順序ではなく、その人の現実や生活に興味を持つ延長で映画を作りたいという気持ちです。

── 『ヴァンサンへの手紙』は、まさにその考えがよく出ている映画ではないでしょうか。ヴァンサンの死後も、彼を通じて出会った人たちとの交流が続く。その関係の長さが魅力になっています。

監督:完成までには10年かかりました。一番の具体的な理由は、資金調達なんです。でもそのおかげで、映画の中に年月の厚みを持ち込むことが出来ました。
 子どもたちは、登場したときは幼稚園児だったのに小学生、中学生になり、成長していますよね。彼らは、ヴァンサンが幼い頃に学べなかった手話を早いうちから教わり、将来の選択肢を拡げています。彼らの姿は、手話教育の復権がもたらしたものの掛け替えのない証明だと思っています。

どんな事象にも2面性性があり、良い面と悪い面は常に同時に存在している
──『ヴァンサンへの手紙』はどこか東洋的な親しみやすさを持つ映画です。陰陽のマークのようだな、という印象も強く持ちました。大人が過去の思い出を語るとき、内容は辛いのですが、大人になってようやく話せるだけの整理がついた安らかさもある。逆に、今の子どもたちが手話教育を受ける幸福感たっぷりの場面には、この恩恵をヴァンサンは受けられなかったのだ、という怒りが滲んでいるように思います。

『ヴァンサンへの手紙』
(C)Kaleo Films

監督:そうですね。陰陽のマークではありませんが、編集中の私はその点について、コインの表と裏をイメージとして持っていたからです。
 おっしゃる通り、活き活きと手話を学ぶ子どもたちの姿の背景には、この教育を受けられなかった、また、受けられずにいる多くのろう者がいます。でも、パトリックやジョジアーヌの過去の回想も暗いものばかりでなく、幸福な記憶がセットになっています。< br>
 どんな事象にも2面性性があり、良い面と悪い面は常に同時に存在している……いつも頭の片隅に置いている考えでした。

──聡明で快活な女性として登場するジョジアーヌが、息子の前で長年溜めていた感情を爆発させた話には、感動と言ってよいのか分かりませんが、強く打たれました。

監督:ジョジアーヌは、会えば光輝くような笑顔を見せてくれます。彼女が胸の内に秘めた感情の大きさに、すぐ気付くのは不可能なほど。大きな悲しみをエネルギーに替え、輝きにして外に向かって放っているからなんですね。とても素敵な女性ですよ。

──もともとは、ヴァンサンと一緒に映画を作ろうとしていたわけですが、彼が生きていたら、まるで違う映画になっていたと思いますか。

監督:ろう者の立場・価値観に立ってろう者の内面を描く。このメインテーマは不変だったでしょう。ヴァンサンと最初に誓い合ったことですから。
 もしヴァンサンが生きていたら……形式は大きく変わっていたと思います。彼も中心的な登場人物として登場していたかもしれないし、出るのを渋ったかもしれない。しかし、完成した現在の『ヴァンサンへの手紙』は、ヴァンサンの不在がより彼の存在を身近に感じさせるものになっています。すでにいないことによって、ヴァンサンの存在は映画の中で輝いています。

──ろう者を描いたフランスのドキュメンタリー映画として高名な『音のない世界で』。1995年に日本で劇場公開されたときは、大きな反響を呼びました。今見ると、ろう学校で子どもたちが発声を学ぶ姿が中心で、『ヴァンサンへの手紙』で描かれた教育とは異なることが分かります。

監督:私が『音のない世界で』を初めて見たのは、25年ほど前のことです。あの映画には手話教育はほとんど描かれていません。印象的なのは、口話教育を受ける子どもたちが教室で失敗する姿でした。私とヴァンサンは逆に、彼らが聴者の子どもと何ら変わりなく学び、成長する姿を描きたかったんです。
 それでも私は、『ヴァンサンへの手紙』は『音のない世界で』の続編なのだと考えています。
 (『音のない世界で』監督の)ニコラ・フィリベールは聴者の視点からろう者を描きました。私はろう者を、彼らのコミュニティの中から撮ることを目指しました。2本の映画のあいだには長い歳月があり、ろう者を描くのにふさわしい視点もまた、そのあいだに変化したのです。理想を言えば、将来は『ヴァンサンへの手紙』の続編が生まれてほしいですね。ろう者の監督が、ろう者のコミュニティを内部から描くドキュメンタリーです。

レティシア・カートン
レティシア・カートン
Laetitia Carton

1974年生まれ、フランス・ヴィシー出身。フォー・ラ・モンターニュにて活動し、現代アート作品を発表するが、学士入学したリヨンの美術学校でドキュメンタリー映画製作と出会う。卒業制作“D’un chagrin j’ai fait un repos(直訳:あまりの悲しみに休息を取った)”や長編ドキュメンタリー“Edmond, un portait de Baudoin(直訳:エドモン、ボードワンの肖像)”などが海外各国の映画祭で上映され、グランプリなど様々な賞を受賞。