ベトナム出身。14歳から欧米で学んだ。ニューヨーク大学で映画制作を学び、美術学修士号を取得。多くの映画祭で上映された短編映画『The Silver Man』(11年)、『No Exit』(17年)などを手がけた後、2014年に『第三夫人と髪飾り』の脚本でスパイク・リー プロダクション ファンドを受賞、ニューヨーク大学卒業性の最優秀脚本賞NYUパープルリスト2015に選出された。トラン・アン・ユン監督とファン・ダン・ジー監督主催のワークショップ<オータム・ミーティング>で2015年のグランプリを受賞。5年の歳月をかけて長編映画デビュー作である『第三夫人と髪飾り』を完成させた。同作は世界各国で50を超える映画祭で上映され、第43回トロント国際映画祭NETPAC賞(最優秀アジア映画賞)、第66回サンセバスチャン国際映画祭TVE – Another Look賞、第54回シカゴ国際映画祭新人監督部門ゴールド・ヒューゴしょう(最優秀作品賞)などに輝いた。
19世紀、北ベトナムの山の奥深い里の富豪のもとに花嫁がやって来る。一夫多妻制の時代、第三夫人として嫁いできたメイはまだ14歳だった。
ベトナム出身の女性監督、アッシュ・メイフェアが自身の曽祖母の体験をもとに映画化した『第三夫人と髪飾り』。自然に囲まれた美しい風景の中で、母親ほど年の離れた第一夫人、第二夫人との間に育まれる独特の家族意識、甘美な愛、因習に縛られる生涯を、少女の目を通して描く。19世紀の女たちのドラマを現代にも通じるメッセージとして伝えた監督に話を聞いた。
監督:そうですね、まさにそれを意図をしました。これは私にとって非常に個人的なストーリー……家族から聞いた話なんです。私は現代に生きる女性ですから、私の信条と彼女たちの生き方は必ずしも一致しませんが、撮影している間はなるべく、そういう環境にいるキャラクターたちに呼吸をさせるようにしたんです。観客の方が見て、どう考えるかは自分で決めてほしいという撮り方をしました。
監督:私がベトナムに住んでいた小さな頃、私たちの家の隣に祖母の家があって、その隣に曽祖母の家がありました。私の祖母は今も健在で、本作をベトナムで撮影する時には私も祖母と一緒に住んでいました。映画には結婚式など儀式的な部分や当時の慣習がいくつか出てきますが、ベトナムではすでにみんな知っていることでした。それ以外の曽祖母の個人的な体験については細かく話を聞きました。ベトナム国内で上映をしようと決断した大きな理由は、祖母に彼女の母親の生活を大きなスクリーンで見せたかったからでもあります。
監督:私は大学で文学を専攻していたので、その頃は小説にしようと思ったんですが、その後、ニューヨークに渡って大学院で勉強をしてる時に、友だちや教授にこの話をしたら、「それは映画にするべきだ」と勧められ、それで脚本を書き始めました。
監督:私の少女時代、ベトナムの教育事情はよくなかったんです。実は今もあまりよくないですが。ですので、経済的余裕のある家庭では子どもに他の国で教育を受けさせることはよくありました。私は作家志望だったので、いい大学に入りたかったんです。そこで母に頼んで、彼女の友人がいるオーストラリアの中学校、高校に行かせてもらって、その後、イギリスの大学で文学を学ぼうと考えていました。文学や翻訳もベトナムで勉強するのが難しい状況でした。そして、ベトナムを出て、初めて他の国でアート系の映画や絵画など様々な芸術に触れました。、ベトナムを出なかったら、今、私はアーティストとして活動してないと思います。
監督:それは偶然の一致だったんですが、確かに14歳の頃、私自身も自分が何者なのか、女性としてのアイデンティティーに目覚め始めた時だと思います。特にアジアの女性として。そういう自分の成長過程を思い出しつつ、母や祖母だったり、人生の先輩たちがどういう成長過程を経てきたのかを知るのは非常に面白いことでした。
監督:メイの状況はもちろん私の曽祖母から聞いたものなんですけれども、感情的な部分、女性に惹かれたりするところなどは自分の経験からきています。
監督:ニャンのキャラクターというのは私の7歳になる妹からインスピレーションを受けました。彼女は「大きくなったら男の子になりたい」と言ったことがあって、その彼女との会話をそのまま映画に入れました。非常に無垢な発言であると同時に、そこに希望が感じられたんです。子どもですから、ありのままに物事を観察していて、男女について何か不公平だなと感じたんでしょう。でも、その理由が理解できない。なので、私が大きくなったら違うんだろうなという希望が持てるということなんです。
映画の舞台は19世紀ですが、描かれている感情や状況は、今も通じる部分があると思います。いまだに、自分が選んでいない相手と無理やり結婚させられることも起こっています。私はこのまま、女性についての映画を作り続けたいと思っていますし、次の映画も女性についてです。
監督:女性たちは大好きだと言ってくれました。特に若い人が喜んでいました。たぶんベトナムと日本の女性の状況は似てるんじゃないかと思います。働く女性は大勢いますが、その働きに対する認知がちょっと足りないような気がします。それは映画業界でも言えることだと思うんです。例えば映画の現場では女性の監督、さらに女性の撮影監督がすごく少ないと思います。今回は撮影監督も女性で、私の親友なんですが、彼女は妊娠中でした。そういう意味で、映画の内容もですが、カメラの後ろで起こっていることも非常に革命的だったと思います。妊娠している女性の撮影監督と仕事をするというのは、他のクルーやキャストにとっても初めてのことだったと思いますし、ストーリーも撮影状況自体も女性を祝福しているな状況だったことを私は非常に誇りに思っています。
監督:とても大変でした。リサーチと脚本完成に3年かかりました。リサーチしながら、キャスティングとロケ地探しの作業もとても大変でした。電線が見えたり、舗装道路があったり、新しいビルが見えたりするのが嫌だったんです。今回、CGも全く使っていませんが、現代を感じさせるものが全くない場所を探すのは本当に大変だったんです。今ではもう、この映画作れません。というのは、この映画を撮った場所にはもういろんなものが建ってしまったんです。長時間歩いて、山の奥に入った場所でした。メイの家は打ち捨てられた博物館だったんです。それを19世紀のとおりに丁寧に建て直しました。それを可能にしたチームが私にはいたので、すごくラッキーだったと思います。ですが、あの場所は今やいろんな人たちに売られて、ホテルになったりしています。映画の中の光景は、あの時だから撮れたものだったと思います。
監督:私もです。
監督:ありがとう(笑)。
監督:以前、日本に旅行した時に京都と奈良が大好きになりました。東京の渋谷とかはちょっと違いますけれども(笑)。いつか日本でも撮影ができたらいいなと思っています。
監督:『Skin of youth』というタイトルで、トランスジェンダーの女性とボクサーの男性のラブストーリーです。恋愛も描きますが、やはり女性について違うアングルで語るという意図があります。トランスジェンダーのキャラクターは、すでに性転換手術を終えた私の友人がモデルなのですが、実際のトランスジェンダーの人をキャストしたいと考えています。彼女の変化を1〜2年追って、リアルタイムで追っていければというふうに思っています。
監督:次回作はベトナムが舞台なので、そこで撮りますが、映画は普遍的な言語だと思いますので、チャンスがあればアメリカでもヨーロッパでもどこででも撮りたいと思っています。
監督:アッシュというのは家族の中で私のニックネームです。メイフェアというのは、イギリスで大学を卒業した後に仕事を探している時に思いついて使いました。本名のベトナム名でいろいろな会社を受けたのですが、どこからも返事が来ない。そんな時、ある記事で「名前で男女がわかるので、それによって扱われ方が違う」というのを読見ました。そこで、名前を変えてみようと思ってメイフェアにしたんです。すると、名前以外は依然と全く同じ内容のフォームを各会社にを送り直したら、面接まで進めたんです。以来、その名前をキープしています。世の中には偏見というものがあるんだということを覚えておくために、仕事名として使っています。
(text:冨永由紀)
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