『D-WARS ディー・ウォーズ』シム・ヒョンレ監督 インタビュー

シュワルツェネッガー州知事に直訴し、9.11以降のロス市街で初の戦車を持ち込んだロケに成功!

『D-WARS』 シム・ヒョンレ監督インタビュー

シュワルツェネッガー州知事に直訴した

  • 総製作費35億円というビッグバジェットをかけて製作。2007年8月に公開された韓国では、観客動員数850万人、興収5000万ドルを記録し、この年の韓国でナンバーワン・ヒットとなったのが『D-WARS』(2008年11月29日より全国公開)だ。その翌月には全米2277スクリーンで公開され、アメリカでの最終興収は約1100万ドル(約11億円)。現在までに、全世界でおよそ7500万ドル(約75億円)の興収を記録している。

    そんなメガヒットムービーのメガホンを取ったのは、『怪獣大決戦ヤンガリー』(99年)で監督デビューをはたしたシム・ヒョンレ監督。2作目となる本作では、ロサンゼルスの街を巨大モンスターが蹂躙するシーンを撮影。9.11テロ以降、初の大規模なロサンゼルスロケを遂行したという。そんな監督に、撮影の裏話を直撃した。
     

  • ──有名なコメディアンだったそうですが、そこから、なぜ、映画監督になろうと思ったのでしょう?
  • シム・ヒョンレ(以下、シム):仰るとおり、コメディアンとして韓国では有名でした。当時、私が韓国でどれくらい有名だったかというと、子どもに「好きな英雄」を尋ねると、1位が世宗(セジョン)大王、2位が李舜臣(イ・スンシン)将軍、3位が私という結果になるほど。ちなみに、4位がエジソンで5位がキュリー夫人。みなさん歴史上の人物で、今も生きているのは私だけといった状況でした(笑)。ただ、その一方で、世界はもちろん、お隣の国・日本でも、私のことは誰も知らない。だから、もう少し、名前を売りたいという思いがあったのです。
    もちろん、それだけでなく、もともと映画好きだったことや、映画界で創造力を発揮したいという思いがあったことも、映画界に足を踏み入れた大きな理由ではあります。

    ──ロサンゼルスでの撮影は大変だったそうですが?

  • シム:確かに大変でした。というのも、韓国では比較的どこでも、気に入った場所で撮影ができるのですが、アメリカでは、すべて許可が必要だったからです。ご覧になってもらうとわかるのですが、劇中に巨大なモンスターが出てきます。それを倒すためには、当然、戦車を出動させる必要があります。ですが、この話をしたら、ロケーションマネージャーをはじめ、向こうのスタッフはみんな、(9.11の後だったこともあり)「それは無理です」と言って聞かなかったんですね。だから私は「ダメだと思う人は去っていい」と言って、まずロケーションマネージャーをクビにしました。その後で、カリフォルニア州知事のアーノルド・シュワルツェネッガーとロス市長に直訴したんです。「映画の都ハリウッドと言われているのに、こんなことすらできないなんて、それでよく、映画の都って言えますよね。告訴するならしてもいいけど、私は何としても撮影をします」と(笑)。
     
  • ──実際に、撮影現場の状況は?
  • シム:戦車を運び込むわけですけど、そのために、戦車よりも大きなトレーラーを何十台も連ねて、明け方に街中へと入って行きました。日本に例えると、銀座の目抜き通りを4キロくらい通行止めにして撮影するようなもの。冷静に考えてみれば、よくやったな、と。
    実は1つ、今でもシュワルツェネッガー州知事に申し訳なかったと思っていることがあるんです。というのも、市街地に「戦車を持って行く」とは伝えていたのですが、「銃や大砲を撃つ」とは伝えていなかったんですね。実際の撮影では、数十台の戦車砲を一斉に撃ったわけです。しかも、ビルの間で撮っているので、撃つ度にこだまして音が増幅しまって。「カット!」の声をかけても、みんな聞こえないので、ドンドン撃ってしまうような状況でした(笑)。
     
  • ──次回作でもし壊すとしたら、東京と、高層ビルの建設ラッシュが続くドバイと、どっちが興味あります?
  • シム:シム:そうですね、私は東京タワーを壊す方に興味があります(笑)。
     
  • (08/11/29)

『D-WARS』シム・ヒョンレ監督 

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『D-WARS』シム・ヒョンレ監督

『D-WARS』シム・ヒョンレ監督
 

 

『D-WARS』
2008年11月29日より有楽町スバル座ほかにて全国公開
『D-WARS』