『サーチャーズ 2.0』 アレックス・コックス監督 インタビュー

反骨精神あふれるカルトムービーの巨匠が、異色西部劇を監督!

#アレックス・コックス

『サーチャーズ 2.0』 アレックス・コックス インタビュー

金融危機は、ハリウッドを変えるチャンス!
  • 反骨精神あふれるパンクな作風でカリスマ的人気を誇る、カルトムービーの巨匠アレックス・コックス。『シド・アンド・ナンシー』(86)『ウォーカー』(87)などの問題作を手がけてきた彼が、“B級映画の帝王”と呼ばれる名物プロデューサー、ロジャー・コーマンとタッグを組んだ異色の痛快西部劇『サーチャーズ 2.0』が1月10日から公開される。公開を前に来日した彼に、映画について、そして彼が作品で痛烈に批判したハリウッドの映画産業やアメリカ社会についての意見を聞いた。

     

  • ──ロジャー・コーマンとの仕事はいかがでしたか?
  • アレックス・コックス(以下、コックス):とても優秀なプロデューサーなので、一緒に働けて光栄でした。彼は、自分のプロデュース作品には、“アクション”“かわいい女の子”“ちょっとした社会的メッセージ”の3要素を入れるようにしているので、今回の私の作品にはぴったりだったと思います。

    ──この作品は復讐の滑稽さについて描いているのでしょうか?

  • コックス:そうです。かつて、日本の能や歌舞伎、私の母国イギリスのシェイクスピアの時代に描かれた“復讐”という概念は、その無意味さを教えるためのものでした。けれど、ここ30年ほどのアメリカ映画では、復讐はOK!という風に逆転して描かれてしまっているのが目に付きますね。
     
  • ──映画では、ハリウッドの映画産業の問題点もコミカルに描かれていますが、最大の問題点はどこだと思いますか?
  • コックス:最大の問題点はお金の無駄遣いです。以前ハリウッドで、たった2人の俳優と車が出てくるほんのちょっとしたシーンを撮影したときに、製作側はトレーラー50台(!)を用意し、警察隊が交通規制をしたんです。そこまで大げさにやる必要はないし、お金の無駄です。メジャー映画会社は、そういった巨大な規模の撮影にかかるお金を“くれる”わけではなく、貸し付けるんです。つまり、大がかりな映画を作ると、自動的に借金を背負うというわけです。そうやってメジャーがどんどん巨大化していくシステムが、一番いけないと思っています。まあ、誰が1億ドルを損しようが、出来が良ければいいのですが、大作には出来の良い作品はほとんどありません。多くの低予算映画の方が、骨があり、1本筋が通っている場合が多い。こういった無駄遣いは、まあ、ペンタゴン(合衆国の国防総省)みたいなもんなんですよね(笑)。

    ──では、映画産業はどうあるべきでしょうか?

  • コックス:いい映画を作るには、絶対に貧乏でなければいけません。飢え死にするほどとは言いませんが、貧乏でないと人は正直でいられないので、プアーなシチュエーションが全てだと思います。今、世界的な金融危機で、様々な国の経済が打撃を受けています。それを引き起こしたのはウォール街の金融のプロたちなのですが、彼らはビッグバジェットの映画にもお金を投資してきました。でも、今はそういったことができなくなっている。そんな時だからこそ、我々フィルムメーカーの側から「待った」をかけることができる。やり方を変えるチャンスだと思っています。
     
  • ──アンチ・ブッシュ的なものも感じる映画ですが、バラク・オバマ次期大統領には期待しますか?
  • コックス:アンチ・ブッシュというわけではないんです(笑)。アメリカの問題は全て構造の問題であって、ブッシュ個人の資質の問題ではない。彼は富裕層や軍産複合体の代弁者にすぎないのです。レーガンでもカーターでも誰が大統領になろうと、その構造が変わるとは思えないので、今回オバマに変わることで大きな変化があるとは限らない。今後を見てみないと、何とも言えないんです。
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  • ──反骨精神にあふれた映画を作り続ける原動力は、どこからわいてくるのですか?
  • コックス:死んだときに忘れられないように、映画制作を続けているんです(笑)。それに、映画作りが大好きだから! でも、肉体的には衰えましたね。この間、オレゴンに行ったとき犬も連れていったのですが、走り回る犬と一緒に山の頂上まで一緒に行こうとしたのですが……一気に登るのはとても無理でしたね、休みながらじゃないと。30代の頃だったら大丈夫だったんですけど(笑)。
  • 文中敬称略
  • (09/1/8)

アレックス・コックス
アレックス・コックス

Alex Cox
1954年12月15日生まれ。イギリス、リヴァプール出身。オックスフォード大学で法律を学んだ後、ブリストル大学の映画学科を経て、UCLAで映画を学ぶ。83年に、『レポマン』で長編映画監督としてデビュー。85年に『シド・アンド・ナンシー』を監督し、一躍ハリウッドの寵児になるも、87年に、痛烈にアメリカを批判した『ウォーカー』を監督。以後、ハリウッドからの製作以来は途絶えたという。その他、カルトムービー『ストレート・トゥ・ヘル』(87)『デス&コンパス』(96)『スリー・ビジネスメン』(97)などを監督。