とりたてて何かが起きるわけではない。描かれるのは、1年半、南極の内陸部にあるドームふじ基地で「究極の単身赴任ライフ」を送る8人の男たちの、むさ苦しいながらも心温まるエピソード。それぞれが家族を思い、遠く離れた恋人の変化に焦り、それでも精一杯、日常を楽しもうとする姿に共感する人も多いはずだ。
作品について堺は、「頑(かたく)なな心が料理をすることによってほぐれていくという、一言で言えばそれだけの話」と言う。だが、「『みんなでご飯を食べるとおいしいね』というごくシンプルなテーマを、何度も何度もものすごく丁寧に描いていて、そこに引き込まれるし、1人1人が段々、愛おしくなってくる。そのへんが面白いと思いました。おいしいものを作ってもらって心がほっこりするという、言ってしまえばそれだけの話だけど、それを延々2時間やり続けるのがすごいな、と」。
外は見渡す限りの雪原。仕事の他にはすることもない隊員たちの楽しみは、自然と「食」に向かう。そんな作品に出演したからか、堺は、最近の「食」にまつわる変化について教えてくれた。
「以前は、『今日、これを食べたい』ということをあまり感じなかったんですけど、最近は『これをどうしても食べなければ不機嫌になる』というくらい、食に対する執着が増してきて……(笑)」
遠く離れているからこそ実感する家族の絆。けれど、変化の多い日本で刺激的な毎日を送るそれぞれの家族は、隊員たちほど寂しさを感じていなかったりするようでもあり……。そんな心のスレ違いや悲喜こもごもがユーモラスに綴られ、家族のあり方についても考えさせられる。
「理想の家族像とは、何か問題があったとしても『ご飯を食べようよ』という空気があるかないかだと思うんです。もちろん解決しない問題もいっぱいあるだろうし、軋轢(あつれき)もあると思います。映画では、問題は問題としてご飯を食べよう、という解決策を得たかどうかという部分が描かれていく。そういう家族だったら、時間はかかるにせよ、みんなで正しい方向に力を合わせていけるんじゃないかな、という気がします」
隊員たちは、仕事のために、時に家族や恋愛を犠牲にして南極へと旅立つが、堺自身は、そのことについてどう感じたのだろう。
「最近、何かを犠牲にして仕事をするということに疑問を感じているんです。『できません』という選択肢があっても全然問題ないし、ちっとも恥ずべきことじゃないと思うんです。やれと言われたことをして、その分のお金をいただく、基本はそういうシンプルなことではないかと。ただ、やるからには誠実に、最大限の時間を費やしたいし、最大限の労力をそこにつぎ込みたい」と堺。「この仕事はこれだけ努力しなければならないと決めつけるのはおこがましい」とも語る。「仮に片手間でやっていようが、それでOKならいいわけだし、ダメと言われたら何をやっていてもダメ。そういう世界なんだと思います」。
それは、様々な経験を積み重ねる中でつかみとった、彼の哲学でもあるようだ。
「以前は、仕事がない分、『〜ねばならない』という風に俳優像を作っていたんですけど、仕事をやっていくうちに、そうではない例外をたくさん見てきたので、勝手に『〜ねばらなない』と思っちゃいけないんだ、と。上手くやれてればいいんじゃないか、それが結果として志につながるんじゃないか、という気がしています」。そう語った後で、「段々、手抜きが上手くなってきているのかもしれません」と笑顔を浮かべた。