イザベル・ユペール
Isabelle Huppert
1953年3月16日、フランス・パリ出身。ヴェルサイユの音楽・演劇学校やパリの国立高等演劇学校などで学び、1972年に『夏の日のフォスティーヌ』で映画デビュー。その後、『ヴィオレット・ノジエール』(78年)と『ピアニスト』(01年)でカンヌ国際映画祭女優賞、『主婦マリーがしたこと』(88年)と『沈黙の女/ロウフィールド館の惨劇』(95年)でヴェネチア国際映画祭女優賞、『8人の女たち』(02年)でベルリン国際映画祭銀熊賞(芸術貢献賞)に輝く。さらに、『エルELLE』(16年)ではアカデミー賞主演女優賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞した。主な出演作は、ジャン=リュック・ゴダール監督の『勝手に逃げろ/人生』(79年)、ミヒャエル・ハネケ監督の『愛、アムール』(12年)、ブノワ・ジャコー監督の『エヴァ』(18年)など。
『ポルトガル、夏の終わり』イザベル・ユペール インタビュー
フランスの至宝が語る!死に直面した女性の願い
監督から求められたのは、ポイントゼロの演技
67歳を迎えた今なお、第一線を走り続けている“フランスの至宝”イザベル・ユペール。作品ごとに異なる顔を見せ、幅広い役に挑み続ける姿は、世界中の映画ファンを魅了し、カンヌ国際映画祭やヴェネチア国際映画祭などでもたびたび賞に輝いている。
そんななか、最新作『ポルトガル、夏の終わり』で演じたのは、ユペール自身を彷彿とさせるヨーロッパを代表する女優フランキー。アイラ・サックス監督がユペールのために書き下ろしたという脚本では、死期を悟った女性が愛する人たちと夏の終わりのバケーションを過ごす様子が描かれている。そこで、作品のテーマから受けた印象や今回の現場で得たものについて、語ってもらった。
ユペール:最初にアイラの作品を見たのは『人生は小説よりも奇なり』だったけれど、とても気に入ったの。それから『リトル・メン』も見たわね。実際に、アイラと会うことになったのは、私からの働きかけだったと思うけれど、2年前のニューヨークだったわ。そのあと、アイラが私を念頭に置いて『ポルトガル、夏の終わり』の脚本を書いてくれたのよ。
ユペール:この映画は、死を目の前にした時に実感する想いを表現することの無力さを繊細に語っていると思ったわ。つまり、言葉で真実を伝えることの難しさに直面する人の姿が描かれているということよね。
アイラは、フランキーに対しても、彼女の死期を知らされた周りの人たちに対しても、陳腐な表現に甘んじることを許さないんだけど、彼の映画は常に意外で独創性があり、決して湿っぽい作品にはならないの。だからこそ、とても心を動かされるのよ。抑制というのは私の好むスタイルではないけれど、この映画でのアイラのアプローチはしっくりきたし、悲哀に屈したくないという強い思いが、彼の脚本の中心にあったと感じたわ。
ユペール:その台詞は、少し謎めいていると同時に、とても残酷よね。だって、それはフランキーに「他の人たちの辛さも考えろ」と言っているのと同じだから。苦しみの影響を受けるのはフランキーだけではなく、彼女の周りの人たちもショックを受けるから当然ではあるけれど。
ユペール:この映画は、普段あまり心に浮かべることのない死の側面についての物語にもなっているけれど、心の奥底でフランキーがなにより耐えられないと思っているのは、周りの人たちが泣くこと。それは彼女が苦痛から距離を置こうとするもうひとつの理由でもあるのよね。
そして彼女は、逃げ道などないことを知っているから、逃げ道を見つけようとするどんなにささいな試みをも拒んでいるの。言い換えると、治療の可能性を考えることの拒否が、彼女の症状の重さを明らかにしているとも言えるでしょうね。特に、元夫ミシェルが“奇跡を起こす水”で有名な礼拝堂に彼女を連れていく場面に、それがはっきりと現れているわ。
ユペール:フランキーは、自分のお金についてかなりの現実主義ぶりを発揮しているんだけど、たとえば息子のポールにブレスレットを差し出したのは、彼が相続税を支払わずに済むようにとの考えから。でもそれは、彼女が自分の遺産の使い道として若い俳優たちのための基金創立を選んだことを表してもいるの。ポールに家督相続をさせないということはかなり容赦のない仕打ちのようだけど、だからといって息子を気遣う気持ちがないわけではないのよ。実際、将来の結婚について心を砕き、手を打とうと試みるんだから。
ユペール:説明的なシーンは一切描かれていないけれど、そう思うわ。フランキーがブレスレットをポールにあげるときでさえ、フランキーは突然腕からそれを外していて、まるで今、そうしようと思いついたというような感じよね。観客は、かなり早くからこの映画が死の迫る女性の物語で、何かの最後に立ち会っていると理解することになるけれど、そういうことが説明されたり行動で表されたりすることは全くないのよ。
ユペール:アイラが私に求めていたものは明らかだったわ。それは、ポイントゼロの演技。つまり、その場の状況だけを行動で表すことよ。アイラは何の抑揚も含まない、可能な限りのシンプルさを求めていたから、私が自分を演出し過ぎるとよく注意をしてきたわね。そういったこともあって、凝ったセリフはとことん追求し、役作りの過程で生じる余分なものもすべて排除していったの。
そんな風に、彼は登場人物が口にする説明的なセリフを、すべてなくすことを望んでいたから、現場で抱いていたのは、「ただそこにいるだけ」という印象。だから、私は胸の中で時々「どうか観客に、映画に出ている私が見えますように!」ってつぶやいていたわ。
ユペール:その手法は、まさしく私がゴダールの映画に出演したときに感じたものを思い起こさせたわね。アイラの作品にはあの時と同じ明晰さ、シンプルさがあるのよ。つまり、自分は何もしていなくても、あらゆるものがその瞬間、その人物、その状況の真実として姿を表すように感じるの。それこそがシーンに欠かせない緊張感をもたらすのよ。それをこんなに強く感じたのは『勝手に逃げろ/人生』以来だったわ。
ユペール:確かにこの映画は、ものすごく丹念に計画や準備されていると感じるけれど、それでも映画が求める自由さも感じられると思うわ。なかでも象徴的だったのは、撮影がシントラの雨の多い気候に大きく左右されたこと。時々、最後の最後になってシーンの撮り直しを余儀なくされることもあったわ。たとえば、私がペイストリーを食べているときに夫のジミーから、アイリーンが恋人を連れてきたと告げられるシーンは、トラッキングショットでの撮影が予定されていたけれど、雨が降り出して急いで撮らなければならなくなったりもしたの。
ユペール:クライマックスのシーンでようやく登場人物が揃い、夕日が海に沈む頃にペニーニャの聖域に登るの。アイラは、人生や人間関係、家族などを構成する小さいけれど奥の深い事柄を拾い出すのに長けているのよ。以前の作品では家庭を背景としていたけれど、この映画では、彼のお気に入りのテーマをすべて取り上げつつ、以前よりも哀愁を帯びた普遍的な手法が用いられていると思うわ。
ユペール:アイラがシントラをよく知っていたからこそ、この場所での撮影が重要であることは明らかだったわ。シントラはものすごく美しい場所であると同時に感動に満ち、悲劇的な場所でもあるから。あの場所では、霧や特異な気候も手伝って、神秘と脅威と暴力の要素をたっぷりと感じられるの。
アイラはシントラを絵葉書のようには見せず、観光地のひとつとして扱うこともなく、彼はシントラが重要な役割を演じる登場人物の1人に見立てて撮影したのよ。だから、特に森の撮影では、突然カットしたり、前のショットから次への移行を荒々しくしたり、ドラマチックな表現方法が取られているの。
ユペール:ええ、フランキーがブレスレットを探すシーンではグリム童話の「親指小僧」の物語を思い浮かべたわ。私たちは1か月間どっぷりとこの場所に浸っていたお陰で、観光客がいるにも関わらず、素直に心が揺れ動いているような状態になっていったの。
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